第59話 湯豆腐
「仮病は大丈夫ですか?」
「優しい皮肉だね」
苦笑の一つもせにゃならん……と。
凜ちゃんが、家に来た。
夕食を作ってくれるらしい。
多分に嬉しいことで、なお私より凜ちゃんの方が家事が出来る……というか女子力で私はお兄ちゃんや凜ちゃんに遠く及ばない。
「ちなみにメニューは?」
「湯豆腐で」
「合点承知」
「了解を得られたのは嬉しいですね」
穏やかに、凜ちゃんは笑った。
うーん。
紳士。
「それではキッチンを借ります」
「さっさーい」
私はコーヒーを飲みながら、ダイニングテーブルに座る。
皮肉か何か。
とても薫り高いコーヒーでした。
「どこの?」
「珈琲屋さんのオリジナルブレンドですよ。実のところ、ちょっと値は張りますが味はどうでしょう? 美味く淹れられているといいのですけど……。試飲は美味しかったんでけどね~。素人には諸刃の剣です」
「美味しいですよ」
率直な私の感想。
「ソレなら良かったです。先生も飲まれますか?」
「コーヒーか?」
「いえ」
ビールの缶が並べられた。
買って来たらしい。
「気が利くな。頂こう」
プシュッとプルタブを開けて、飲み始める、お兄ちゃんと凜ちゃん。
「湯豆腐か」
「真夏に入る前に堪能したかったので」
「いいんじゃないか?」
お兄ちゃんが心を許すだけでも、凜ちゃんの器量は、さし量れる。
「お仕事は宜しいので?」
「酒が足りん」
お兄ちゃんもビールを飲む。
「く~~生き返る」
結構。
わりと。
シャレになっていない。
「喉越し爽やかですね」
「日本産業の功績だな」
私にはわからない会話だ。
一人コーヒーを飲む。
見逃す凜ちゃんじゃなかった。
「今日は何してたんですか?」
「読書」
「良い事です」
「ラノベだよ?」
「世界観に優劣はありませんよ。文章はまた別ですけど」
教師らしい御言の葉だった。
「ま、凜ちゃんもお兄ちゃんファンだしね」
「です」
穏やかに首肯される。
「然程か?」
お兄ちゃんは懐疑的らしい。
「面白いですよ」
これは常に言っている事。
「たしかに俺自身は面白いと思ってるが……」
「拙もです」
客観的評価…………というものに、少し自覚症状のないお兄ちゃんでありました。
ビールをゴクリ。
「雨の中御苦労だな」
「ライターはその辺、気にしなくて良いですよね」
「有り難い事だ」
そーかなー?
少し考える。
「ていうか教師って何やるんだ?」
「羅列するのが面倒な事を」
「ご愁傷様」
「教員免許は取らないので?」
「ガキを相手にしたくない」
「じゃあ私も?」
「結婚したい」
頑張れ。
声にならない応援でした。
「…………」
ジト目~。
「何でしょ?」
「凜に抱かれるなよ?」
「その程度の分別は付くつもりだけど」
「たまに不安になる」
「そもそも凜ちゃんが、こっちに意識向けてないし」
「陽子が好きなんだろ?」
「シスコンの陰陽陽子がね」
シンタックスコンプリート。
お兄ちゃんの小説だ。
「陽子は……」
「…………大丈夫」
「本当に?」
「こっちが聞きたいくらい」
――私は、お兄ちゃんの支えになってる?
否定されるのが怖い。
拒絶されるのが恐い。
だって、私はそこに、傷を持つ。
「そうじゃないね」
傷を持っているのは、お兄ちゃんだ。
私は何も出来なかった。
あまりにちっぽけな自分が、酷く疎ましい。
「出来ましたよ」
昆布だしと、つゆの香り。
「凜ちゃんはお兄ちゃんに抱かれたりしないの?」
「求められていませんので」
「止めろ。ガチで。そっち方面は」
クシャッ、とお兄ちゃんはビールの空き缶を握りつぶした。
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