第9章 全面戦争思考
9-1 全面戦争思考とは何か
前章では、ゾーニングにまつわる誤解のうち1つを取り上げて論じた。この章ではもう1つの誤りを取り上げる。
その誤りとは、規制やゾーニングの要請を少しでも認めれば、最終的には全て規制されてしまうというものである。このような考え方のことを、ここでは「全面戦争思考」と呼称することとする。
本論では公から性暴力表現を排し、クローズな場でのみやり取りすることを求めてきた。また、性的強調表現を公の広告に利用することも批判してきた。これらの主張は、ゾーニングの要請の中でもとりわけ穏当なものに見える。
だが、全面戦争思考の下では、論それ自体の程度は省みられない。なぜなら、どの程度の要請であれ、それが呼び水となって全面的な規制を導き、表現が焼け野原になってしまうという思想だからである。故に、この思考に囚われる者は、一切の制約を拒絶し、野放図の自由のみを自由として扱おうとする。
もっとも、直前の節で論じたように、彼らの野放図の自由への志向こそが規制の呼び水となっているのは極めて皮肉なことであろう。
このような思考は、主に「ニーメラーの警句」に根拠づけられる。つまり、共産主義者への弾圧を無視すれば、いずれ手遅れになるという著名な警告である。
では、彼らの全面戦争思考は正しいのだろうか。結論から言えば、誤りである。少なくとも、本論で主張されているゾーニングは、公から性暴力表現を一掃するというだけであり、それ以上のものを求めるものではない。そもそも、ニーメラーの警句に登場する弾圧は政府や権力者によるものであり、前章で論じたように、市民による批判や要請が当てはまるわけがない。
しかし、彼らがそのような考えに至ってしまう理由もわかる。故に、次節では、その誤りの原因となる議論の性質を取り上げて論じることとする。また、全面戦争思考と名付けたものの、実際には彼ら自身もその全面戦争思考を信じているわけではなく、単に反論の道具として持ち出しているにすぎないことを最後に指摘する。
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