第6章 ケーススタディ

6-1 献血ポスター

 ここまでで、ゾーニングを語るうえで必要な議論はすべて出尽くしたはずである。

 ここからは、いままでの議論に基づきながら、実際に発生した事例と照らし合わせて考えたい。


 第一に取り上げるのは、直近の事例である献血ポスターである。

 これは、日本赤十字社が献血のPR用に作成した、『宇崎ちゃんは遊びたい!』単行本第3巻の表紙絵を流用したポスターが問題となったものである。


 なお、ポスターに使用された文言も問題となったが、本論の話題と外れるため、ここでは扱わない。

 また、カクヨムの使用上、挿絵は添付できないので、取り上げられた図案に関しては逐一検索するなどして確認していただきたい。


 さて、ポスターが問題となったのは、主にキャラクターの描写である。乳房の大きいキャラクターについて、服の上からその形状がはっきりと視認できる、いわゆる「乳袋」と呼ばれる描写が使用されており、これが問題となった。


 まず確認しておくことだが、いわゆる「乳袋」が、前章で取り上げた性的強調表現に該当することは論を待たない。その成立過程から考えても、また実際の描写から見ても自明である。


 また、純然たる事実として、当該ポスターは駅構内など、本論の定義で公にあたる場所の掲示されていたことが確かめられている。ネット上の議論ではこのような素朴な事実においても混乱が見られるので、本論では逐一確認する。


 前提を確認したところで、当該ポスターの問題は明白である。公に、性的強調表現を利用した広告を掲示したことである。前章で述べた議論から、このような広告は控えられなければならない。


 加えて、ポスターを使用したのが日本赤十字社であることが問題性を増している。これについてもう少し詳しく論じよう。


 前章で、性的強調表現を利用すべきでないと論じた。その理由を振り返ると、女性を性的な道具として使用してもよいという誤った信念を強化しかねないからというものだった。


 この誤った信念の強化は、一般に、表現主体が権威ある存在であったり、公的な機関であるほど起こりやすいと考えられる。


 第3章でみたように、人はある行為が良い行為だという社会的な承認が得られると、その行為を積極的に行うようになる。この承認は、権威ある存在のほうが与えやすい。何をしていいかわからないとき、どこの馬の骨かわからない人間の行動をまねするよりも、親や教師といった信用している人のまねをしようとするだろうと考えれば自明である。


 つまり、個人や民間企業が性的強調表現を利用するよりも、公的な組織が利用するほうが悪影響が強いと考えられる。それは、公的な組織の表現のほうがより強く批判の目に晒され、民間企業で許容された表現でも否定される可能性があるということだ。


 日本赤十字社は民間団体であるが、その組織の来歴と性質を考えれば、公的な要素を強く持った組織であると考えるべきだろう。であれば、性的強調表現を利用することは最大限避けるべきである。そのような表現をしなければいけない理由もなければ、ほかの表現に代替不可能というわけでもない。


 なお、この議論に関して、従来行われてきたコラボポスターを引き合いに出し、いままで批判されなかったのに当該ポスターが批判されるのはおかしいという反論がある。


 しかし、提示されるコラボポスターの大半は、コミックマーケットのようなイベントでのみ使用されたものである。イベント会場は、まったく公ではないというわけではないだろうが、当該ポスターの掲示された一般の駅構内に比べれば、公としての性質は薄い。そのため、通常よりも許容範囲が広がるのは妥当である。


 もっとも仮に、いままでも当該ポスターと同水準の性的強調表現が公で使用されており、それが批判を免れていたとしても、それは当該ポスターを肯定する根拠にはならない。


 社会には、表現が無数に存在する。性的強調表現を問題する人でも、その全てを検討することは不可能である。ゆえに、基本的には、同水準のポスターを積極的に許容しない限りは、以前のポスターを批判せずに今回のポスターを批判することは主張の矛盾にはならない。


 今回の議論の流れは、以前問題となったほかの表現にも援用可能なものである。

 代表例として、『蒼志摩メグ』と『のうりん』のポスターが挙げられよう。


 前者に関しては、民間企業が作成し当初は志摩市が公認した、海女をモチーフとしたキャラクターであった。しかし、前述の「乳袋」のほか、太ももの露出などの性的強調表現を多用したデザインであり、現役の海女を含む市民から批判があった。


 後者は美濃加茂市観光協会がコラボとして、アニメ『のうりん!』を利用したポスターを公開したものである。やはり(前出の二作に比べてもかなり露骨な)性的強調表現を利用したことで批判が集まった。


 この2つは、一方が志摩市の公認、もう一方が美濃加茂市観光協会のコラボという、公的な組織による利用だったことが日本赤十字社の件と共通している。性的強調表現に必然性はなく(そのことは美濃加茂市の観光ポスターが批判後により穏当なものに差し替えられたことからも明らかである)、やはり避けるべき表現であったことは言うまでもない。


 さらに、蒼志摩メグに関しては、実在する職業がモデルになっていることが重要である。

 「美人すぎる海女」といった言葉が一時人口に膾炙したことからもわかるように、歴史的に見ても、海女という職業は、そもそもただの「女性の漁師」であるにもかかわらず、性的にまなざされ利用されてきた来歴がある。


 そのような背景のある職業について、絵で描くという現代的な手法により再び性的に利用しようとすれば、当事者から反発が生じるのは必至であろう。


 また、実在する職業を性的強調表現に利用すれば、その職業に就く人々が特に被害を受ける可能性が高くなる。そのような観点からも、実在する職業に対する性的強調表現はそうでないものに比べて許容範囲が狭くなるだろう。


 ともあれ、本項で取り上げた献血ポスターやその他2つの事例は、公的な組織が、公の場所で、性的強調表現を使用したことが問題である。そのような立場の組織が広告を打つのであれば、より穏当な表現を使用すべきである。

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