3-2 ポルノの悪影響に関する心理学的知見
本稿では、ポルノが性犯罪に悪影響を与える可能性があることを示唆する心理学研究を紹介する。
もっとも、本稿で触れる研究は少量で、かつ極めて限定的な範疇のものにならざるを得ない。世界に無数に存在する研究をレビューするのは困難であり、それができるなら筆者はこんなところで公開するのではなく、レビュー論文として学術誌に投稿する。
とはいえ、第1章で述べたように、限定的な証拠であっても、ゾーニングの要求には十分である。ゾーニングが要求するのはあくまで、公に性暴力表現を置くべきではないということだけだからであり、これほど弱い要求を根拠づけるためには、提示した心理学研究の知見が限定的であっても問題とはならない。
Paolucchi, O. E., & Genuis, M., & Violato, C. (2000). A Metaanalysis of the published research on the effects of pornography. The changing family and child development, Aldershot: Ashgate. pp.48-59.
これは英語圏で出版された、ポルノと性暴力の関連を検討した研究のメタ分析である。メタ分析というのは、複数の研究のデータをまとめて再び分析する手法を指す。心理学研究においては、1つの仮説に対し矛盾する結果を示す研究が複数出版されることは珍しくないため、このような手法でデータを分析しなおし、真の結果がどうであるかを推測する。
この研究の分析によれば、ポルノに多く触れている者は、そうでないものに比べ、暴力的な性行為といった行動や、女性をモノとして扱うような態度が3割ほど増えることが明らかになっている。つまり、ポルノは性暴力に限定的かもしれないが悪影響を持つということである。
湯川進太郎・泊 真児 (1999). 性的情報接触と性犯罪行為可能性:性犯罪神話を媒介として 犯罪心理学研究, 37, 15-28.
国内の研究も紹介しておこう。この研究は質問紙調査により、ポルノの悪影響を検討したものである。分析の結果、ポルノの受容が性暴力に繋がることを示唆している。
ただし、ポルノの受容は直接性暴力を増加させるのではなく、友人や知人とのやり取りによって暴力的性の受容を増加させることを介して増加させることに留意が必要である。しかし、少なくともポルノに悪影響があること、ないし悪影響がないとは言えないことを示すには十分であろう。
石井光太 (2019). 虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか 平凡社
これは心理学研究ではなく、ルポタージュであり、従って本書の内容をどこまで一般化できるかという点については保留がつくが、興味深い内容があるので紹介する。
本書は非行少年の背景を追ったものであり、その中には性犯罪によって刑事処分を受けた者も含まれている。
そのような非行少年が性犯罪に走った原因として、ポルノが取り上げられている。
非行少年の暮らす環境というのは、適切な性的関係に関するローモデルが存在しない環境であることが多い。周囲の知人は性暴力の経験を誇り、両親ですら家庭内でレイプまがいの性行為を繰り返すという実態が、本書では取り上げられている。
そのような環境では、ポルノで描かれているような、暴力的な性行為があくまで創作上のファンタジーであって、実際にはしてはならないことであると判断することは極めて難しい。創作上で肯定的に描かれ、周囲でも同様に行われていれば、その行為が問題ある行為だと考えることは困難だろう。判断力の未熟な少年であればなおさらである。
最後に、具体的な研究ではないが、心理学の理論的にも、ポルノが性犯罪を増加させかねない可能性があることを指摘する。
その可能性は、バンデューラの社会的学習理論から説明できる。
社会的学習理論とは、人間が実際に行動するだけでなく、他者の行動とその結果を観察するだけでも学習ができることを示した理論である。
この理論を示した著名な実験に、以下のようなものがある。
ある子供に、2つの映像のうちどちらか一方を見せる。1つは人形を攻撃する映像で、もう1つは単に遊ぶ映像である。すると、前者の映像を見た子供は、同じ人形への攻撃行動が増えた。つまり、映像の行動を子供は真似したのである。
勘違いされやすいことなのだが、重要なのは、単に攻撃する映像を見ることというよりはむしろ、攻撃が容認され、また場合によっては報酬によって称賛される場合に、このような学習が起こりやすいということである。
学習心理学の基本原理では、ある行動に報酬を与えると行動は増え、罰を与えれば減る。ラットであれば報酬は水やえさだが、人間であれば社会的な承認も報酬として機能しうるだろう。
ここに、性暴力表現が公に存在することの重要な意味がある。
繰り返しになるが、公に存在するということは、それが公に存在してもいいものであることを示唆する。つまり、性暴力が社会によって容認されている状況を作り出す。
性暴力に関しては、場合によっては、男権主義的なコミュニティにおいては、性暴力を振るうことが男らしさの象徴として称賛される場合がある。かつて自民党議員だった太田誠一氏が「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」などと発言したように、このような発想は一部の不良グループにみられる特殊なものであるというわけではない。いわゆるオタクと呼ばれる人々が、声優やアイドルのSNSアカウントにセクハラめいたリプライを送り付け、その過激さを競うのもこの変種であるといえよう。
ともあれ、性暴力が明確に悪行であると断じることのできない社会においては、創作上の性暴力やそれに対する称賛も、単なるフィクション上のことではなく、社会的な学習の対象として理解されかねない。ゆえに、ポルノが人々に悪影響を与えうるのである(もっとも、裏を返せば、成熟した社会であればこのような悪影響は社会の良識が打ち消せるとも言えるが)。
以上のような知見から、ポルノが限定的ながら、性暴力に悪影響をもたらす可能性が示される。
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