第363話 虫の知らせ

 

「はぁ……なんやかんや今日もいろいろあったな……」


 西日が差し込む頃、やっと部屋に戻ることができた。

 緊張感から解放されてだらしなく座る。今すぐ畳に横になりたいくらいだ。


「まさか森に散歩に行ってポイズンマッシュルームに襲われるとは思いませんでしたよね」

「そうだな」


 ポイズンマッシュルームに襲われ、ビュティによる菌糸を丸ごと捕食……ではなく、採取するシーンを目撃し、何故か全員から俺のせいにされた後、早急に切り株の城に戻って報告を上げた。

 ユグシール樹国の担当者に、森都の風上でポイズンマッシュルームの出現を話した際、彼らはそろって目を丸くし、絶句した。見る見るうちに顔は青くなり、その顔には『冗談だと言ってくれ』という懇願の色さえ見えた。

 残念ながら本当のことだ。冒険者ギルドの受付嬢でありヴァナルガンド家族長代理であるシャルの言葉もあって、緊急調査隊&討伐隊が組まれることに。

 即座に戦時中のような緊張感と慌ただしさに包まれた城の中。

 数時間をかけて広範囲を調査し直した結果、森都の風上に新たに2ヶ所の菌糸を発見したという報告があった。

 2ヶ所の菌糸は周辺の木々や土ごと燃やし尽くされたらしい。

 現在は、菌糸が残っていないか調査中とのこと。


「このまま見つからないで胞子を放出してたらもっと大変なことになってたからな。被害を未然に防げたから良しとするか」

「そうですね。ポジティブに考えましょう!」


 リリアーネが優しく微笑んでお茶菓子であるお饅頭を半分こして渡してくれた。

 夕食前だが、お饅頭の半分くらいなら食べてもいいかな。

 疲れた時には甘い物が良い。餡子の程よい甘さが身に染み渡る。


「シラン! 私にもちょーだい。あ~ん!」


 俺の背中に抱きついている幼馴染が耳元で囁いた。熱い吐息が耳に吹きかかる。

 無言で食べかけのお饅頭を差し出すと、パクリと齧られ、肩に咀嚼の振動が伝わってくる。


「ん! 美味しい!」

「……ジャスミン?」

「なに?」

「なんで抱きついてるんだ?」

「抱きつきたいから?」

「なんで?」

「今、休憩中だから。休憩中くらいイチャイチャしたいの!」


 ほんの数カ月前ではあり得なかった光景だ。

 人前でイチャイチャするなんてはしたない、と俺を諫める女性がジャスミンだったのに、今では人の目があるのに自らイチャイチャするんだな。

 まあ、ほとんど身内だからいいけど。

 一歳年上のツンツンしていた幼馴染はどこへ行った……? 何がどうなったら頬擦りしてくるほど甘えん坊になるんだ……。

 可愛いから原因なんてどうでもいいや!


「一応気は抜いてないわよ。帯剣してるし」

「柄が体に当たって痛いんだが」

「鎧を外しただけ感謝してよね!」


 はい。感謝します。胸の柔らかさが至福です。ありがとぉー!

 背中に伝わる胸の柔らかさを噛みしめていると、クイクイッと服が引っ張られた。


「シーラン。麿マロもお饅頭が食べたいのぉ」

「はいはい。どうぞ」

「うむ! 美味でおじゃる!」


 さてさて、今回ポイズンマッシュルーム発見の本当の功労者のシャルはどうしているかな? 彼女がソワソワして外で運動したいと言わなければ俺たちは森に行かなかったわけだし……。


「胃が……胃が痛いですぅ……」


 もはや仔狼状態ではなくなった金の狼の獣人と銀の狼の獣人に挟まれて、彼女は体を限界まで小さくして座っていた。

 狼耳はペタンと垂れ、今にも泣きそうなほど涙目。


「シャルは本当に可愛いですね」

「いい子いい子ぉー」

「な、なんか、首の後ろがゾワゾワしますぅー……きゃうん!」


 首の後ろがゾワゾワ?

 日蝕狼スコルさん、月蝕狼ハティさん。可愛がるのもほどほどにね。彼女、ストレスで胃に穴が開きそうだから。


「こ、この絡み方……ぜ、絶対にあの方々ですよぉー……」

「あの方々って」

「何のことかなぁー?」

「ひぃっ!? な、何でもございませんです! はい! 何もわかりません! 私、何も覚えていませんですぅー!」


 パワハラは止めなさい、パワハラは。

 正直、口止めしてもらえるのはありがたいけど…………って、何も考えずにバラしたのはスコルさんとハティさんだった! 今度お仕置きしておくか?

 お仕置き内容を考えていると、どこからか声が聞こえてきた。


『シィ~~ラァ~~ンゥ~~どぉ~~のぉ~~っ!』


 ――バタッ!?


 勢いよく部屋の障子が開かれた。やって来たのは深緑の森を連想させる翠玉エメラルドの瞳を爛々と輝かせたアイル王女殿下。

 はだけた浴衣姿の美しいエルフ。一瞬ドキッとしてしまった自分に驚いた。


「シラン殿! 並びにドラゴニア王国の皆々様!」


 堂々と仁王立ちして仰々しく喋り出したアイル殿下の雰囲気に俺たちは呑まれる。


「な、なんだ?」

「この国を救っていただき誠に感謝申し上げまする! 父、樹王ディモルフォセカと母、樹王妃メランの名代として感謝を!」


 ピョンッ! ビッターン! と効果音が付きそうなほど華麗なジャンピング土下座をキメたアイル殿下は、畳の上で綺麗に丸まって微動だにしない。

 惚れ惚れする程美しい土下座である。

 あ、そうだ。言葉を返さなきゃ。


「あの、はい。どういたしまして……」

「シラン。樹王陛下と樹王妃殿下の名代にそんな軽い言葉を返していいの?」


 背後からジャスミンのお小言が。


「つい思わず……アイル殿下が真面目にしているとなんか調子狂う。というか、ジャスミンも離れろよ。陛下の名代に失礼だろ?」

「あっ……」


 自分だって人のことを言えないじゃないか。


「シラン殿たちがポイズンマッシュルームに気付かなければ、今頃この森都は、この国は、どうなっていたことか!」

「全部偶然だから。未然に防げて良かった。これで十分だ。だから顔を上げてくれ」


 ゆっくりとアイル殿下が顔を上げると、額が真っ赤に染まっていた。ジャンピング土下座で畳に打ち付けたのだろう。


「謝礼は何が欲しいでござるか!? シラン殿の希望に沿うよう父と母から言われているでござる! 何なりと!」

「いやいや。そんなの要らないから」

「いやいやいや! そういうわけにはいかないでござる!」


 いやいや、いやいやいや、と遠慮合戦が勃発。どちらも譲らない。


「父と母はイルミンスール家やミキリア家の家督を譲っても良いと! シラン殿はドラゴニア王国の第三王子というお立場なのでぜひ樹国へ来ていただき、喜んで押し付け……譲ると!」

「……今、押し付けるって言わなかったか?」

「言って無いでござる! 言い間違い……聞き間違いでござる!」


 アイル殿下さんや? 隠す気ある? 


「樹国の王や族長は血筋よりも有能さで決まるでござるからな。シラン殿が樹国に来てくだされば、族長を押し付けられ……ゴホン! 族長になることもできるでござる!」


 族長になって、貧乏くじを引かされ、そのまま玉座を押し付けられるのは簡単に想像できる。

 樹王陛下も樹王妃殿下も押し付ける気満々じゃないか。

 実に面倒臭い。丁重にお断りさせていただく!

 俺はのんびりイチャイチャと過ごしたいんだ。


「どうでござるか!?」

「お断りしまーす!」

「拙者や妹も付くでござるよ!」

「姉上……何故勝手に麿マロを景品にするでおじゃるか?」

「それくらい良いでござろう! 世界樹様のご主人様でござるよ! これ以上ない最優秀物件でござる! アイラもそう思わぬか!?」

「それは思うでおじゃる!」

「そうでござろう!」


 グッ、とサムズアップし合う双子姉妹。似た者同士だ。

 最優秀物件とか、そういうのは本人がいない場所で話してくれませんかねぇ。


「って、何故アイラがシラン殿の膝の上にぃっ!?」

「そんなことどうでもいいでおじゃろう。シーラン、お饅頭」

「はいはい。どうぞ」

「うむ!」


 若葉を思い起こす橄欖石ペリドットの瞳が俺を見上げて口をパクパク。小動物にエサを与える気分でお饅頭を食べさせ、背後からジャスミンも突いておねだりしてきたのでア~ン。

 ほとんど食べないうちに最後の一口になってしまった。

 ぱくっ。もぐもぐ。美味しい。


「どうでもいいわけがあるかぁー! いつから!? いつからでござるか!?」

「おじゃモグモグ」


 食べている最中は喋りませ~ん、と言いたげに上品な動作で咀嚼する妹。業を煮やした姉は翠玉エメラルドの瞳で俺を睨む。


「シラン殿!」

「結構前だぞ。疲れた様子でフラフラとやって来たかと思うとこの通り」


 まるで自分の席だと言わんばかりに俺の足の間にすっぽり座ったんだ。見た目が幼女だからあまり強く言えなくて……今に至る。


「愚妹を甘やかさないでくだされ! すぐに調子に乗るでござるよ!」

「姉上、姉上!」


 アイラ殿下は俺の腕を自らのお腹に巻き付かせ、豊満な胸を強調。更には俺に盛大にもたれかかってニヤリ。


「どやぁ~!」


 ――ブチッ!


「この駄肉ぅ~!」


 どこかで何かが切れる音がして、アイル殿下が妹に飛び掛かった。当然アイラ殿下の椅子となっていた俺も巻き込まれるというわけで――


「体脂肪率が高いデブ妹がぁー!」

「ちょっ! 痛っ!」

「デ、デブではないでおじゃる! おっぱいが大きいだけでおじゃるもん!」

「ぎゃっ! 叩くな!」

「あぁー! 肩や背中が痛いでおじゃるぅ~! おっと。姉上にはこの辛さがわからないでおじゃるね。すまぬのぉ~」

「変なところに手を入れるな!」

「引き千切ってやるでござる! ふんぬぅー!」

「どこ触ってる!? そ、そこはっ!」

「シーラン助けてぇ~! 姉上が怖いでおじゃるぅ~」

「なにかわい子ぶってるでござるか!」

「だから手を……そこから手をぉ~!」

麿マロ可愛いも~ん!」

「118歳が何を言っているでござるかっ!? 年齢を考えるでござる!」


 フゥーフゥーと息を荒げて睨み合う翠玉エメラルド橄欖石ペリドット

 ドッタンバッタンと暴れまわす姉妹喧嘩に巻き込まれ、俺たち三人は浴衣がはだけてほとんど裸に。揉みくちゃになったことで汗もかいた。

 今誰かが入ってきたら事後の光景と誤解されそうだ。

 疲れた。体のあちこちが痛い。叩かれて引っ張られて引っ掻かれて撫でられて……散々な目に遭った。

 何より一番傷ついたのが、この場にいる女性たちが誰も俺を助けてくれなかったことだ。

 皆スルー。見えているのに見えていないフリをして穏やかに談笑してた。

 助けてよ……。大変だったんだから……。


「あ、シャルさん。お風呂に入りませんか?」

「いいですね、リリアーネ様! お背中をお流ししますよ!」

「休憩時間はまだあるから私も入ろうかなぁー」

「ジャスミン様もどうぞどうぞ! 皆で洗いっこしましょう!」


 立ち上がってお風呂の支度を始める女性陣。最後まで俺を無視するつもりか……。


「あ、麿マロもお風呂に入るでおじゃるー!」

「お目付け役として拙者も同行するでござるよ!」


 今まで喧嘩して睨み合っていた双子の姉妹は、コロッと仲良くなって女性陣と楽しくお喋りしながら部屋を出て行った。

 ポツーンと部屋に残された俺。静寂が心に染みる。


「男の扱いってこんな感じだよな……」


 窓の外は世界が真っ赤に染まるほど美しすぎる黄昏の空。美しすぎて逆に不吉だ。


「あの、殿下? あまりお気になさらず……」


 おずおずと声をかけてくれたのは部屋に残ってくれた唯一の女性ランタナ。

 傍にいて欲しいときに居てくれるよな、ランタナは。

 弱った時に寄り添ってくれる姉のような女性。俺、ランタナみたいな姉が欲しかったよ……。

 俺は、不気味なほど綺麗な夕陽に照らされた森都を窓から眺める。


「――ランタナ」

「っ!? はい」


 突如、俺の声音が変わったことに気づいて、ランタナが息を飲む気配がした。


「感じているか?」

「……はい」


 簡潔すぎる質問に彼女は『何を?』と聞き返さずに返答する。

 そっか。やはり彼女も感じているか、

 ずっと心がモヤモヤしている。そのモヤモヤがだんだんと大きくなっている。

 これはただの勘。何の根拠もない勘。だが、俺もランタナも違和感を感じている。

 シャルもずっと首の後ろがゾワゾワしていると言っていた。獣人の第六感は侮れない。

 このまま何も起こらないといいが。


「言うまでもないが警戒を」

「はっ!」


 敬礼するランタナを満足げに見る。彼女に任せていれば安心だ。


「さぁ~て、俺も風呂に入るかなぁー」


 ふっと気を緩めて大浴場に向かいかけて俺は気付いた。


「シャルやアイル殿下、アイラ殿下も入ってるっけ? そこに突撃するのは不味い……よな?」


 ランタナに意見を求めると、一瞬目を泳がせて小さくコクリと首が縦に動いた。

 だよなぁー。双子姉妹とは一緒にお風呂に入ったこともあるけど、流石にシャルはダメだよなぁ。

 そうだ! この部屋にも浴室が備え付けられていた。そこでいいじゃないか!

 偶には一人風呂も悪くない。


「風呂風呂ぉ~…………この部屋の風呂に入るが、ランタナも一緒に入るか?」


 冗談半分で問いかける。

 夕陽が差し込み逆光の中に立つ琥珀アンバーの美女。眩しくて顔色がわからない。


 彼女がどんな決断をしたのか――




 それは俺とランタナしか知らない。









================================

あれ? こうなる結末じゃなかったのに……何故こうなった?


まあいいや! 本作品が700万PV突破したので!

読者の皆様、本当にありがとうございます!

これからも応援よろしくお願いします。


(2021/10/23 作者:クローン人間)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る