第361話 霞

 

 先手を取ったのはやはりシャルだ。

 獣人特有の素早さを生かし、リリアーネの背後へと回り込む。

 リリアーネは糸を飛ばして攻撃するが、警戒する獣人の察知能力で悉く糸が切られてしまう。


「よっ! ほっ! とりゃー!」


 可愛らしい声とは裏腹に、野生の獣のようにしつこく追うシャルは、飛ぶ爪撃でリリアーネの動きを牽制。彼女の逃げ道を防ぐ。狩人らしい戦い方だ。

 バックステップで逃げるしかないリリアーネは徐々に追い詰められていく。


「こ、これは……」

「観念したらどうですかぁー?」

「まだまだ……ですっ!」


 獣と化した腕から繰り出される攻撃を辛うじて避け、バク転で距離を取るリリアーネの体が突如大きく跳ね上がった。バク転の途中で弾力のある糸を踏み、空中へ高く跳び上がったのだ。


「そんな! ……なぁーんてね! 予想してましたよ!」


 ググッと膝を曲げたシャルが、穴が開くほど地面を強く蹴ってリリアーネめがけて勢いよく突っ込んだ。

 足を獣化させたことによる瞬発力と脚力とバネを使った強引な跳躍である。

 牙を剥き出して獰猛に微笑んだシャルが腕を振りかぶる。

 鈍く輝く鋭利な爪がリリアーネへと――


「これで終わりです!」


 驚くリリアーネの首筋に爪を押し当て寸止め。

 勝負がついた。

 勝利を確信し、気を緩めたその時、


「ふぇっ!?」


 シャルの口から間抜けな声が漏れ出た。

 何故なら、目の前のリリアーネの姿がぼやけて消え去ったのだ。

 油断したな、シャル。まんまとリリアーネの術中にはまった。審判の騎士は勝利宣言をしなかったぞ。


「偽物!? げ、幻影ですとぉー!? し、しまった!」


 地面でニッコリ笑顔を浮かべて待ち構えている本物のリリアーネが姿を現す。

 実は、バク転の途中で入れ替わっていたのだ。空中に飛び上がるあの一瞬だ。

 シャルが幻影に引っかかっている間に、リリアーネは地面で糸の罠を作り終えていた。

 空中のシャルは重力に引かれてただ落ちるだけ。虚空では移動する手段がない。

 何故だろう。ニッコリと微笑むリリアーネが、狡猾に罠を張り巡らせる女郎蜘蛛を連想させるのは。

 美しい蝶を待ち構える肉食の狩人……純真だった深窓の令嬢はどこへ行ってしまったのだ。キスで子供ができると信じていたあのリリアーネは。


「いらっしゃいませ!」

「い・や・ですぅー! GaaaAAAAAAAAAAAA!」


 二度目の《獣の咆哮ビースト・ロア》。空中で放たれた咆哮が地面に張り巡らされた罠を吹き飛ばし、燃やし尽くす。

 地面の土が舞い散り、粉塵で視界が悪くなった。

 こういう時、獣人の鋭敏な聴覚は優秀だ。視界が悪くても周囲の状況を把握できる。

 軽やかに着地したシャルは油断せず周囲を警戒。頭の狼耳がピコピコ動き、微かな音も聞き逃さない。


「これは……全方位!」

「「「 ふふふっ! 」」」


 土埃から気配無く静かに飛び出してきたのは8人のリリアーネだ。

 姿形は全く同じ。素人では見抜けないほどよくできた分身だ。ちゃんと実体がある高度な技。

 一体いつの間にこんな技を習得したんだ。ナイフに毒を塗ってても俺は驚かないぞ……。

 シャルの周囲を囲んで同時攻撃。八方向からのナイフによる攻撃がシャルを襲う。


「全方位攻撃というのは……こういう対処法もあるんですよぉー! 《爪撃》!」


 その場で回転しながら全方位に攻撃を繰り出すシャル。

 複数人による全方位攻撃は対応は難しい。相手が強者であればあるほど防ぐのが困難だ。

 個々で対応できないのなら一度に纏めて攻撃すればいいじゃない、という脳筋的発想のもと生まれた対処法の一つというのが、全方位への範囲攻撃である。


「全員吹っ飛びましたねー!」


 シャルの攻撃に耐えきれず、リリアーネの分身は消失してしまった。

 つまり、分身の中に本物のリリアーネは存在しなかったということでもある。


「周囲に気配なし! ならば上空! …………にもいないっ!?」


 気配を探るが察知できないようだ。

 さてさて、リリアーネはどこにいるのかな…………あれ? 俺の探知にも引っかからないぞ?

 え、本当にどこにいるんだ? あれ? あれれ? どうやっても場所を把握できない。どうなっているんだ?


「どこにいるんですかぁー!?」


 俺もシャルも混乱していると、


「っ!?」


 不意にシャルは動きを止めた。獣化を解き、戦意を喪失。ゆっくりと両手を挙げる。


「……参りました」


 シャルは降参の言葉を呟いた。

 観戦する俺や騎士たちも何が起こっているのかさっぱりわかっていない。近衛騎士も不思議そうだ。


「《霞》」


 凛とした美しい声がどこからか聞こえ、シャルの首筋にナイフを突きつけたリリアーネの姿が、世界から溶け出すように出現した。

 霞を纏っていた体が実体を取り戻す。

 一体いつの間にシャルの懐に潜り込んでナイフを突きつけたんだ……。

 さっぱりわからない。近衛騎士たちも突然のリリアーネの出現に目を丸くして驚いている。

 唯一驚いていないのは、よく彼女と訓練をしているジャスミンくらいだろうか。


「しょ、勝者! リリアーネ様!」

「はい。ありがとうございました」

「ありがとうございましたぁ~……うぅ。負けちゃいました……」


 審判の勝利宣言で戦闘という名の運動が終わった。

 良い汗をかいた美しき女性二人が観戦していた俺たちのところへやって来た。

 スッキリした表情で……何故かエロい。汗をかいて火照った肌の女性って色っぽいよね。


「シラン様! 私、勝ちましたよ!」

「ああ。見てたよ。リリアーネは強くなったなぁ」

「ありがとうございます。ですが、私なんてまだまだですよ。もっと頑張ります!」


 両手をグーにして気合を入れるガッツポーズ。頑張るアピールのその動作が可愛らしいこと。


「ランタナ」

「はい、殿下」


 傍にいたランタナに俺は呼び掛けた。


「リリアーネの最後の技、気配を見抜けたか?」

「……いいえ。無理でした」


 近衛騎士団の部隊長であるランタナもリリアーネの位置を見抜けなかったようだ。

 ランタナでも無理だったかぁ。

 橙色の琥珀アンバーの瞳が真剣で鋭い。ランタナが警戒するのも無理はない。気づけなかったということは、敵が同じ技を使ったら暗殺し放題ということである。


「リリアーネ様、最後の技の詳細を伺ってもよろしいでしょうか?」

「そうですよぉー! 私も全然察知できなかったんですからぁー。ビックリでした!」

「《霞》ですか? 私もまだ練習中で十回に一回ほどしか成功しない技なんです。成功しても十秒ほどで……。私は何となく使っているのですが、えーっと、気配を消すのではなく偽って世界と一体化する、世界と溶け込む、ような技らしいです」


 軽く言っているようですけど、何という高度な領域の技を使っているんだ。

 そこにいるのに誰も認識できない……いや、無意識に行う瞬きや呼吸のようにあまりに自然すぎて気づけない、という状況を作り出す技のようだ。

 理論はわかる。でも実践は出来ない。俺も使い魔も誰一人使えないのでは? 世界樹であるケレナが出来るかも、という領域である。

 それを何となく使っているなんて……リリアーネさん、正気ですか?


「予想以上にぶっ飛んでますねー!」

「そうですか?」

「他に誰かなんか言ってたか?」

「いえ。でも、ハイドさんやネアさん、ソラさんが呆れてました」

「でしょうね!」


 彼女たちが呆れれるなんて相当のことだ。リリアーネの才能のぶっ壊れ具合に言葉を失っている様子がありありと目に浮かぶ。


「あ、この技は私にしかできないだろう、と言われました!」

「だそうだぞ、ランタナ」

「……対処法を考えます。気配察知を極めれば……」


 真剣に悩み始めたランタナ。うーむ、と可愛らしい唸り声をあげていたその時――突如、ランタナが目にも止まらぬ神速の動きで愛用の細剣レイピアを抜き放った。

 一瞬遅れて俺の索敵に違和感を感じ取り、シャルの耳がピクッと反応。


「総員! 警戒!」


 ランタナの鋭い声をかき消すかのように、地面から何かが飛び出してきた。

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