第360話 受付嬢VS令嬢

 

 太陽の光が降り注ぐ森の中で、動きやすい服装を身に纏った二人の美女が向かい合って立っていた。


「準備はいいですか、リリアーネ様!」

「ええ。もちろんです!」


 審判役の騎士の一人に合図を送り、開始の掛け声を待つ。

 一人は獰猛に笑い、もう一人は穏やかに微笑んでいる。

 二人の間を爽やかな風が吹き抜けていった。


「では両者構えて……始めっ!」


 黒いフェンリルの獣人シャルが先に仕掛けた。

 獣人特有の馬鹿げた瞬発力を発揮し、一瞬にしてゼロからトップスピードへと移行。瞬く間に距離を詰める。

 笑いながら繰り出された拳をリリアーネは軽く身をズラすだけで避ける。珍しく動きやすいよう一つ結びにした黒髪がサラリと舞う。

 美しい蒼玉サファイアの瞳はシャルの速度を捉えていた。


「へぇ!」


 まさか深窓の令嬢に避けられるとは。愛嬌のある受付嬢から野生の捕食者ハンターの瞳となったシャルがそう言っている気がした。

 近くの森へと散歩というかピクニックに来た俺たち。俺はそのままのんびりするつもりだったのだが、体を動かしたいシャルと同じくそういう気分になったリリアーネが意気投合。模擬戦をすることになったのだ。


「意外とやりますね、リリアーネ様!」

「そうでしょうか?」

「喋る余裕もある、と。これは良い汗がかけそうです!」

「私もです!」


 何故『体を動かす』=『戦闘』になるのかわからない。走るとかスポーツとかあるじゃん。なのに戦闘。女性陣が血気盛んだ。

 まあ、本人たちが楽しそうだからいいか。

 周囲には護衛騎士たちもいる。大きな怪我にはならないはず。危ないのなら止めてくれるだろう。

 俺は大人しく観戦することにしますか。


「はっ! やぁっ!」


 シャルが繰り出す拳や突きや蹴り。リリアーネは最小限の動きでことごとく避けている。半身をずらしたり、背筋をのけ反らせたり、まだまだ余裕そう。

 予想以上にリリアーネが戦えることにシャルは歓喜し牙を剥く。


「次は私からいきますよ!」

「おっとぉっ!? 足癖が悪いご令嬢ですねぇ」


 リリアーネの美脚が空気を切り裂いた。反射神経を駆使してシャルは楽々と避ける。


「シラン様にはご好評ですよ?」

「そ、それはどういう意味でご好評なのですか……?」

「足先でスゥーッと体を撫でてあげたり、くすぐってあげたり……」

「殿下にそういうご趣味が……」


 ちょっとぉー! 変なことを暴露しないでくれませんか! シャルもドン引きの眼差しを俺に向けてないで運動に集中しようよ!

 俺に精神的ダメージを負わせたリリアーネの蹴りの連撃。シャルは全て掻いくぐる。


「どわっ!?」


 蹴り主体の攻撃ばかりしていたリリアーネ。また蹴りだと思わせておいて、振り抜かれたナイフ。

 もちろん刃は潰してある訓練用のナイフである。

 驚きの声をあげたシャルは、咄嗟にバク転で距離を取った。

 開始前のように向かい合う二人。ただ、立つ位置は逆である。


「危ない危ない……」

「惜しかったです」

「真っ直ぐ喉元を狙ってきましたよ。殺意高いですねぇー!」

「うふふっ。何のことでしょうか?」

「くっ! 笑顔が美しいですぅ!」

「シャルさんもお美しいですよ」

「えへへ。それはありがとうございます!」


 本気で照れながらシャルは何気なく腕を振るった。


「《爪撃》」


 不意打ちの斬撃。飛ぶ獣の爪撃がリリアーネへ襲い掛かる。


「《閃撃》」


 おっとり微笑んだリリアーネも刃が潰れたナイフを一閃。

 斬撃が飛び出し、爪撃と衝突。威力が同じだったのか、お互いの攻撃は消滅した。

 二人は一歩も動かずに腕を振るい続ける。

 近接戦闘の後は遠距離攻撃。ちょうど向かい合う二人の中間地点で攻撃がぶつかり合う。

 突如、遠距離攻撃をやめたシャルが走り出した。


「よっ! ほっ! とぅっ!」


 リリアーネの斬撃の隙間を軽やかに掻い潜り、弧を描いて距離を詰める。


「もらいましたぁー!」


 腕を突き出し、リリアーネに触れる。その直前――


「っ!?」


 慌てて手を引っ込めてシャルは大きく後ろへジャンプした。警戒心をより一層強め、ガルルル、と唸り声をあげている。

 涼しい笑みを浮かべるリリアーネと睨み合う。


「今のも惜しかったです」

「もう! 危ないですよぉー」


 爪撃が何かを切り裂いた。木漏れ日に照らされて薄っすらと切り裂かれたものがキラキラと光る。


「いつの間に仕掛けたんですか、これらの糸」


 彼女の言う通り超極細の糸である。気づけば、周囲の木々を介して大量の糸が張り巡らされていた。リリアーネによる静かな攻撃だ。

 糸による攻撃を野生の勘で察知して、シャルは慌てて身を引いたのだろう。あのまま気づかなければ、今頃シャルは糸に捕まっていたに違いない。


「バレちゃいましたか」

「冷や汗をかきましたよぉー」

「そんな風には見えませんけど?」

「あれ? そうですか?」


 獰猛に闘志を燃やしている姿に冷や汗は一筋もない。

 シャルはケモ耳をピョコピョコ動かし、


「そこっ!」


 背後から静かに迫った糸を切り裂いた。驚くリリアーネ。ドヤ顔のシャル。


「ふっふーん! 獣人の聴覚を嘗めないでください!」

「……驚きました」

「ということで、どんどん攻めさせていただきますよ! 《爪撃》!」


 獣の爪が目に見えないくらい極細の糸を切り裂いていく――誰もがそう思ったに違いない。


「へ?」


 シャルはクリッとした大きな瞳を丸くした。

 真っ直ぐに空気を切り裂く爪撃が途中で停止し、まるでゴムの反発のように逆方向へ、攻撃者のシャルの方向へと軌道を変えたのだ。


「どわっ!? あ、危なかった……」


 自身の攻撃を慌てて避けて額を拭うシャルを見たリリアーネが、うふっ、と微かな笑みをこぼす。


「《弾み糸》」


 タンッと軽やかに地面を蹴ったリリアーネは上空に舞い上がった。

 リリアーネが空を飛んでいる。いや、跳んでいる。弾力のある糸を踏んで空を自由自在に跳ね回っているのだ。

 蒼い天女がここにいる……。

 おいおい。いつの間にこんな技を身につけたんだよ。

 驚きや感心を通り越して呆れの領域に至ってしまったじゃないか。


「うっそぉー。そんなのありですか……」


 ここにいる全員の心境をシャルが代弁してくれた気がする。

 本当にそうだよな。そう思うよな。


「こうなったら直接爪で糸を切ってやりますよ! ほりゃ! ……わわっ!? なんじゃこりゃー! 糸が絡みつくぅー!」


 慌てふためくシャルへと仕掛けた美女の声が降り注ぐ。


「《粘り糸》」


 粘着力のある糸が手に絡みついて鬱陶しそう。

 隙を見逃さず、リリアーネは仕掛ける。弾む糸の弾力を利用して加速。一直線にシャルへ。


「あぁもう! 《部分獣化》!」


 シャルの手足が獣のものへと変化。瞳が野獣の如く冷たく鋭利に。


「からのぉ~、《まとい・炎狼》!」


 全身が赤い炎に包まれた。自傷攻撃ではなく、炎を纏って自らの力とし、絡まる糸を焼き払う。


「さらにさらにぃ~、GaaaAAAAAAAAAAAA!」


 毛並みが血のように赤黒く染まった炎の狼の《獣の咆哮ビースト・ロア》。魔力が籠った灼熱の轟音が辺り一帯に轟き、張り巡らされた糸を吹き飛ばし燃やし尽くす。

 無差別攻撃に観戦していた俺たちまで巻き込まれそうになったけれど、ここはさすがの近衛騎士団たちだ。精鋭たちはあっさりと《獣の咆哮ビースト・ロア》を斬り裂いて無効化する。


「くっ!」


 細身のリリアーネは耐えきれず、吹き飛ばされる。

 でも、空中で身を翻し、ちゃんと足で着地して勢いを殺す。

 偶然にも開始前の位置へと戻った二人は、一切目を離さず静かに呼吸を整える。

 彼女たちも、見ている俺たちにもわかる。

 次の一撃で勝負は終わりだ。どちらが勝って、どちらが負けるのか。はたまた引き分けなのか。

 それは誰にもわからない。それくらい今まで良い勝負だった。


「リリアーネ・ヴェリタス」


 リリアーネがナイフを構える。


「シャルロット・ヴァナルガンド」


 シャルが鋭利な爪を伸ばす。そして――


「「 ――参ります! 」」


 両者は同時に腰を落とし、地面を蹴って駆け抜けた。

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