第359話 黒狼のおもてなし

 

 《神樹祭》の準備が着々と進む中、俺は邪魔にならないようのんびりと部屋に引きこもっていた。

 他国なので白や外を自由に動くわけにはいかない。森都に住む人々は不安に苛まれ、一日一日を怯えて暮らしている。そんな場所をのほほんと練り歩いて観光するわけにもいかない。

 俺に出来ることはこうしてボーっとすることだけ。


「なんだか久しぶりに平和な日常を送っている気がする……。そう思わないか、リリアーネ?」

「あ、あはは……ノーコメントとさせていただきます」


 原因の一人二人、心当たりがありそうだな。言葉を濁しても丸わかりだぞ。蒼玉サファイアの瞳を逸らさずに俺を見ようか?


「ジャスミンは?」

「職務中につき――」

「またその返答か。んじゃ、ランタナは?」


 職務に忠実な幼馴染の騎士様の上司はどんな返答をするのだろう?

 ランタナは優しい琥珀アンバーの瞳を瞬かせ、


「私の日常はいつも平和ですが? 誰かさんが逃げ出すこと以外は」

「ぐっ! だ、誰かさんとは誰のことかなー?」

「ええ。誰のことでしょう」


 藪をつついて龍を出したか……。

 俺はスッと顔を逸らした。彼女の眼を見ることができない。

 最近の俺は大人しく過ごしていると思うんだ。護衛を撒いてお忍びはしていないぞ。

 まあ、近衛騎士が平和なのは良いことだ。彼らが忙しいということはすなわち、平穏な日常から最もかけ離れた状況だということ。

 このまま何事もなく平和に過ごしたいものだ。


 トントントン!


 その時、部屋のドアが叩かれた。

 何というタイミング。もしかしてフラグを立てたからか? 平和が崩れ去る報告がやって来たのか!?

 俺は密かに警戒していると、やって来たのはのほほんとした黒いフェンリルの獣人だった。シャルである。

 彼女の笑みは平和そのもの。深刻な報告をしに来たわけではないらしい。ホッと安堵した。


「お邪魔します、殿下」

「どうしたんだ、こんなところに」

「いやー、殿下のおもてなしをするように仰せつかりまして。ぶっちゃけると戦力外通告です!」

「本当にぶっちゃけたな」

「事実ですから!」


 冒険者ギルドでは超有能な受付嬢をしているシャルが戦力外通告。

 次期族長として《神樹祭》のやり方や流れを学ぶ必要があるのではないか?


「ふっふっふ。殿下の考えていることはお見通しです! ズバリ! 『《神樹祭》のやり方や流れを覚える必要があるのではないか。次期族長として!』とお考えですね?」

「……よくわかったな」

「ふふん! これくらいわからないとお貴族様の応対はできませんよ!」


 それもそうだ。腹黒貴族の言葉の裏を読んで、遠回しな言い方を理解できないと王侯貴族とやり取りはできない。シャルはできるからこそ、冒険者ギルドで貴族の窓口にもなっているのだ。


「疑問にお答えします。全部覚えたからやることが無いんです! あとは建設や装飾の皆さんに任せるだけなんです。プロのお仕事に素人が手を出すわけにはいきませんから」


 さすが超有能な受付嬢。やることはやって戦力外通告なのか。

 いや、戦力外通告よりも適材適所と言うべきか。

 客人として樹国に来ている俺たちをもてなすのも大切な役割。知り合いであるシャルが抜擢されるのも納得がいく。


「それなら仕方がないな。ゆっくりしていくといい」

「はいです! …………って、いやいやいや! 私がおもてなしをするのです!」

「何をしてくれるんだ?」

「……何をしましょう?」


 おいおい。大丈夫か? 無理しなくてのんびり過ごしていいんだぞ。平和で平穏な時間を楽しもうじゃないか。


「っ!?」


 突如、シャルが耳や尻尾、毛を逆立てて、ピンと背筋が伸びた。

 一瞬遅れて仔狼状態の日蝕狼スコル月蝕狼ハティが顕現。

 お気に入りのシャルがやって来たので表に出てきたようだ。スコルは俺の膝の上で行儀よく座り、ハティはリリアーネの太ももの上で丸くなって寝た。

 ハティさん……羨ましいぞ、そのポジション。


「よく平然とお二方に触れることができますね……」

「可愛いだろ?」

「可愛いですよね。もふもふ~!」

『わっふ!』

『どやぁ~……ぐぅ~……』


 俺はスコルの耳をモフモフし、リリアーネは寝ているハティの背中を優しく撫でている様子を見て、シャルは尊敬と畏怖の眼差しをしていた。

 そして、緊張で汗が一筋流れ落ちる。


「シャルも撫でるか?」

「無理ですお断りします遠慮させていただきますぅー! 恐れ多くて指一本触れられませんよ!」


 ブンブンと首が取れそうなほど横に振って拒否するシャル。

 俺の心にムクムクと悪戯心が湧き起こる。スコルを抱っこし、シャルへ突き出す。

 意外とノリの良いスコルが小さな前足をクイクイと動かした。

 ピシリ、と凍り付くフェンリルの獣人。お願いですから止めてください、と薄っすら涙が……。


「シラン様、女の子をイジメてはダメですよ」


 優しく厳しい声でお叱りと指導が入った。

 はい、ごめんなさい。調子に乗りました。もうしません。


「すまんな、シャル」

「……い、いえいえ」


 狼耳がペタンと垂れ、ホッと安堵の息を吐いたシャルは、救世主であるリリアーネを『感謝感激ありがとうございます!』と言いたげに拝み倒す。

 そういうところが弄りたくなるんだよなぁ。

 俺の気持ちわかるよね、スコルさん。ねっ? あ、肉球プニプニだ!


「うぐっ……胃が……母と代わりたい……」

「シャルのお母さんって忙しいんだっけ?」

「はい。ヴァナルガンド家の領地はデザティーヌ公国と隣接しているんですけど、どうも公国がちょっかいをかけてきているようで」

「……それ、大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。公国とのいざこざはよくあることですから!」


 よくあることなのか。国境付近は仕方がないか。他国とのいざこざが一番多い場所。それはドラゴニア王国も変わらない。

 シャルの話を聞いても俺や王国は何もできない。手を出したら余計に酷くなるだけ。何もしないという選択肢が正解の時もある。


「それに、どーせ母は面倒事を察して、経験を積ませるという口実で私に押し付けただけですよぉー。野生の勘は鋭いですから」

「そうなのか」

「そうなのですぅ……あぁーもう! 体を動かしたい! 森の中を駆けまわりたい! 魔物を殲滅したーい! 会議は嫌ですぅー! 飽きましたぁー!」

「んじゃ、森に行くか?」

「へ?」


 キョトンとシャルは目を丸くする。仕事中のジャスミンから『突然何を言い出すのよ』と咎める視線がビシバシ飛んできている気がするが無視。


「汚染地帯ではない方角の近くの森で軽く散歩して森林浴。これくらいならギリギリ許されるだろう? ランタナはどうだ?」

「殿下が我々の目の届く範囲に行かないと約束をしていただけるのならば許可します」

「だそうだ。シャルロット・ヴァナルガンド殿は如何かな?」


 本名を呼んで仰々しく問いかけると、彼女はキリッと敬礼した。


「精一杯おもてなしをさせていただきます!」

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