第352話 長老会議

 

「突然対価と言われても困るでしょうし――」


 ケレナが優しげな笑顔で樹国の長老たちに考える猶予を与えようとした時、樹王ディモルフォセカ陛下が立ち上がって即座に言い放った。


「樹国を差し上げます!」


 な、なんだってー! まさか国そのものを対価に差し出そうとするとは。

 普通、そんな発想は真っ先に出てこないはずだろ。

 国と民をまとめ上げ、守り通すのが国王の仕事であり責任であり義務である。

 その国王が一番に国を売る発言をするなんて……あ、この人国王を辞めたがっていたや。

 果実の対価に国を差し出し、自らは国王を辞めることができる。一石二鳥を狙ったのだろう。

 長年、ストレス性の胃痛に悩まされながらも国王の椅子に座り続けているだけのことはある。頭の回転が速い。

 しかも、長老は誰も反対しない。

 世界樹様の治める国……なんと素晴らしいことか。そう考えているのがはっきりわかる。

 彼らもアイル殿下ほどではないが、敬虔な世界樹信仰者であった。


「要りません」


 樹王陛下の提案を、ケレナは笑顔で即座にバッサリと切り捨てる。

 目論見が外れた樹王陛下はガックリと机に突っ伏した。長老たちも残念そう。


「そうでござるよ! 世界樹様がこの国なんか欲しがるわけがないでござる!」


 あ、昇天していたアイル殿下がいつの間にか復活していた。

 アイル殿下は真っ先に国を捧げようとする筆頭だと俺は思っていたんだが、どうやら間違っていたようだ。

 樹王陛下を脅すくらいはすると予想していたのに、まさかのまともな常識を持つ反対派。

 世界樹の果実を食べておかしく……いや、正常に戻ったのか?


「こんな国って……アイル、君はボクの娘なんだからね。君の国でもあるんだからね?」

「世界樹ケレナ様はシラン殿の家畜ペット様でござる。今のお立場に満足されている御方が、国という面倒なものを押し付けられてお喜びになられると父上はお思いでござるか!?」

「……思いません」

「もっと世界樹様のことを知るべきでござる! 樹王である父上は世界樹の巫女である拙者の次に世界樹様を知っておかなければならないお立場! なのに先ほどの発言……なんと嘆かわしい! 拙者は巫女として、さらには娘としてがっかりしたでござる!」


 娘の失望の眼差しが父親にクリティカルヒット。


「ぐふぅっ! 娘のその眼差しは父親に物凄く効く……」

「さすが私の巫女。この中ではご主人様を除いて一番に私のことがわかっているようですね」

「おほっ! 感謝感激! 恐悦至極! おっほぉぉぉおおおおおお!」


 褒められたことにより身体をビックンビックン。鼻の穴からはブシャーッと鮮血が噴き出した。

 うん、平常通りの『世界樹狂いせかいじゅフリーク』である。安心した。


「世界樹様! 貴女様の巫女として、愚かな考えに至った父上に世界樹様の素晴らしさを教え込んでまいりまするっ!」

「いぃ~やぁ~! トラウマだからやめてぇ~! せめて他の人にしてぇ~!」

「行くでござるよ、父上!」


 鼻血を盛大に拭い、使命感で翠玉エメラルドの瞳をギラギラ燃え上がらせた世界樹の巫女は、樹王陛下を部屋の隅に引きずっていくと正座させて、いかにケレナが素晴らしいか説法をし始めた。

 シャルを除く長老たちも顔色が悪い。一切アイル殿下のほうを見ようとしない。


「世界樹様、シラン殿下。夫と娘のことは忘れてくださいな。アレが始まったら数時間はそのままですから」

「数時間……」

「はい。娘の説法はちょっと、ほんのちょっと度が過ぎているのです。世界樹様を侮辱した者や婚約者候補だった者たちにもああやって世界樹様の素晴らしさを教え込み、場合によっては心的外傷トラウマを植え付け、女性恐怖症を発症させ、神経衰弱を引き起こさせ、相手の精神を粉砕し、引きこもりにさせてしまうのです。おかげで良い相手は見つからず……」

「最長記録はどのくらいだったかのぉ?」

「確か10日ではなかったか。それも気づいた我々が必死に止めて渋々終わらせたはず。あれは放っておけば永遠に話し続けるぞ」


 ほんのちょっと、とは? もはや狂信、狂愛、狂気のレベルである。

 アイル殿下が独身なのは『世界樹狂いせかいじゅフリーク』が原因なのか。

 今までケレナ本人がいたから『おほぉー』で済んでいるのであって、もし俺がケレナと全く関係ない一般人であったのなら、洗脳に似た説法を聞かされる運命だったに違いない。


「シラン殿下が羨ましいです。娘のアレを聞かされなくて済むのですから……」


 心底羨ましそうな樹王妃メラン殿下。娘に対する怯えで顔が引き攣っている。


「ご主人様は私の一番の理解者ですからね! ですよね、ご主人様!」

「そうかもしれないな。少なくとも、ケレナのうなじと左肩甲骨、腰には三つ並んだ小さなホクロがあることは知っている」

「その情報を詳しく!」

「うおっ!?」


 もう何度目の驚きだろうか。いつの間にか、目を血走らせたアイル殿下が隣に出現していた。顔が近すぎて鼻息が吹きかかっている。

 説法はどうした説法は。


「世界樹様の、うなじと、左肩甲骨と、腰には、小さなホクロが、あるのでござるかっ!? 腰のホクロは三つ並んでいるのでござるかぁ!? 本当でござるのかぁっ!? 詳しく教えて下されぇ!」

「お、おう。この目でしっかりと確認したからな。アイル殿下もケレナとお風呂入った時に確認してみれば?」

「世界樹様とお風呂だなんて……恐れ多いでござるぅ! でも、憧れるでごじゃりゅぅ~! 世界樹様の玉体……しかも御裸……おほぉぉぉおおおおおお! 尊い! 尊いでござるぅぅぅうううううう! 鼻血がとまりゃないぃ~! 世界樹様が浸かったお湯……御神水……おっほぉぉぉおおおおおお! ごっふぅ!」


 鼻血と涙を濁流の如く垂れ流した『世界樹狂いせかいじゅフリーク』は、最後に盛大に吐血をしてぶっ倒れた。貧血で顔を真っ青にしながら、床でヒクヒクと痙攣している。

 彼女の妄想は刺激的な内容だったらしい。


「さて、夫も戻ってきたようですし、話を戻しましょう。世界樹様、何か欲しいものございますか?」


 死にかけている娘のことは綺麗にスルーした樹王妃殿下は、腹の探り合いも無しに単刀直入に問いかけてきた。交渉というものをほぼ放棄したようなものだ。

 樹国は危機的状況だし、そもそもケレナと交渉できるような立場でもない。ケレナの言うことは絶対順守の国なのだ。

 円卓に姿勢正しく座っていた黒狼がボソリと呟いた。


「別のイジメてくれるご主人様とk」

「――何か言いました?」


 昏い光を帯びた瞳で地雷を踏み抜いたシャルに冷たく微笑むケレナ。

 木製の円卓から枝が一瞬にして伸び、シャルの首へと突き付けられている。枝の先は槍よりも鋭く尖り、薄皮一枚を貫いていた。


「ひぃっ!?」

「もう一度訊きます。今、何か、言いましたか?」

「にゃ、にゃにも言ってましぇん……わふぅ……」

「ケレナ。やめろ」

「御意!」


 俺の命令により、シュルシュルと枝が縮んで消える。

 冷たい笑みを浮かべていたとは思えないほど、ケレナは恍惚として身体をビクビクさせていた。


「あぁ……ご主人様の鋭い命令! 素敵です! ゾクゾクすりゅぅ~! おほぉぉおおおおおお!」


 久しぶりにケレナの暴走を見た気がする。最近はずっとケレナは真面目モードで、奇行と奇声と言えばアイル殿下だったから、懐かしさすら覚えてしまう。

 そうだ。これが本家の変態だ!


「お仕置きとして氷魔法を発動させているからな。シャルに新たなご主人様を薦められるなんて、ケレナの忠誠心がまだまだ表し足りないんじゃないか?」

「おほぉぉおおおおおお! 精進いたしましゅ~!」


 気付いたら動物用の首輪をつけ、鎖のリードを俺に握らせている変態ケレナ

 これだよこれ。鼻血や気絶じゃない。変態はこうでないと! ……と思ってしまう俺も末期の変態なのかもしれない。

 ケレナの脅しから解放されたシャルは、即座にシュパッと飛び上がり、ビッターンと華麗なジャンピング五体投地を決める。


「も、申し訳ございませんでしたぁー!」

「いえ。こちらこそ精進が足りず、八つ当たりしてしまい申し訳ございませんでした」

『ですが、言っていいことと悪いことがあります。シャル、反省しなさい』

『このまま反省しろー』

「はいですぅー!」


 五体投地をしている背中にチョコンと座る黄金の仔狼と、彼女のお尻を小さな足でフミフミしている白銀の仔狼。


『お尻柔らかーい! あ、ふさふさの尻尾! かぷぅー』

「きゃうんっ!」


 シャルを弄るのもほどほどにしておけよー。


「世界樹様の首に首輪が……鎖が……うっ! 胃が痛い……!」

「……世界樹様、何か欲しいものございますか?」


 樹王妃殿下の精神の強さに驚きを禁じ得ない。

 ストレスに胃をやられそうな樹王陛下とは違って、メラン殿下は一瞬目を瞑ってすべて見なかったことにした。まあ、思考を放棄したとも言うが。


「ご主人様。何か欲しいものはありますか?」

「そうだなぁ。情報かな。樹国の状況を知りたい」

「それはいいですね! まずは情報を貰いましょう!」


 変態たちのおかげで全然話を聞けていないんだ。話も進まないし。


「それもそうですね。陛下、説明を」

「あ、ボクは胃痛でムリ……イタタタタ。キリキリ痛む……」

「はぁ……なら私が説明します」


 夫に胃薬を手渡し、樹王妃殿下が今の樹国の状況を教えてくれた。まとめるとこんな感じ。

 数カ月前に起きた《魔物の大行進モンスターパレード》によって土壌が汚染された。

 最初のうちは毒の拡大を防ぐことが出来ていたのだが、徐々に止められなくなった。

 近隣住民の避難は完了している。

 現在では国土の10分の1近くまで広がってしまった。

 首都である森都もそろそろ危ない。

 今日の長老会議では、近隣諸国に警告を発するか話し合っていたところだったらしい。


「ズズッ。どうしてこんなにも被害が広がってしまったのでござるか。ズズッ。拙者が旅に出た時は浄化が上手くいっていたでござるよ。ズズズッ。どうしてジジババたちは焦っていないのでござるか!?」


 鼻血を吸っているアイル殿下が顔を出した。貧血で頭はフラフラ。


「焦りも一周回れば落ち着くのさ」


 長老の一人が自嘲気味に呟いた。他の長老たちも目を伏せている。


「世界樹の果実を食べた大罪人アイラがサボっているのでござるか?」

「いいえ。アイラは頑張っているわ。そろそろ許しなさい。あの時、あの子が世界樹の果実を食べて魔力を回復させなければ《魔物の大行進モンスターパレード》で滅びていたわ」

「うぅ~そうでござるがぁ~!」

「アイラがいなかったら今頃森都も死んでいるわ。毒の汚染が広がった原因はね……」

「そこは私が説明させていただきますぅ! 私が専門ですから!」


 五体投地をし続けたままのシャルが声を張り上げた。


「簡潔に言うと、毒の汚染地域でキノコ型の魔物、ポイズンマッシュルームが発生してしまったのですぅ!」

「ござるっ!?」

「マジかよ……」

「ご存知の通りほとんど動かず、近くに寄ってきた獲物を毒で弱らせ捕食する魔物です。攻撃力はほとんど持ちませんが、注意しなければならないのは魔物が吐き出す毒と胞子です。風に乗って遠くまで運ばれ、菌糸を広げ、そこでまた魔物として誕生する……実に厄介な魔物ですね」

「燃やさなかったのでござるか?」

「燃やしましたそうです。しかし、その毒というのは熱にも強く、気化する性質があったようで……」

「それはそれで拡散することになったのか」

「はいです……しかも、ポイズンマッシュルームは毒に適応し、さらに悪いことに強毒化させてしまったのです」


 うわぁ。とことんツイていないな。


「我々が気づいたときにはもう、毒と胞子を広範囲にまき散らしていて手遅れでした」


 樹王妃殿下が沈痛な面持ちで締めくくる。

 これはもう仕方がない。《魔物の大行進モンスターパレード》後の魔物による二次災害だ。どうしようもない。


「我々は諦めかけていたのですが、今ここに世界樹の果実が……」


 暗く落ち込んでいた長老たちの瞳に小さな光が宿る。

 そう。今彼らの目の前には探し求めていた伝説のアイテムがある。

 最悪な状況ではあるが、手遅れな状況ではない。希望がここにある。


「今は貸与という形にして、全てを終わらせてから再び交渉でもいいですよ。私としましても一刻も早い大地の浄化を求めます」


 樹王陛下がケレナの提案にすかさず飛びつく。


「おほっ! ぜひそれでお願い致します! 早急に《神樹祭》を執り行わせていただきます! 世界樹様! 貴女様のご慈悲に感謝申し上げます! おほぉー!」


「「「「「「 おほぉー! 」」」」」」


 五体投地して『おほぉー』とケレナに感謝し、崇め奉るエルフの変人たち。

 一体どんなカルト集団だよ……。




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おほぉ……やっと話が進んだ……。

変人と変態の暴走は手加減して欲しいです。



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