第348話 依り代

 

 ユグシール樹国の首都『森都』の中心部には巨大な樹が存在していた。そう、存在

 現在は元樹。直径数百メートルもある、ちょっとした山と見間違えるほどの切り株だ。

 樹齢は一体何年だったのだろう。今は切り株だけれど、その先があったのなら高さは軽く1000メートルを超えていたに違いない。

 それほど巨大な切り株そのものが樹王の住居。樹国の政治の中枢。いわば城だ。中をくりぬいているという。


「ふっふっふ。この切り株こそが、かつて世界樹ユグドラシル様が宿っていらっしゃったという御神木でござる! この御神木の中で生活するのは恐れ多いことこの上なかったでござるが、一日中、朝起きてからご飯の時も勉強の時もお風呂やトイレ、寝ている時でさえも世界樹様のお力をあらゆる方向から感じることが出来る超パワースポットなのでござる! 至福でござった。毎日毎日壁に頬擦りして世界樹様を全身で堪能して味わって……おほぉぉおおおおおおおお! 思い出しおほぉぉおおおおおおおお! ここからでも世界樹様のお力を感じるでござるぅ~!」


 切り株から感じなくても、本物の世界樹が隣にいるではないか。

 別世界にトリップしている変人エルフのことは放っておいて、かつて本当に宿っていたのか本物の世界樹に訊いてみますか。せっかく本人? 本樹? がいることですし。


「ケレナ。アイル殿下の話は本当なのか?」

「ええ、本当ですよ」


 世界樹ケレナは懐かしそうに巨大な切り株を見上げる。


「懐かしいですね。数千年前、私が世界を旅する前に依り代にしていた樹です。こう見えて、何の変哲もないその辺に生えているトネリコの樹なんですよ」

「そうなのでござるかっ!? てっきり、世界樹様が生やした特別で神聖な木かと」

「いえいえ。そんなものではありません」


 ケレナはそっと巨大な幹に手を置いた。

 すると、ケレナを歓迎するかのように、手のすぐ隣に小さな枝が伸びて一枚の葉を生やした。瑞々しい輝きを放つ葉だ。


「ふふっ。まだ生きているみたいですね。お久しぶりです。元気でしたか?」

「お、おほぉぉおおおおおおおお! 奇跡でござる! 拙者は奇跡を目の当たりにしてしまったでござるぅぅぅうううううう!」


 奇声を上げて海老反り状態の変人のことは当然無視。勝手にビックンビックンしていてください。


「膝丈ほどの高さもなかった頃のこの子に私は宿り、高さが3メートルほど成長したころに数名のエルフがやって来ました。私を崇め奉り、ここを中心に村ができ、人々が集まって街になり、更に人が集まって国になりました。ずっと見守ってきたこの子は御神木として相応しいと思いますよ」


 世界樹が太鼓判を押すのなら間違いないだろう。

 数千年生きている樹なら御神木に値する。精霊が宿っていてもおかしくない樹だ。

 そんな元大樹をリリアーネは残念そうに見上げた。


「切り株になる前のこの子を見てみたかったです。さぞ素敵だったことでしょう」

「言い伝えでは、森都の上空を覆い隠すくらい枝葉が広がっていたとか。『常緑の都』とか『木漏れ日の都』として当時は有名だったらしいでござる。『時の街』とも言って人々は鐘の音がなくとも時刻を知る術を身につけていたとか。拙者も見たかったぁー! その頃に生きていたかったぁー! はっ!? 前世の記憶が蘇ればワンチャン疑似体験ができるのでは!?」

「いやいや、無理だから。気持ちはよくわかるけど」

「どうして切り株になってしまったのでしょうね? 遠くから見た感じだとスパッと綺麗に切れていましたが」

「不明でござる。古い文献を漁ってみたでござるが、理由はわからずじまいでござった」

「こんな巨大な樹を綺麗に切るなんて不可能だぞ」

「ですよね」

「ござるなぁー」


 というわけで、理由を知っていそうな人に話を伺ってみよう。


「ケレナ、切り株になった理由はなんだ?」

「おほぉっ! 世界樹様ご本人にお聞きするなんて考えてもみなかったでござるよ! ぜひお聞かせください! 後世に伝えるゆえ!」


 アイル殿下は翠玉エメラルドの瞳を幼女のようにキラキラと輝かせ、一言一句聞き逃さないよう耳をピクピク。どこからともなくメモ帳も取り出している。

 期待感が高まる中、ケレナはあっさりと答えた。


「大げさな理由はありませんよ。ただ危険だったからです」


 危険とは?


「私の力でこの子は巨大になりました。成長の補佐をしていたのです。しかし、私は世界を旅することにしました。当然、補佐は受けられなくなります。季節ごとに葉は枯れて落ち、風によって枝も落ちます。病気になることもあるでしょう。そうなった場合、樹々の下に広がる街はどうなりますか?」


 想像してみる。街の空いっぱいに広がる樹から葉が落ちる。

 樹が巨大なら葉も大きいかもしれない。量は間違いなく膨大だ。それが一気に落ちてきたら……最悪の場合、街が埋もれてしまうかも。

 上空から枝が落ちてきた場合はもっと悲惨だ。大きさによっては家が倒壊してしまう可能性がある。

 ケレナの補佐がなくなり、病気や寿命で自分の枝の重みを支えきれなくなって根元から落ちてしまったら悲惨どころではない。被害は甚大になる。街そのものが半壊してしまう。

 さらに、大木の生命維持に大量の栄養と水分が必要だろう。土地から吸い上げてこの辺り一帯の土壌が痩せ細ってしまう。

 良いことが全くない。誰もが簡単に想像できたようだ。


「危険ですね……」

「最悪の場合、街が滅ぶでござるな」

「お分かりいただけたのなら幸いです」


 自分が成長させたから、人々に危険が無いよう責任を取ったというわけか。

 ケレナは本当に世界樹していたんだなぁ。


「世界樹様! 過去の文献には『世界樹様に守られた街』という記載があったでござる。もしやあなた様は……」

「ええ。枝葉が落ちないよう細工を。地上に太陽の光が降り注ぐよう枝を動かすこともしていました」

「おっほぉぉおおおおおおおお! 日時計! 時間が分かったというのは太陽の光と影からでござるか! そういうことでござったか!」


 規則正しく動かしていたら日時計の役割を果たしていただろう。

 なるほど。それならば鐘の音が鳴らなくても時間がわかる。便利だ。


「おほぉぉおおおおおおおお! おっほっほぉぉおおおおおおお! 今すぐ後世に伝えるためにこの情報をまとめねば! 世界樹の巫女の役割でござるよぉぉおおおおおおお!」

「まず先にしなければならないことがあるのでは?」

「はて? 世界樹様のお話を編纂することよりも先にすべきこと? 何かあったでござるか?」


 こいつ! 国の危機をすっかり忘れてやがる!

 そう言えば彼女は『世界樹狂いせかいじゅフリーク』だったな。世界樹が絡むとそれ以外のことを忘れて一直線に突き進んでしまうのか。

 なんて厄介な!


「森が死にかけているだろ?」

「森の死……? はっ!? そうでござった!」

「このままだと、このケレナが宿っていた御神木も死んでしまうだろうな」

「なん、だと!? 気付かなかった! 超一大事でござる! 早急に父上に直談判をしなければ! 失礼!」


 ござるぅぅぅうううううううう、と叫びながら切り株の城の中へと突撃していったアイル殿下。あまりの速さにドップラー効果が発生していた。

 残された俺たちは呆然と立ち尽くす。

 案内役がどこかに消えてしまったよ。他国なので自由に動き回ることもできない。

 周囲にいる樹国の人たちも困惑している。


「どうしましょう?」

「大丈夫だリリアーネ。ああいう輩の扱いは簡単だ」


 ただボソリと呟けばいい。


「世界樹ケレナを置いて行っていいのかなぁー?」


 すると数秒後、


「申ぉぉおおおおし訳ぇぇえええええございませんでしたぁぁああああああああ!」


 再度ドップラー効果を発生させながら戻ってきて、ズザザザーと滑りながら深々と土下座。頭を下げたまま微動だにしない。

 予想通り。狂信の域に達している変態は、ある特定の言葉ワードを呟くと決して聞き逃さない。例えどれだけ離れていようとも。どんなにうるさくても。絶対に。

 彼女、アイル殿下の場合は『世界樹』だ。


「拙者はしてはならないことを……世界樹の巫女としてあるまじき行為を……! 腹を掻っ捌いて罪を償いまする!」

「おやめなさいと言ったはずです。三度目はありませんよ」

「御意! 重ね重ね申し訳ございませんでしたぁー!」


 ガンガンと頭を地面に打ち付けている姿は見ていられない。


「あはっ……あはは……終わった。世界樹様の前で拙者は……死にたい。けど死ねない……あはははは……」


 敬愛する世界樹の前で失態を重ねてしまい、アイル殿下は絶望しているようだ。口から感情の抜けた笑い声が漏れ出している。このままだと精神が壊れてしまうかもしれない。

 これだから狂信者は。


「あぁー、どこかに案内をしてくれるエルフはいないかなー。名誉挽回になると思うんだけどなー」


 死んでいた目に微かに光りが宿り、片耳がピクッと動いた。


「ケレナも褒めてくれると思うんだけどなー。ナデナデしてくれるかもなー。な、ケレナ」

「そうですね。頑張ってくれた子にはご褒美が必要ですよね」


 両耳がビクビクッと震えた。やる気に満ち溢れたエルフが立ち上がる。


「拙者が行いまする! 絶対に! その役目は誰にも譲らないでござる! 執務室だろうが宝物庫だろうが両親の寝室だろうが、どこででもご案内致しますぅー!」


 ふっ。チョロい。


「それでは頼む」

「御意! 皆の衆、こちらにございまする!」


 恭しく案内し始めるアイル殿下に従って俺たちは入城する。

 その途中で『あの姫様に言うことを聞かせるなんて化け物か! これは娶ってもらうしかないな!』という城で働く役人たちの声は全力で無視した。




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あれ? 今回もケレナが暴走していない?

天変地異の前触れか!?

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