第347話 樹国の現状

 

「これは……」


 ドラゴニア王国の王都を出発して数日が経過した。

 もうユグシール樹国の領土に入っており、後一日進めば樹国の首都『森都』に到着する距離のところにいるんだが……。

 俺たちは想像を絶するあまりの光景に言葉を失っていた。


「酷すぎる……」

「森が。木々が……」

「予想以上に広がっていたでござるな」


 深い森の木々が織りなす大自然の美しい光景で有名なユグシール樹国。

 それが今は跡形もない。

 大地からは草花が枯れて赤茶色の土が剥き出しになっている。少しの風で砂埃が舞う。

 木々の葉は黄色や茶色となってほとんど落ちてしまっている。真っ二つに折れたり、根元から倒れてしまったりしている木も少なくない。

 生物の気配は一切ない。動物も昆虫も逃げ出してしまったらしい。魔物の姿も見えない。

 ここら辺はまだいい方だ。まだ辛うじて大地や森の生命力が感じられる。だが、見通しが良くなった木々の間から遠くを見ると、もっと悲惨な光景が広がっていた。


「向こうの森はもう既に死んでしまっていますね」


 世界樹ケレナが悲しそうに呟いた。

 生命力が感じられない。山が禿げ上がり、土砂崩れも発生しているように見える。流れる川は土砂で茶色。

 今この瞬間に崖が崩れ、大量の土砂と倒木が川に勢いよく流れ込んでいった。


 ――死の大地。


 最もふさわしい言葉はこれしかない。

 予想以上に被害が広がっていたことに呆然としていたアイル殿下が、地面に額を打ち付ける勢いで土下座した。


「世界樹様! 申し訳ございませぬ! 森を失ったのは我らの落ち度! この罪は拙者が腹を掻っ捌いて……!」

「おやめなさい」

「御意! やめるでござる!」


 どこからともなく取り出した短刀で腹を切り裂こうとしたアイル殿下。世界樹ケレナの一喝で、自決の決意を即座に取り下げる。

 潔いと言えば潔い。


「貴女の罪でも樹国の民の罪でもありません。栄枯盛衰。この世は生と死で成り立っているのです。永遠に続くものなどありません。森が死んでしまったことは残念ですが、また蘇らせれば良いではありませんか」


 おぉ! 世界樹ケレナが珍しく世界樹している。

 あの奇行と奇声の変態はどこに行ったのだろう?

 崇拝する御方から言葉をかけられ、アイル殿下は翠玉エメラルドの瞳から大量の涙を流す。


「なんと崇高なお言葉……お優しいでござる。この御方が世界樹ユグドラシル様……おほっ。おほぉっ! おほぉぉおおおおおおおおっ!」

「頼りにしてますよ、我が巫女よ」

「御意ぃぃいいいいい!」


 ポンポンと優しく頭を叩かれ、世界樹信者は鼻血がブシャー!


「尊い……尊いでござるぅ……拙者、もう死んでもいい……」


 いやいや。死ぬのはダメってケレナに止められたじゃん。

 ここ数日でアイル殿下の奇行に慣れてしまった医療班が、血だまりを作ってピクピク痙攣するエルフをどこかに運んでいった。

 お仕事お疲れ様です。


「ケレナ。何かわかるか?」

「そうですね。何やら良くないものが大地や水、空気に混じっている気がします。ここはまだ良い方ですが、長時間いるのは危険かもしれません。対策もせずに奥に行くのは厳禁です」

「そうか。ビュティに解析させようか?」

「いえ。今は森都に行くことを優先しましょう。樹国の民から話を聞いたほうが何か掴めるかもしれません。一日二日で急速に変化するものでも無さそうですし」

「わかった」


 専門家の言うことに従おう。まずは森都を目指すとするか。

 幸い、森都はまだ生きている森の方角だ。

 馬車に乗り込む俺たちだったが、最後まで残って死の大地を眺めていたのは世界樹ケレナだった。


「ケレナ? どうした?」

「ご主人様……お気になさらず。ただ――」


 そう悲しそうに微笑んだケレナは、最後にもう一度荒れ果てた森の跡地に目をやる。


「――死にゆく木々や大地の悲鳴が聞こえているだけですから」



 ▼▼▼



 次の日のお昼過ぎに樹国の首都『森都』に到着した。

 木造建築の長屋が多く立ち並ぶ独特な雅で風流な文化が発達したユグシール樹国。

 自然あふれる豊かで優雅な都は、現在、全体的に暗い雰囲気に包まれ、重厚な疲労感が伝わってくる。どことなく植えられた草花も元気がなくて萎れているようだ。

 気分をあげようと楽器の音や歌声があちこちから聞こえてくるが、民の顔色は悪く、見るからに落ち込んでいた。背中が丸まり、うつむいている。

 先行きが見えない不安は辛いだろう。彼らの限界は近い。


「むむむ! 拙者、見ていられないでござる!」

「おい! アイル殿下!」


 馬車から顔を出していたアイル殿下は、身軽な動きで窓から出ていき、スルスルと馬車の天井へと上って行った。


「皆の者! 拙者が帰ってきたでござるよぉぉおおおおおおお!」


 張り上げた大声が沈んだ街へと響き渡る。

 うつむいていた人々がその大声に顔を上げ、馬車の上に仁王立ちする姫の姿を捉える。


『幻覚か? 馬車の上にお転婆姫の姉のほうが見えるんだが……』

『あら。私にも見えるわ。私、死んだのかしら?』

『ふふふ……それなら俺も死んでるな。はぁ……』

『姫様はユグドラシル様を探しに旅に出たんじゃなかったか?』

『そうだそうだ。『世界樹狂いせかいじゅフリーク』は旅に出ていたんだった』

『じゃあ、あれは何だ?』

『だから幻覚だって言ってるだろ』

『待ちなさい。確か姫様は超絶な極度の方向音痴……だったわよね?』

『『『『 なるほど! 道に迷って戻って来てしまったのか! いつものことだな! 』』』』


 はっはっは、と民たちは大笑い。笑いの輪は連鎖する。

 彼らは久しぶりに笑ったのか、笑顔がぎこちない。表情筋が強張っている。

 言いたい放題言われた姫様はプッツン。怒りの声をあげる。


「コォラァアアア! 拙者は世界中を巡って、この事態を何とかできる超優秀な助っ人を呼んできたでござるよぉぉおおおお! 感謝するでござるぅぅううううう!」


『『『『 えぇー! 嘘だぁー! 』』』』


「嘘じゃないでござるのにぃぃいいいいい! まあいいでござる。皆、遅くなったでござるよ! もう少しの辛抱でござる。絶対に事態を終息させる故、もう少しだけ、ほんのもう少しだけ頑張るでござる!」


 彼女の本気度が伝わったのだろう。人々の間に希望の光が宿る。

 子供の一人が笑顔で叫ぶ。


『姫様、おかえりなさい』

「ただいまでござるぅー!」


 天井から落ちそうになるほど身を乗り出してアイル殿下が手をブンブンと振る。


『お転婆姫様! おかえりなさーい!』

「ただいまー! お転婆は余計でござる! 拙者は清楚でござる!」

『お転婆姫ー!』

「だから拙者は清楚でござる!」

『おかえり『世界樹狂いせかいじゅフリーク』様!』

「おほー! 褒めてくれてありがとうでござる!」

『ふぉふぉっ! おかえりなさいませ姫様』

「ただいまでござるー。八百屋のじっちゃん。生きていたでござるか!」

『なんじゃい小娘! わしゃまだまだピチピチの1100歳じゃ!』

「どわっ! 果物を投げるな! それに99歳もサバ読むんじゃねぇーでござる!」

『誤差じゃ誤差!』


 この様子からはっきりとわかる。アイル殿下は民に慕われている。

 もしかしたら頻繁に街に繰り出しているのかもしれない。

 人気者の姫は突然爆弾を落とす。


「あ、そうだ。拙者、お婿さんを連れてきたでござる」


『『『『 マジで!? 』』』』


「おぉいっ! 何言ってんだ!」


 喧騒が一瞬にして沈黙した。静寂した街に俺の声が遠くまで届き、窓から顔を出した俺に注目が集まってしまう。

 品定めするような視線が突き刺さる。


『『『『 こんな変人の姫様でいいんですか? 後悔しません? 』』』』


「うおぉいっ! それはどういうことでござるかぁっ!?」


 なるほど。品定めの視線ではなく、変人の姫を娶ろうとする物好きを一目見ようとしていたのか。

 彼らの顔に『大丈夫? 本当に良いの? 確かに見た目はいいけど……見た目はね』という文字が書いてある。憐みの眼差しもある。


「ふっふっふ。実は愚妹のアイラも一緒に娶ってもらうつもりでござる」


『『『『 勇者かっ!? ……本当に後悔しません? やめておいた方が良いですよ。まだ引き返せるから考え直しましょう? 』』』』


「だからどーゆーことでござるか、それは!?」


 道行く人たちに結婚を辞めるよう説得される俺。

 国民にここまで言われるとは。

 まあ、姉のほうがこれだからなぁ。双子の妹も似たようなものだろう。

 変人が二人……うん、キツイ! もう変態は増えなくていい。


 そもそも、樹国の双子姫と結婚する予定はないから!




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あれ? ケレナがまともだとっ!?

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