第346話 樹国へ出発

 

 急遽、ユグシール樹国へと向かうことになった。

 同行者は必要最低限。期間は不明。

 今、樹国は大変な時期なので、人を多く送っても迷惑だろうという父上の判断だ。


「出発の準備が整ったようですよ」

「ありがとうリリアーネ」


 今回は俺のパートナーとしてリリアーネも同行する。

 親バカのヴェリタス公爵に大切に育てられた深窓の令嬢リリアーネにとっては初めての樹国だ。

 なので、彼女はちょっとウキウキしている。

 楽しみすぎて昨夜はあまり寝ていないらしい。けれど、眠気を感じさせないほどニコニコ笑顔。

 きっと馬車の中で寝るんだろうなぁ。


「なんだか近衛騎士の皆さんの様子がおかしいですね。チラチラとシラン様を見ているような……」


 言われてみればそんな感じもする。

 目が合った騎士に会釈されて拝まれた。どゆこと!?


「先輩たちは皆、シランに感謝してるのよ」

「ジャスミン」


 近衛騎士の騎士服を纏ったジャスミンは、少し呆れたような安堵したような不思議な表情をしていた。

 彼女は今回は近衛騎士団の騎士として同行する。

 仕事モードのジャスミンは凛々しくて格好いいと思った。


「ジャスミンさん。シラン様に感謝とは?」

「ここだけの話なんだけど……」


 周囲を確認して、ジャスミンは囁き声で説明する。


「最近、隊長の訓練がきつくてきつくて……シランの樹国行きが神龍様からの贈り物と思えるくらいありがたいことだったのよ。ほら。護衛任務中は訓練する時間がないから」

「あぁ……それでシラン様に密かに感謝を」

「そーゆーこと。でも、何故訓練がきつくなったのかわからないのよねぇ。先輩に訊いてみても引き攣った笑顔で誤魔化されるし、隊長に訊こうとしたらとてもとても美しい作り笑いで威圧してくるし……シラン、何か知ってる?」

「し、知らないよ?」


 訝しげな紫水晶アメジストの視線からそっと目を逸らす。

 心当たりはある。ランタナの実家に行った件だろう。

 あの時のことは……うおっ!? どこからともなく強烈な殺気が!?

 ガクガクブルブル……あの時って何のことかなぁー? 俺、覚えてない!


「絶対に知ってるわね。教えて」

「私も知りたいです」

「二人とも、やめておけ。死にたいのか?」

「そんな。大げさな!」


 笑い飛ばすジャスミンの背後に、ニッコリと笑顔を浮かべた魔王が――


「――ジャスミンさん?」

「ひっ!? ひゃいっ!」


 肩に手を置かれたジャスミンの顔からみるみる血の気が引き、身体がガタガタと激しく震え始めた。振り返る余裕も度胸もない。

 リリアーネも俺の背中に隠れてしまっている。俺の服を掴む手から彼女の震えが伝わってくる。

 美しい笑顔の魔王の降臨。しかし、琥珀アンバーの瞳は笑っていない。敵を前にした以上に冷たく鋭い。

 魔王ランタナの手がジャスミンの肩にギチギチと食い込んでいるのは俺の見間違いだろうか。


「世の中には知らなくても良いことが沢山あるんですよ――この先、平穏に暮らしたいのなら、ね?」

「ひぅっ!? も、もももも申し訳ございません、た、隊長!」

「好奇心は黒獅子をも殺す……って、諺がありますよね、リリアーネ様?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「そしてシラン様――」


 最後に、冷たい琥珀アンバーの瞳が俺を捉え、プイッと顔を逸らされた。


「――あと15分で出発しますので、くれぐれも時間厳守でお願いします!」

「へーい…………ランタナ、耳が赤いぞ」

「うるさいです!」

いたぁっ!?」


 ズビシッと俺の額に圧縮空気弾を撃ち込んだランタナは、ムスッと睨んで立ち去って行った。

 おいおい。主人に攻撃するなんて騎士道精神に反しているだろう。

 まあ、照れ隠しが可愛かったので許す。


「にぃに!」

「おっと! セレネちゃん危ないだろう?」

「ごめんなさーい!」


 トトトッピョーン、と走って抱きついてきたセレネちゃんを抱きしめて勢いを殺す。

 スリスリと頬擦りをしながらゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らす癒しの天使。超可愛い。


「すいませんシランさん。後でメッてしておきますので」


 娘を追いかけてきたテイアさんの登場。

 豊満な身体付きと輝く毛並み。猫耳と尻尾の動きが可愛らしい。それに、一段と際立った危険な大人の色気がムンムンとして目が離せない。


「行ってらっしゃい、シランさん」

「ああ。行ってくる。テイアさん、家のことを頼んだ」

「はい。頼まれました。家のことは任せてくださいね!」

「お土産は何が欲しい?」

「そうですね……無事に帰ってきて娘共々ナデナデして頂ければそれで十分です」

「全然お土産じゃないし、お土産じゃなくてもするつもりだぞ」


 俺とテイアさんはクスクスと笑い合う。もっと欲張っても罰は当たらないのに。

 ちなみに、セレネちゃんはテイアさんとの会話の途中でいつの間にかリリアーネとジャスミンに盗られていた。精神的ショックを受けた二人の癒しとなっている。さすが天使。


「シ~ラ~ン~さぁ~まぁ~! ぐえっ!?」

「姫様。お願いですから5歳児と同じ行動をしないでください!」


 首根っこをエリカに掴まれてプラ~ンプラ~ンしているヒースが慣れた様子でおざなりに返事をした。


「へーい」

「姫様返事!」

「はいっ!」


 最近、この主従のやり取りを聞くとほんわかと和むようになってしまった。

 ヒースとエリカはこうでないと。

 彼女たちは今回はお留守番だ。俺の婚約者で屋敷に住んでいるとはいえ、二人はフェアリア皇国所属。勝手に他国に行くことは許されない。


「シラン様シラン様! 私が頑張ってお留守番をしたら、帰ってきた後にデートをしてください!」


 真っ赤な顔で可愛らしいおねだりをしてきたヒース。

 ちょっと悪戯心が疼いたので揶揄ってみる。


「ということは、俺が頑張ってないと判断したら、デートはしなくていいってことか」

「え? あれっ? えぇ? エリカぁ~!」


 どうしたらいい、と潤んだ蛋白石オパールの瞳で見つめられ、エリカはため息をつき、


「姫様もまだまだですね。姫様は旦那様の婚約者なのですよ。こういう時は条件を付けないで『帰ってきたらデートをしてください』と言うだけでよかったのです」


 無論、私はもう既に約束を取り付けておりますが、と抜け目のない完璧有能メイドはすまし顔。

 おねだりしてきたときはあんなにも恥ずかしそうだったのに……。

 なるほどぉ~勉強になった、とヒースは俺のほうを向き、一言。


「だそうです」


 だそうですって言われても……。

 まあ仕方がない。俺の方から誘いますか。


「麗しい蛋白石オパールの姫よ。帰ったら俺とデートをしてくれますか?」

「ええ、喜んで」


 ダンスを誘う時のように手を差し伸べると、お姫様モードのヒースがそっと手を取った。そして、ニヤリと得意げに笑う。


「……もしかして、俺から誘うように誘導した?」

「えぇー? 何のことー?」


 ヒースは思ったよりも逞しく成長しているらしい。やられた……。

 この主人の成長にエリカは……ああ、当然ご存知ですよね。いつも通り平然としている。

 さてさて、そろそろ出発の時間だ。

 挨拶しなければいけない人へ挨拶は終わった。そろそろ馬車に乗り込もう。

 乗り込む直前、馬車の前でユグシール樹国の大使殿が待っていた。


「シラン殿下、お願い申し上げたいことが……」

「……アイル殿下に手は出さないぞ」

「では、手以外の場所を出してくだされば、って違います! お願いというのは『姫様から片時も目を離さないでください』というものです。できれば、夜も一緒のお部屋に……」

「おいコラ」

「ち、違うのです! いえ、懇ろな関係になってくだされば万々歳なのですが、違うのです! ウチのアイル姫はふざけているのかというくらい超々極度の方向音痴でございまして……」


 大使殿は真剣な瞳で言う。


「一本道で逆走しているのはまだいい方です。大抵、姫様は道なき道を突き進みます。質の悪いことに本人に方向音痴の自覚がありません。5歩歩くたびに姫様の姿をご確認ください」

「そ、それほどなのか?」

「それほどなのです」


 あまりに深刻な大使殿の表情から本気度を理解した俺は思わず戦慄した。

 何となく察していたものの、それほどまでの方向音痴だとは思わなかったぞ。


「家や近所などのご自分の領域テリトリーだと迷わないのです。しかし、少しでも知らない場所に行くと必ず迷います。そして、間違った方向へと動き回ります」

「厄介な……」

「例えば、ここに姫様を召喚します」

「ぐおっ!? 爺や!? シラン殿!? 何故拙者はここに!?」


 大使殿が無造作に背後を掴んだかと思ったら、猫を被ることを辞めたアイル殿下が姿を現した。

 一体何が起こったんだ?


「突然ですが姫様、樹国の方角はどちらだと思いますか?」

「あっちでござる!」

「姫様、こっちです」


 アイル殿下が指差した方角を、大使殿がざっと150度ほど軌道修正。

 あまりに自信満々で指差すから、一瞬騙されてしまった。

 この勢いで突き進んで行かれたら……とても面倒である。


「お分かりいただけましたか? お分かりいただけたのなら、姫様が夜中にトイレへ行かれる際も同伴をお願い致します」

「うむ! シラン殿が一緒について来てくれるのなら夜のおトイレも安心でござるな! 折角の機会でござるから拙者秘蔵の特別怖い怪談話を披露して進ぜよう!」

「俺が夜のトイレを同伴するから安心して怖い話ができるってことか?」

「そうでござるが何か? 怖い話をして夜一人でトイレに行く度胸は拙者にはないでござるよ!」


 自信満々に言うなよ。それでいいのか一国の姫君……。

 あんた、いい年齢の乙女だろうが。恥じらいを持ってくれ。


「姫様の手綱をしっかりと握ってくだされ。頼みましたぞ」

「あ、はい……って、物理的な手綱!?」


 いつの間にかアイル殿下の首に首輪が嵌められ、俺の手にはリードが握られていた。

 当然、首輪とリードは繋がっている。

 なるほど。これならアイル殿下がどこかに行く心配もない……って違~う!


「ちょっと大使殿……って、どこに行った!?」


 忽然と消え去った大使殿の気配はどこにもない。

 残されたのはペットと化したエルフ美女と、それを飼っている飼い主の俺。

 絵面がやばい。今すぐ何とかしなくては……あっ。


「シラン様。そろそろ出発のお時間、が……」

「いたいたシラン! 時間……よ……」

「シラン殿下……はぁ~……」


 待って! 待つんだ! これは誤解なんだ!

 俺の性癖やそういうプレイではなくて、大使殿のせいなんだ! 全部大使殿のせいなんだ!

 女性陣の視線が痛い! ランタナのため息が辛い!


「拙者のお世話をよろしく頼むでござる、シラン殿」


 受け入れるなぁぁああああああああああ!

 余計に状況が悪くなるだろぉぉぉおおおおおおお!

 その後、羨ましそうな眼差しを向けるどこかの世界樹一名を除いた全員から白い目で見られたことは言うまでもない。

 全部誤解なのに……ぐすん。














▼▼▼



 コポコポと水の音が空間に木霊する。その水は透き通った緑色をしていた。

 金属とガラスで作られたカプセルを満たしているのは、錬金術を用いて生成された培養液である。

 その中に浮かぶのは継ぎ接ぎだらけの歪な少女。目を閉じ、膝を抱えて込んで胎児のように丸くなっている。

 透明な髪が培養液と同化し、クラゲの足のようにゆらりと舞う。


「”出来損ない”の生命情報バイタルは?」

「今のところ安定しています」


 白衣を着た『人形製造者ドールメイカー』の質問に感情のない人形が無表情で淡々と答えた。


「ふむ。このまま睡眠状態を維持してください」

「かしこまりました、創造主メイカー様」


 この場は忠実な人形に任せ、彼は別の部屋へと移動する。


分解修理オーバーホールをするには素材が足りませんね。やはりあのエルフの姫の肌が最適。他の子たちにも使えますし、新たな”女性レディー”を造れるかもしれません。妹の方も身長は小さいけれど、素材は抜群。そして何よりあの魔力! 是非とも欲しいです」


 独り言をブツブツと呟きながら到着した部屋には、彼以外に大量の人がいた。

 いや、人ではない。人とは到底呼べない形容し難いが、ほのかに光る光源に照らし出されて大量に蠢いていた。


「数カ月前にエルフの国を襲った毒を持つ昆虫型のキメラモンスター。その改良バージョン。ふふふ。前回以上に上手く造ることが出来ました。それに、いい具合に増えましたねぇ」


 実験の完成体を眺めて『人形製造者ドールメイカー』は満足そうにうなずく。


『キチキチキチ……』

『カサカサ! カササ!』

『キシャー!』


 身の毛もよだつ生理的嫌悪を生じさせる音が響き渡る。

 薄っすら浮かび上がるのは、大量に生えた力強い関節肢、硬くトゲトゲした外骨格、長く伸びた触覚、ゆっくりと動く膨れた腹、テカテカした白い肌に程よい大きさの二つの乳房。背中には数枚の薄透明の翅が生え、体表を覆うのはねっとりとした粘液だ。

 光源かと思われていたものは、この生物の気色悪い卵だった。壁や天井にびっしりと大量に張り付いている。時折、殻の中の生物が蠕動――

 今現在も共食いを繰り返し、繁殖して、卵から孵化しているのだ。


「エルフを基礎ベースにしてみたのが良かったのでしょうか? ふむ、また新たに攫って検証してみましょう。取り敢えず、造ったからには役に立ってくださいね。今回に狙いはユグシール樹国の双子姫【双葉の姫君】ですよ」


 狂った錬金術師の狂った笑いを強化ガラス越しにが捉える。

 薄明りを反射して玉虫色に光る複眼。その眼から流れ出すのは黒い涙である。

 絶望の表情が張り付いた人造の生物は、解き放たれる日を今か今かと待ち構えていた。


『タス……ケテ……キチキチキチ……』






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またもや人形製造者は暗躍中。

懲りないですねぇ。

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