第340話 乙女のお腹
たっぷりとランタナの幼少期の上映会を堪能した。
グーズさんとサルビアさんのランタナ愛が止まらない止まらない。
ラブラブ夫婦であり娘ラブのご夫婦だった。
ニッコニコ笑顔で娘自慢をし、彼女の部下である近衛騎士たちから最近の近況を聞く。
聞き上手の夫婦&上司大好きの部下たち。
話が弾まないわけがない。大いに盛り上がって、最後の方はもうランタナの顔が死んでいた。
それに気づいてさらに盛り上がるという無限ループ。
ランタナ……どんまい。君のことは忘れないよ。
「って、近衛騎士がランタナの家に行ったのは俺のお忍びについてきたからだ。うわぁ……正気に戻ったランタナにやり返されたいよね?」
心配だ。実に心配だ。
ディセントラ母上に黒歴史を聞きに行くって脅されてた……。
どうしよう。
愛用の
……もしそうなったら今日のことを教えてあげよう。
膝枕して頭をナデナデしてあげたこととか、幼児退行してたこととか。
本人は覚えていないだろうし。
「ランタナ可愛かったなぁ……」
呟きに周囲を護衛する近衛騎士たちが、うんうん、と小さく頷く気配がした。
しかし諸君。忘れていないかい? その可愛かった部隊長様による苛烈な扱きが待っていることに。
ぜひ頑張ってくれたまえ。
現在俺はランタナの実家から帰宅途中。夕暮れ時だ。
裏道なのに人通りは多い。仕事帰りだったり、夕食を買うためだったり、外食に向かう人たちで溢れている。
人々はみんな笑顔だ。とても賑やか。
「良きかな良きかな……んっ?」
屋敷まで半分ほどになった時、見るからに怪しい人物が路地裏からヨロヨロと出てきた。
顔が見えないほど深く被った黒いフード付きローブを着ている。でも、薄汚れてボロボロだ。
こんな時間から酔っぱらっているのだろうか? それとも気分が悪いのだろうか? 見るからに千鳥足。足取りが非常におぼつかなくて危ない。今にもこけて倒れそう。
薬物中毒者じゃないといいけど。
「殿下、お下がりを!」
目を鋭くさせた近衛騎士たちが俺の前に現れて不審者を警戒している。
各々武器に手をかけている。少しでも怪しい素振りを見せたら斬りかかるだろう。
騎士たちから猛烈な殺気が膨れ上がる。相手への警告だ。
「何者だ!? 今すぐ立ち去れ!」
「…………」
言葉でも警告をするが、不審者は立ち去らない。むしろ逆に立ち止まった。
周囲に緊張が走る。
数名の騎士を残し、俺はゆっくりと後方へと下がる。というか、強制的に距離を取らされる。
「両手を挙げてこちらへと見せろ! 少しでも怪しい素振りを見せたら斬る!」
「…………」
「大人しくこちらの言うことをきけ!」
「…………」
「今すぐに行動しろ! 斬るぞ!」
「……ぅ……ぁ……」
――バタリ!
立ち止まっていた不審者は小さく呻いたかと思うと、ユラリとその身体が揺れて地面に倒れ込んだ。ピクリとも動かない。
騎士たちの緊張が高まる。武器を抜き放ち、倒れた不審者へと向けていた。
油断を誘っているのかと思っているのだ。
倒れたところを助けようとしてブスリ、救助をしていたら周囲から賊が現れてブスリ、なんてことがよくある。
最悪の場合は周囲を巻き込んだ魔力暴発による自爆テロだ。
一切の油断はできない。
しかし、不審者は何もしない。魔力も感じない。指一本動かそうともしない。
「お前たち、確認してこい」
「「 はっ! 」」
上官の命令により、二人の護衛騎士が不審者の下へとゆっくりと近づいていく。
万が一の場合を考えて、複数人での行動が基本となっているのだ。一人が刺されてももう一人が賊にトドメをさせる。
騎士たちが近づいても不審者は反応しない。突かれても動かない。うつ伏せから仰向けにされても抵抗はなかった。
ゆっくりとフードが外される。零れ落ちる緑色の髪。
遠いからよくわからないが、不審者は女性……?
危険物を所持していないかどうか身体を触って簡単な身体検査をして、二人の騎士は少し警戒を解いて戻ってきた。即座に上司に報告。
「報告を」
「はっ! どうやら賊ではないみたいっす。狩猟用のナイフは持ってたっすが、その他怪しいものは所持していないっす!」
「意識もほとんどない様子です。薬物というよりは疲労や空腹、睡眠不足のせいかと……目の下にはっきりと隈がありましたし、その、お腹の音が……」
「そうか。どうします、殿下?」
「え? 俺?」
急に話を振られても。普通なら警備兵に突き出すんじゃ……。
「お人好しの殿下ならお助けになるのではないかと」
「そこまでお人好しではないと思うけど……」
助けるのもやぶさかではないが、正直お腹が減った。今すぐ帰りたい。でも、見捨てるのも寝覚めが悪い。
というわけで、警備兵を呼ぼう、という空気になった時、不審者を確認しに行った騎士の一人がおずおずと申し出た。
「あのぉ~? 一ついいっすか?」
「なんだ?」
「殿下。あの女性のことを一回確認してもらえないっすか?」
「え? 俺が?」
「はいっす。勘違いならいいんすけど、あの女性、どこか見覚えがあって……念のためにお願いするっす!」
「見覚えねぇ……唐突に嫌な予感がしてきたんだが! 知らないフリをして帰ってもいい?」
Uターン、もしくは大きく迂回して一目散に帰りたい。
「帰ってもいいっすけど、最悪の場合は外交問題に発展するかも……」
「やっぱりそっち系? はぁ~……気が重い……」
外交問題……他国の要人の可能性が高いのか。
せめて自国の貴族であってほしかった。
いや待て。気が早い。まだ他人の空似の可能性がある! 俺はそれに一縷の望みをかける!
俺たちはゆっくりと警戒しながら倒れた女性に近づいた。
「マジか……」
彼女の顔を見て思わず天を仰ぐ。
……知ってる。この顔、超絶見たことがある……。
「「「 あぁ…… 」」」
トドメとばかりに近衛騎士からの彼女への驚愕と俺への同情の声が漏れ出たのが聞こえてしまった。
やっぱりみんなも知っているよね、彼女、というかこの御方を……。
薄汚れて頬がこけてやつれ果ててなお揺るがぬ美しさ。美しい美貌を苦悶で歪めると同時にピクピクと動く長い耳。雄大な自然と共に生き、最も美しいと言われる種族。
――エルフ
エルフはエルフでも彼女は――
「ユグシール樹国の姫君アイル・イルミンスール殿下」
目の前で行き倒れているのは他国の王女であった。
なんで……。
どうして……。
Why……。
「うぅ……お腹が……減った……で……ござ……るぅ……」
僅かに意識を取り戻して呻く彼女のお腹から、ぎゅるるるるるるる、と乙女にあるまじき大きな音が鳴り響く。
「マジか……」
俺の現実逃避にも似た小さな呟きは、再び鳴った彼女の空腹の音にかき消されてしまうのだった。
ぐぅぎゅるるるるるるる~……!
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