第228話 甘味


 テーブルの上には大量のスイーツのお皿が並んでいる。ケーキ、パイ、焼き菓子など、世界各国のスイーツだ。

 とても美味しそうなのだが、ここまで大量に並んでいると胃もたれを隠しきれない。

 俺はもう食べられません。しばらく甘い物は食べなくていいかも。


「んぅ~! エクレア最高! チョコとカスタードクリームの組み合わせは反則ね。他にも、カスタードクリームじゃなくて餡子を入れて樹国風にするとか誰が考えたの!? 天才っ!?」


 対面に座るアルスは、幸せそうに微笑みながらスイーツをパクパク食べている。

 彼女の胃袋は底無しなのだろうか。スイーツビュッフェを全種類完全制覇しそうな勢い。多分、もう既に3分の2はアルスの胃の中だ。

 90分食べ放題に連れてきて良かったと思う。アルスの笑顔が止まらない。ついでに手と口も。

 でも、甘い物を食べ過ぎて身体は大丈夫なのかと心配になる。


「樹国は甘さ控えめで食べやすいかな。皇国はフルーツを使ったスイーツが多いし、海国はアイスやジェラート! ねえシラン。ここって天国?」

「天国じゃないのは確かだな」

「あたし、ここに住みたい……」


 重症だ。糖分で頭をやられたのかもしれない。変な薬とか入ってないよね?

 スイーツを見て陶酔し、一口食べて恍惚とする。

 美味しそうに食べ、彼女の美貌も相まって、実に絵になる光景だ。しばらくの間、俺はアルスを見続けよう。

 け、決して甘い物を見たくないというわけではないからな。違うからな。


「それにしても、公国や帝国のスイーツはないな」


 見かけたのは王国、海国、皇国、教国、樹国のスイーツばっかりだ。どこにも公国や帝国のスイーツらしきものは見当たらない。それ以前に、名産とか聞いたこともない。

 アルスは自虐的に微笑みながらスプーンでケーキを掬った。


「そりゃあね。公国は環境が厳しいから甘い物と言ったらドライフルーツになるかな。帝国は砂糖の塊を齧っとけばいい、みたいな考え方なの。本当にバカだよね」


 以前アルスから聞いたことはあったけど、そこまでなのか。

 帝国の食事は強い身体を作るための栄養補給。味は二の次らしい。

 食事を楽しむという概念すら薄そうだ。

 料理を目で見て楽しみ、匂いを嗅いで楽しみ、味を楽しみ、会話を楽しむ。それが食事だろうに。

 国が違えば全てが違うんだなぁ。


「アルスは料理得意?」

「……」


 無言でスゥーッと視線を逸らすアルス。

 俺はそれだけで全部把握した。アルスは料理ができない。


「……あたしは食べるの専門」

「そっか」

「幻滅した? 男の人って家庭的な女性が好きなんでしょ?」

「幻滅? 全然してないよ。人には向き不向きがあるし、そんなに美味しそうに食べてたら誰も何も言わないさ。料理人は作り甲斐があるだろうね」


 それに、と俺は言葉を続ける。


「アルスはアルスだから俺は好きなんだよ」

「うぅ~」


 食べるのを止めて、両手で顔を覆うアルス。綺麗な素肌が真っ赤だ。唸りながら小さく身体を揺らしている。恥ずかしがる仕草が可愛い。

 指の間から潤んだ紅榴石ガーネットの瞳で睨まれる。


「そういうところは卑怯だと思う。女誑しの夜遊び王子」

「なんで!?」

「その誑しスキルは一体誰に仕込まれたの? 天然物?」

「誑しスキルって……母上には小さい頃から女の子に優しくしなさいって言われてた」

「なるほど。それが原因かぁ。だから的確に心を撃ち抜くのかぁ。恋愛小説ではヒロインチョロいって思ってたけど、あたしも案外チョロいかも」


 なんと言えばいいのだろうか。ここは曖昧に微笑んでやり過ごそう。

 はぁ、と嬉しさと不安を滲ませた深いため息をつき、アルスは再びパクパクと甘い物を食べ始めた。テーブル上のスイーツが瞬く間にアルスの口に吸い込まれ、まだ食べていない物を取りに席を立つ。

 もう感心する食べっぷり。見ていて清々しい。こっちまでお腹いっぱいになる。

 このままだと本当に全種類完全制覇を成し遂げてしまいそうだ。

 しかし、いつまで経ってもアルスが戻ってこない。あの美貌だ。変な男に絡まれたのだろうか?

 心配になって席を立った瞬間、手に皿を抱えたアルスが戻ってきた。キョロキョロと周囲を警戒している。


「ごめんごめん。遅くなっちゃった」

「何かあったのか? 男に絡まれたとか?」

「いや、そうじゃなくて……」


 言いづらそうなアルスは、やはり周囲を見渡し、顔を近づけてから小声で囁いた。


「実はね、出入り口にフウロとラティを見つけちゃって、慌ててお手洗いに隠れたの。中の様子を確認してた」

「バレたのか?」

「多分バレてない」


 出入り口にはフウロさんとラティさんらしき人影は見えない。バレたらアルスを連れ戻そうとするから、いないということはバレてないのだろう。

 変な男に絡まれてなくてよかった。安心した。

 まあ、スイーツビュッフェにやって来る男は恋人を連れているか、甘いもの好きの人だけだろう。ナンパしようと思っても、女性は目の前のスイーツに夢中で男になんか見向きもしないはず。至福の時間を邪魔されてキレるだろうし。


「流石あの二人ね。あたしの行きそうな場所がわかってる」

「俺が案内したお店なんだけどな」

「でも、あたしが言い出しそうなお店でもあるでしょ?」

「確かに」


 アルスが大きなシュークリームにハムっと齧りついた。すると、中からクリームが勢いよく飛び出し、彼女の口の周りに付着した。

 キョトンとちょっと間抜けな表情で固まった姿が可愛かった。

 アルスは舌で舐めたが、全部は取れない。俺は身を乗り出して、指でクリームを拭う。


「これで取れたよ」

「ありがと」


 指に付いたクリームをぺろりと舐める。うむ、甘いな。


「シランも食べる?」

「いや、遠慮する。お腹がいっぱいなんだ」


 ごめん、アルス。俺は甘い物を食べ過ぎて胃がおかしくなりそうなんだ。今舐めたのもギリギリ。うぅ、胃もたれが……。


「よし! 目指せ完全制覇!」


 この数秒後、シュークリームをハムっと齧って、再びクリームまみれになるアルス。思わず吹き出してしまった俺は悪くないはずだ。

 見た目は意志が強そうな美人なのに、こういうちょっと抜けたところがアルスの美点だよなぁ。

 彼女の口の周りに付いたクリームを拭いながら、俺は密かに恋人を愛でていた。

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