第216話 親龍祭の開幕

 

 甘い囁き声で俺は目覚めた。

 寝ぼけた視界の中にクールで美しい顔が浮かび上がる。

 衣服は一切纏わず、白いシーツだけを身体に巻き付けたエリカが優しく微笑んでいた。寝起きのエリカも美しくて綺麗だ。


「おはようございます、旦那様」

「んぅ……おはよう、エリカ。今何時だ?」

「朝の四時半でございます」


 四時半。早いな。ヒースのメイドでもあるエリカはいつもこんなに早起きなのだろうか。

 取り敢えず、名残惜しいのでエリカを抱きしめる。

 他の女性……ジャスミンとリリアーネは二人で丸くなって寝ていた。

 外はもう既に明るくなりかけている。城で働く人たちも動き始めているだろう。

 今日は親龍祭の一日目か。忙しくなるのは間違いない。

 欠伸をして、涙が浮かんだ目をグシグシと拭う。

 あぁ~眠い。もっとベッドでゴロゴロしていたい。

 腕の中のエリカは上目遣いで見つめたまま、じっと大人しくしている。


「エリカはもう起きるのか?」

「いえ。いつもの起床時間は一時間ほど遅いですよ」

「……何故今日は一時間早い? それに何故俺を起こした?」

「それはその……旦那様とベッドでイチャイチャしたかったので。ダメでしたか?」


 赤紫色の瞳でウルウルと見つめられたら俺は弱いんだ。それにイチャイチャしたいなんて、可愛すぎるだろうが!

 エリカの瞳は日が昇ると青緑色で、日が沈めば赤紫色になる不思議な金緑石アレキサンドライトの瞳だ。

 今は日が昇り始めて、本当なら青緑色になっているはずだ。でも、今は赤紫色。

 昼でも赤紫色になるらしい。変化する原因は、怒りや興奮などの激しい感情、そして深い愛情だ。


「よし。エリカには今から抱き枕になってもらおう!」

「かしこまりました」


 しっとりスベスベした素肌の感触が気持ちいい。もっちりと柔らかい。

 エリカのほうからも俺の身体に手や足を絡ませてきた。もうどっちが抱き枕なのかわからなくなっている。まあ、それもいいだろう。イチャイチャできればそれでいい。


「旦那様。抱き枕のオプションはどうします?」

「オプション? 抱き枕にオプションってあるのか?」

「はい。優しいキッスは如何でしょう?」

「もらう」


 即答だった。間髪を容れずに答えた。

 抱き枕エリカの優しいキスだぞ。とても欲しい!


「ふふっ。では、お楽しみください」


 目を閉じたエリカの顔が近づき、甘くて柔らかな唇がそっと押し当てられた。

 俺とエリカはジャスミンとリリアーネを起こさないように囁きながら、ベッドの上でイチャイチャするのだった。



 ▼▼▼




「あぁー怠い」

「兄様! だらしないですよ」


 ダラダラと続く退屈な式典をボーっと眺めて小さく呟いたら、弟のアーサーが小声で注意してきた。真面目な弟だ。アーサーにはこのまま大きくなって欲しい。

 王国が崇め奉る白銀の龍に感謝の気持ちを捧げる儀式なのだが、絶対に神龍は興味ないと断言できる。

 興味があることは何だろう? 聞いてみるか。


「アーサーも退屈だと思わないのか?」

「……今は式典中ですよ。私語は厳禁です、兄様」


 はぐらかしたな。アーサーも退屈だと心の中では思っているらしい。

 あぁー暇だなぁ。退屈なので心の中で使い魔たちとお喋りをしよう。

 表面上は真面目な顔をしつつ、心の中で喋ること数十分。そろそろ父上の親龍祭の開催の挨拶が始まる時間だ。

 親龍祭は建国記念日ではない。800年以上前、初代国王陛下と王妃殿下が神龍と出会った日だ。そこから全てが始まり、二人は龍と共に内乱が続く地をまとめて治め始めた。そして、出来上がったのがドラゴニア王国である。

 だから、親龍祭は神龍と出会った記念日であり、建国記念日はまた別にある。

 親龍祭という神龍に感謝を捧げる祭りは10日間行われる。国民の祝日だ。

 まあ、休まずに儲ける人も多いけど。飲食店などは稼ぎ時だから。

 祭りを純粋に楽しみたいという気持ちも多いだろうが、ドラゴニア王国の国民が待ち望んでいることは別にある。


「アーサー。さっきからソワソワしてどうしたんだ?」

「そりゃソワソワしますよ! 神龍様がご降臨されるんですよ! 神龍様を拝められるのは年に一回この日だけなんですから!」


 そう。白銀の龍は毎年親龍祭の開幕と同時に王都の上空に現れる。それを心待ちにしている国民が多いこと。龍を見るためにわざわざ王都へやって来る人もいる。

 数週間前に迷宮都市ラビュリントスに神龍が降臨したこともあり、今年は例年以上に熱が高まっている。


「一度聖域でお会いしましたが、物凄く威厳があって美しかったですよね」

「そうだな。綺麗だったよな。俺も未だに忘れられない」


 王族は幼い頃に聖域に赴いて、神龍に認められなければならない。認められてからやっと王位継承権が与えられるのだ。

 聖域の巨大な洞窟に棲む白銀の龍。荘厳華麗で神々しく、感動を覚えるほど美しかった。十年以上経っても鮮明に覚えている。

 おっと。アーサーと一緒に過去を思い出していたら、式典の最後に差し掛かっていた。

 豪華な衣装を身に纏い、国王としての覇気を纏った父上が壇上に上がる。

 全員が注目し、シーンと静まり返った中に、父上の真面目な声が響き渡る。


「親龍祭の開幕をここに宣言する!」


 盛大な拍手と楽器の演奏が鳴り、その瞬間、王都の上空を巨大な影が覆い尽くした。

 蒼穹を泳ぐ白銀の巨体。鱗に覆われた身体。鋭い爪や牙。空色の龍眼。いつ見ても美しい。

 ドラゴニア王国を守護する神龍が降臨し、巨大な咆哮を轟かせる。

 その吠え声は遠くまで届いただろう。多くの国民に伝わる親龍祭の開幕の合図だ。王都からも大歓声が聞こえてくる。

 神龍は王都を睥睨すると、姿が掻き消えた。

 龍が消えても興奮は冷めない。むしろさらに高まった。

 誰もが感動と興奮を覚える中、帝国の関係者だけが白銀の龍が消え去った空をいつまでも睨みつけていた。

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