第203話 仕事終わりのお風呂

 

 国王の執務室。人前では威風堂々と覇気を纏う俺の父上は、今はプライベートな時間らしい。執務机に突っ伏して、だらしなくしている。

 報告にやって来たのに、父上のあまりのやる気のなさにタイミングを逃してしまった。宰相も騎士団長も父上を無視している。彼らの前ではいつものことだから。


「父上、大丈夫ですか?」

「……大丈夫だと思うか? 俺を見て大丈夫だと思うのなら病院に行ったほうがいいぞ」

「頻繁にその姿を見るんですけど」

「国王辛い……大変……父上みたいに早く退位したい……」

「とコレは言ってますが、宰相」


 父上コレを指差して宰相に問いかけると、宰相は眼鏡をクイっとあげて、ジロリと国王を一瞥すると、すぐに手元の書類に目を落とした。


「殿下、ソレは放っておいてください。最低でも十五年くらいは続けてもらいますから」


 宰相にもソレ呼ばわりですか。父上、ドンマイ!

 普段は弱音を吐かない国王を演じているが、プライベートでは弱音を吐いたり愚痴を言うのが普通だ。そうじゃないと精神が壊れてしまう。それほど国王の仕事は激務なのだ。

 まあ、父上は母上たちの手にかかって癒されれば、次の日には打って変わってやる気に満ち溢れているから、本当に放っておいていいのだが。


「シラ~ン。親龍祭の期間中に頼みがあるんだがぁ~」

「父上のお忍びの手助けなんかしませんよ」

「ちっ!」


 国王が舌打ち。大丈夫か、この国は。というか、全然声にやる気がないな!


「シランは何か予定あるのか?」

「表に出るのは必要最低限にして、引きこもっていようかと。あとはコソッと父上たちの護衛をするつもりです」

「護衛はしなくていいから、女性たちとデートしてきてくれないか?」

「デート? さいしょー! 父上の頭が末期ですよー!」

「私も陛下に賛成ですが」

「宰相も頭がおかしくなっているらしい。レペンス騎士団長。おかしくなった二人の護衛お疲れ様です。大変でしょう? 今度美味しいものでも贈りますね」

「ありがとうございます、殿下!」


 いつもの冗談はここまでにしておこう。だから、父上も宰相も、美味しいものが欲しい、という眼差しを向けないでください。お二人にも贈りますから。


「父上、宰相。本当にいいんですか? 俺は評判が悪いので、大人しくしていたほうがいいと思うのですが」

「だからこそ役に立つのだ」

「殿下、親龍祭の期間中は国内外の貴族たちが集まり、王都の街へ繰り出します。祭りを楽しむために」


 なるほど、もう全部理解した。


「そうすると、貴族たちがトラブルを起こすから、それをできるだけ止めて欲しいってことですね」


 その通り、と深く頷く父上と宰相。

 貴族が一番人が集まる王都の街へ遊びに行く。すると必ずトラブルが発生する。

 良識のある貴族なら、行きたいお店を事前に予約するだろう。そういう貴族は心配いらない。

 でも、横暴な貴族もいる。賑わった道を掻き分けながら馬車で押し通り、店の客を無理やり追い出して貸し切りにする。邪魔な平民を斬りつける。他国の貴族だが、無理やり奴隷にしようとする、などなど毎年トラブルが絶えない。

 父上たちは、俺が普段通り夜遊び王子を演じて女性とデートをしながら、そういう貴族とのトラブルに割り込んで問題を解決してほしいらしい。確かに俺にしかできない役割だ。


「了解です。出来るだけ止めますね」

「頼んだぞ。貴族を止める以外の時間は、女性たちと仲良くデートを楽しんでくれ」

「はい。それじゃあ報告書は置いておくので、俺はそろそろ帰りますね。父上も衣装合わせの時間でしょ?」

「おっと、そうだった」

「では、失礼します」


 俺は執務室から転移して自分の屋敷に戻った。使い魔たちに挨拶しながら屋敷の中を歩く。

 今日も疲れたなぁ。今夜もこれからやることがあるけど。忙しすぎる。


「キレイキレイするわよ」

「うぅ~!」


 おっ? テイアさんとセレネちゃんだ。顔をしかめて嫌がっているセレネちゃんをテイアさんが抱っこしている。セレネちゃんの月長石ムーンストーンの瞳が俺に気づいた。抱っこしてくれと言うように両手を俺に伸ばす。可愛い。


「あっ! にぃにぃ! おかえりなしゃ~い!」

「シランさん、お帰りなさい」

「セレネちゃん、テイアさん、ただいま」

「にぃにぃ抱っこ!」


 ピョンと母親の腕から抜け出して、猫の獣人の跳躍力でジャンプする。反射的に抱っこして、俺の腕の中にすっぽりと収まった。


「もうセレネったら……」

「いいよ、テイアさん」

「甘やかしすぎるのもダメですよ、シランさん」


 それもそうか。でも、ゴロゴロと喉を鳴らしてスリスリしてくる子猫が可愛すぎる! 天使がここにいた!


「セレネちゃんは何を嫌がっていたんだ?」

「お風呂ですよ。大量の水が怖いみたいで」


 あぁ~。小さい頃って水が怖かったりするよな。ウチのお風呂は広いから水の量も多い。小さいセレネちゃんは怖く感じるのだろう。

 潤んだ月長石ムーンストーンが至近距離で上目遣いをする。


「にぃにぃも一緒に入るならセレネも入る」


 えっ? 俺も? 別に俺は良いけど。孤児院では遊んで汚れることもあるから、ちびっ子たちと入ることもある。でも、テイアさんの許可が必要だ。

 日長石サンストーンの瞳が一瞬だけ閉じて、仕方がないわね、という光が浮かぶ。


「シランさん、お願いしてもよろしいでしょうか?」

「もちろん。セレネちゃん、一緒に入るか!」

「やったー!」


 一度着替えを部屋に取りに行き、お風呂へ向かう。

 脱衣所には服が脱ぎ捨てられていた。この下着や服から察するに、ジャスミンとリリアーネらしい。ジャスミンはともかく、リリアーネは珍しいな。籠に投げ入れた形跡もある。


「どなたか入っているみたいですね」

「そうだな……って、テイアさん!? 何故服を脱いでいるんですか!?」


 思わず驚きの声をあげてしまった。

 テイアさんは服を脱ぎかけてブラが露わになっていた。オレンジ色のブラだった。まだ少し痩せているが、予想以上の胸の膨らみ。

 不思議そうな顔をして下着姿になり、しゃがんでセレネちゃんの脱ぐ手伝いをする。


「何故って一緒に入るからですけど。セレネから目を離せませんから。子供が小さい頃は親が頭を洗っている時にお風呂で溺れてしまうこともあるんですよ! セレネ、ばんざーい!」

「ばんざーい!」


 テイアさんの言う通りだけど、俺と一緒に入ってもいいの? 俺、お年頃の男ですよ。

 セレネちゃんの服を脱がせながら、一瞬だけ俺を見上げる。


「で、出来ればあまり見ないでもらえると助かります。恥ずかしいので」

「お、おう」


 頬を朱に染めて母親の魅力溢れるテイアさんに見惚れてしまったが、何とか目を逸らして俺も服を脱ぐ。すぐに腰にタオルを巻いて隠した。

 バスタオルを身体に巻いたテイアさんと裸の幼女のセレネちゃん。セレネちゃんを真ん中にして、三人で手を繋いで浴室に入る。

 中では、ジャスミンがリリアーネにシャワーを向けて固まっていた。


「入るぞー」

「あんたねぇ、先に許可を取りなさいよ。親しき中にも礼儀があるでしょ」


 ジャスミンが腕で胸を隠す。さりげなく反対の手で股の辺りも隠す。それが逆に扇情的な光景だ。素肌を伝って透明な雫がこぼれ落ちていく。


「別に拒否はしないから。でも、覚悟を決める時間くらい欲しいわ」

「小さい頃からお風呂に突撃してきた人は誰だったかな? 今も突撃する人は誰だろうなぁー?」

「あぁーあぁー! 聞こえなーい!」

「確か金髪の……」

「誰かしらー?」

「ぶはっ!? シャワーを向けるな!? ぶふっ!?」


 か、顔にぃお湯がぁ!? 鼻に入った! 苦しい!

 セレネちゃんはいつの間にかテイアさんが避難させている。身体を隠そうとしないリリアーネも何故かジャスミンの味方をして俺にシャワーを向けている。

 そこの美女二人! 楽しそうに笑うなぁ~!

 二人に背を向けてしゃがんでゲホゲホと咳き込んでいると、セレネちゃんがトタトタと前に現れた。

 小さな両手に溜めたお湯を俺の顔にビシャッと……。


「ママー! にぃにぃに水をかけたぁー!」

「セレネちゃん!?」


 悪戯をして、楽しそうに声をあげながら母親の下へ逃げていく幼女。その娘を優しく撫でる母親。


「セレネ、よくやったわね」

「テイアさん!?」


 まさかのテイアさんの指示!?

 悪戯っぽい笑顔を浮かべたテイアさんが、ペロッと舌を出した。テイアさんは意外と茶目っ気があるらしい。

 ふっふっふ。あとでお湯に浸かった時にバシャバシャとかけてあげよう。


「シラン、私が体を洗ってあげるわ」

「私もします。でももうちょっと待ってください。洗っている途中なので! ジャスミンさん、泡が落ちちゃったじゃないですか」

「あっ、ごめん」

「セレネもにぃにぃをキレイキレイすりゅ~!」

「セレネは先に自分の身体をキレイキレイしましょうね」

「は~い!」


 今日もお風呂は賑やかである。でも、自分の身体くらい自分で……あっ、ダメなんですね。わかりました。

 全員が身体を洗い終わり、お風呂に浸かったら、お湯かけ合戦が勃発した。

 唯一味方をしてくれた幼女天使の最後の裏切りによって、俺は撃沈した。

 くっ! やはり母親は強い。『セレネ、こっちにおいで』という一言でセレネちゃんが寝返るとは……。

 バシャバシャとお湯をかけ合い、笑い合うのはとても楽しかった。

 この日以来、セレネちゃんのお風呂嫌いは無くなったという。


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