第204話 実家に帰る婚約者たち
朝食をしっかりと食べ、登城の準備を整えた俺は玄関ホールに向かった。
城から連日呼び出されているのだ。親龍祭の前だから仕方がない。多分、今日から泊まることになるだろう。
まだ少し時間はあるし、ランタナ達の到着をのんびり待っていようかと思っていたら、先に待っている人物がいた。足元には荷物が置かれていた。
珍しく青系のラフなドレスに身を包んだリリアーネがお淑やかに歩いて近寄ってきた。
「シラン様」
「リリアーネどうした? どこか行くのか? 荷物もまとめて」
「はい、実家に帰らせていただきます」
「……はっ?」
神妙な表情のリリアーネから予想だにしない言葉が飛び出してきて、思わず絶句してしまった。数秒してリリアーネの言葉を理解する。
リリアーネが実家に帰る? 実家ってヴェリタス公爵家だよな? 何故? どうして!?
何か言おうとしても言葉が出てこない。口がパクパク動くだけだ。
「実家と言っても、王都にある屋敷ですが」
「な、なんで……?」
何とか言葉を発することが出来たが、驚くほどかすれた声だった。
俺って何かしたっけ? リリアーネを怒らせることでもした?
心当たりは……結構たくさんあるな。一番大きなのはアルスのことか? まだ二人に言ってないし。バレたのか? バレてしまったのかぁ~!?
リリアーネの表情からは何も読み取れない。じーっと俺の瞳を覗き込んでくる。
「シラン様には心当たりがあるのではないでしょうか?」
ぎ、ぎくっ!?
平静を装っているが、背中は冷や汗がダラダラと流れて、服が張り付いている。
スゥーッと視線を逸らした先で、今度は
「シランどうしたの? 憔悴しきった顔をして」
「ジャ、ジャスミン。ちょっといろいろあってな。ジャスミンは珍しいな、その格好」
「あぁ、これね。実家に帰るから仕方ないのよ。動きづらいわ」
「ジャスミンも!?」
落ち着け~俺。落ち着くのだ。婚約者が同時に実家に帰る。二人で話し合っていたに違いない。
これは不味い。実に不味い。非常に不味い。
俺、土下座しに公爵家に行かないといけないだろう。親バカな公爵二人に謝っても、殺される運命しかないんだけど。泣かせたら容赦しないって脅されてるし……。
あはは……俺終わった……。
「か、考え直してくれない?」
「無理よ」
即答でした。そこまで決意は固いのか。グロリア公への土下座確定。
「リリアーネは?」
「無理ですね」
こっちも即答。ヴェリタス公への土下座確定。
「ねえ、リリアーネ。シランはどうしてこうなってるの? 口から魂が抜けそうなんだけど。なんか笑える」
「実家に帰ると言ったらこうなりました」
「なんで?」
「さあ?」
リリアーネとジャスミンは首をかしげている。
普通妻に、いや、二人は婚約者だけど、実家に帰ると宣言されたら、男は俺みたいに慌てふためくと思うんだけど。
「ジャスミンさん、シラン様に事前に言いましたっけ?」
「えーっと……どうだったかしら? 言ってないかも」
「私は覚えがありませんね。昨夜言おうと思って忘れてました」
「私もそうかも。正確には、全て忘れるくらい、何も考えられないくらい愛されたんだけどね」
「ふふっ、そうでしたね」
「おーい、二人とも。何の話だ?」
「「 実家に帰る話 」」
ごめん。簡潔すぎて俺には全然伝わらない。詳しく教えてください。
「シラン様、時期をお考え下さい。親龍祭の前ですよ」
「私たちは一応公爵家の娘で、王子であるシランの婚約者よ。一度帰って来いって実家に言われたの」
親龍祭の前。帰って来いと実家に言われた……。
数秒してからやっと理解できる。
なるほどぉ~! そっか。そうだよね。びっくりしたぁ。
てっきり、俺に愛想を尽かしてしまったのかと不安になったではないか。
あぁ~よかったぁ。これで土下座コースは回避された。安心したぁ。
心の底からホッと安堵したら身体から力が抜けた。ヨロヨロと近くの椅子に座って、大きく息を吐く。
「シラン様!? 大丈夫ですか?」
即座にリリアーネが駆け寄ってきて、少しひんやりとする両手で俺の首筋を触り、前髪を描き上げて額と額をくっつける。
キスが出来そうなほど超至近距離。甘い吐息がくすぐったい。ふわっと香る花のような匂いに包まれる。
「熱はないようですね」
「体調悪いの? 誰か呼んでこようか?」
「リリアーネ、ジャスミン。俺は大丈夫。ちょっとホッとしただけだから」
何度か深呼吸をして、心配そうな二人を見上げる。
「力が抜けるくらいホッとするってどういうことよ」
紫と蒼の視線が突き刺さる。無言の、説明して、というメッセージが伝わる。
実家に帰ることに猛烈に焦っていたことを説明しないといけないのか?
滅茶苦茶恥ずかしいんだけど。
俺は目を逸らしながら小さくボソボソと呟き始める。
「……二人が実家に帰ると聞いて……超焦ってました」
「なんで?」
「……二人が俺に怒ったのかなぁって。愛想尽かして実家に帰ると言い出したのかと……」
ジャスミンとリリアーネは顔を見合わせて、同時に吹き出した。おかしそうにクスクスと笑い始める。
笑いが止まらず、お腹を押さえて蹲ったり、背を向けたりしている。呼吸困難になるほどの大爆笑だ。ヒィーヒィーと喘いでいる。
だから言いたくなかったんだよ。笑うとわかってたから。ここまで大爆笑とは思ってなかったけど。
「あぁーおかしい! 何その仏頂面! ふふっ!」
「ふふふ……ジャスミンさん、ダメですよ、シラン様が、拗ねちゃいます。ふふふ!」
俺は拗ねないぞ。子供じゃないんだし。
「ほ、ほら拗ねちゃいました」
「い、今のはリリアーネのせいでしょ!」
しばらくの間、二人の笑い声は止まらなかった。止まったと思ったら再び吹き出し、お腹痛い、と笑いながら叫んで、目に浮かんだ涙を拭う。
二人の笑い声を眺めていたら、もうどうでもよくなってきた。
笑いすぎで立てなくなったようだから、近くの椅子を持ってきて隣に座らせた。
「久しぶりにこんなに笑ったわ」
「そこまで笑うことじゃなかっただろ。俺、公爵家に土下座しに行って、ぶった斬られる覚悟までしてたんだから」
「なるほど。実家に帰るという言葉は使えそうですね」
「そうね」
輝く美しい笑みを浮かべている二人。悪戯っぽく口元を緩ませている。
どうせ俺を脅す時に使うんだろ。それ以外に使い道ないよね?
二人の頭がコテンと肩に乗ってきた。耳元で囁かれる。
「私たちを怒らせないように気を付けてくださいね?」
「実家じゃなくて、王妃様たちに泣きつくかもしれないけど」
「それだけは本当に勘弁してください! 母上たちに怒られるよりも公爵にぶった斬られた方がまだマシです!」
なんてことを考えるんだ。母上たちは普段はニッコニコだけど怒ると超怖いんだよ。思い出しただけでも恐ろしい。
良いことを聞いちゃった、とジャスミンとリリアーネが再び楽しそうにクスクスと笑い始める。
「まあでも、少し嬉しかったわよ。そこまで焦ってくれて」
「愛されてる証拠ですからね」
二人と手を握って指を絡ませ合う。これはジャスミンとリリアーネから愛されている証拠だな。二人を怒らせないように気を付けよう。
迎えが来るまでの間、玄関ホールでのんびりまったりしているのであった。
「それにしても、あの時のシランの顔! ふふっ!」
「ちょっとジャスミンさん! 思い出させないでくださいよ! ふふふっ」
「いつまで笑うんだよ!?」
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<ショートショート> ※本編には関係ない短編です。
『影に潜む寂しさ』
ひっそりとした物陰で生まれた。
気付いたらそこに存在していた。
自分が何者かわからない。
ここがどこだかわからない。
何をしたらいいのかわからない。
いつも静かに黙って通り過ぎる人を眺めていた。
楽しげな笑い声。手を繋ぐ娘と母親の笑顔。
朝が来て、昼が来て、大好きな夜が訪れる。
何度も何度も日が過ぎ去る。
気付くと、私はその場から動いていた。
生まれた場所を抜け出して、心の赴くまま、何かを求めて地上を歩く。
その気持ちが寂しさだということにあとから気づいた。
私は地上を彷徨い、人間の前に姿を現した。
でも、私が求めていたものは手に入らなかった。
人間たちは私を見て悲鳴を上げて逃げ惑う。攻撃もしてきた。
ちゃんと同じ姿をしているのに。気に入った女の子とそっくりの姿をしているのに。
何故? どうして? どうしてそんな顔をするの? 何故私を化け物だと罵るの?
私は逃げた。逃げて逃げて逃げた。でも、人間たちは追いかけまわす。
それでも私は何度も求めた。でも、誰も受け入れてくれなかった。
諦めかけて、寂しさでどうにかなってしまいそうだった。
私は一人。ずっと一人。暗い闇で生まれた化け物。
生まれた場所に雰囲気が似ている物陰に隠れて膝を抱えた。
その時、彼に声をかけられた。
『ねえ、君。僕と一緒に来ない?』
銀髪のメイドを引き連れた、自分の姿と同じ年くらいの幼い少年が立っていた。
『僕の家族になってよ』
家族……。
疑うことを知らなかった私は、あっさりと少年の手を取った。
これでもう寂しくないんだ。私は一人じゃないんだ。受け入れられたんだ。
彼と契約して心が繋がった時、私の心には安堵しかなかった。やっと自分が求めていたものが手に入った。
そして、初めて温かい感情が広がっていった。
『君の名前は……』
その日の夜空は忘れられない。手を繋いで歩いた彼の手の温もりも忘れられない。
彼が付けてくれた大切な名前も忘れられない。
夜の街を歩きながら、彼の傍にずっと居たいと思った。
だから私は常に彼の傍にいる。
昔のことを思い出したら彼と触れ合いたくなった。
「おっ? どうした? まだ明るいぞ」
あれから十年以上して、成長した彼の膝の上によじ登る。
私はお気に入りの少女の姿。彼と出会った時の姿だ。
彼の胸にもたれかかって、大きな手を握る。あの時のように温かい。
仕事の手を一旦止めて、彼は私を抱きしめてくれる。
「寂しがり屋だなぁ」
少し呆れた彼の声。私は仏頂面で答える。
「悪い?」
「いや全然。可愛いなぁって」
「もっと抱きしめて」
「はいはい。仰せのままに」
私はハイド。影に潜み、陰から支える彼の使い魔。
彼のおかげでもう寂しさはない。
でも、時々寂しくなったと嘘を言って甘えているのは彼には
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