第189話 モンスターハウス

 

 ダンジョンに潜ること五日目。昨日は、第60階層でボスモンスターのリッチをアルスが一撃で倒した後、61階層に下りてすぐに休むことになった。ぐっすりと寝て疲れを取り、今日もハイペースで突き進む。

 探索を続けること数時間、現在は第63階層に挑んでいる。潜れば潜るほどダンジョンの中が広大になり、モンスターが強くなる。

 ペースが落ちてきた。まあ、普通なら五日で60階も下りないので、普通と比べたらペースは速い。

 原因は、ダンジョンの広さやモンスターだけではない。アルスのせいでもある。

 彼女の身体が危なっかしい。緊張や不安により、あまり眠れていないようだ。目の下にはっきりと隈が出来ている。寝不足により注意散漫。反応も鈍い。ボーっとしている。

 そろそろ強制的に休ませたいが……。

 真っ直ぐに進むと、ボス部屋に似た広大な広さを持つ空間にぶつかった。足を踏み入れようとするアルスの服を引っ張って止める。


「……どうしたの? 早く進みましょう」

「待ってください。ここはモンスターハウスです」


 モンスターハウス。ダンジョンの中に存在するトラップの一種。今までとは比べ物にならない数のモンスターが出現するエリアだ。どんなダンジョンでもモンスターの数は軽く百を超える。

 大量の不死者アンデッドモンスターに囲まれたくない。遠慮したいです。でも、ここが一番の近道。他の道だと三倍ほど時間がかかるらしい。

 先人の地図は実に助かる。数十年、数百年かけて探索し、ダンジョンの地図が作られている。このダンジョンはずっと昔から変わっていない。


「ここを抜けることが一番の近道なんでしょ? 行くしかないじゃん」


 そうなんだけど、アルスが危なそうなんだよ。例え身体が頑丈でも、呪いにはかかるし、防御力を上回る攻撃をされたら怪我をする。頑丈な身体を持つ人ほど防御が疎かになって命取りになる。ただでさえ、今のアルスは頭が働いていないのに。


「絶対に離れないでくださいよ」

「わかってる」


 俺たちはモンスターハウスに突入した。少し進むと、一気に床が輝き出し、モンスターが召喚される。俺たちはモンスターに囲まれた。高位の不死者アンデッド

 攻撃される前に一気に片付ける。先手必勝。


「《ディバイン・パニッシュメント》」


 神々しい聖なる光が不死者アンデッドを浄化して焼き尽くす。インピュアの得意技だ。広範囲にわたってモンスターが消滅した。

 しかし、攻撃を躱したモンスターがいる。

 空中に飛び上がった人型のモンスターたち。背中から生えた黒い翼。瞳が妖しげな金色に光る。


「あれは動く屍リビングデッド! それもインキュバス! アルス! 目を瞑れ!」


 普通なら死霊術によって新鮮な死体から作り出されるモンスターだが、ここはダンジョン。何でもありだ。

 そして、インキュバスは男の淫魔。女性の天敵である。その効果は魅了。


「あっ……」


 アルスが魅了された。手から杖が零れ落ち、カランコロンと音を立てる。

 ちっ! 遅かった。不死者アンデッドになっても魅了するのかよ。死んだら大人しくしろ!

 俺は残ったモンスターを全て吹き飛ばす。

 魅了しか取り柄のないインキュバスの動く屍リビングデッドはあっさりと消滅した。

 床に大量のドロップアイテムが出現する。

 しかし、今はどうでもいい。早くアルスの魅了を解かなければ。

 振り向いた瞬間、俺の視界は真っ赤に染まり、押し倒された。


「はぁ……はぁ……熱い……体が熱いの……」


 赤の正体はアルスの髪の毛。魅了を受けて発情したアルスが俺に飛び掛かってきたのだ。

 肌は火照りピンク色。紅榴石ガーネットの瞳はとろ~んと蕩け、酒に酔ったかのようにうっとりとした表情だ。息は熱くて荒い。汗が肌に浮かび、甘い香りが俺の欲望を刺激する。


「退いてください」


 振り払おうとするが、身体が動かない。馬乗りになったアルスの馬鹿力で押さえつけられている。


「あぁ……体が疼いてる……」


 だらしなく緩んだ口から涎が垂れた。俺の顎の辺りに落ちる。仮面をしているが、口の周りは露出しているのだ。

 さっさと正気に戻そう。このままだと面倒なことになる。

 魔法を発動させようとした瞬間にアルスが放った言葉を聞きは思わず固まってしまった。


「シラン……体が熱い……どうにかして……」


 今なんて? 俺の名前を呼んだ?

 一体どう言うことだ!? もしかして、俺の正体に気づいて……。

 いや、これは魅了のせいだろう。アルスは幻覚を見ているのだ。

 でも、何故俺の名前を呼んだのだろう?

 そんなことは今はどうでもいい。今の数秒で、アルスは俺の手を自分の胸に押し付けている。柔らかな感触が伝わってくる。


「……あたし」


 アルスの顔が急に近づいてきた。熱い吐息が顔にかかる。

 唇と唇がぶつかる……。


「くっ!?」


 本当にギリギリのところで、アルスがガバっと顔を上げた。

 俺の口にポタポタと何かが垂れてくる。錆びた鉄の味。アルスの血だ。

 アルスは強靭な精神力で何とか耐え抜き、咄嗟に唇を噛みきったのだ。まだ魅了の効果が残っているが、ヨロヨロと俺から離れ、テント型の魔道具を展開させる。


「ごめん、なさい……」


 小さな声で呟くと、アルスは中に入っていった。

 残された俺は、地面に倒れたまま大きな息を吐く。

 危なかった。状況に流されてキスしてしまう所だった。乱れるアルスに魅了されて全然動けなかった。


「俺の馬鹿野郎」


 アルスの精神力が強くて助かった。そうじゃなかったら大変なことになっていただろう。

 しばらくテントから出てこないはずだ。発情も時間が経てば無くなる。落ち着いたら出てくるだろう。

 起き上がり、ドロップアイテムの回収を行う。そして、結界の魔道具を設置する。

 ここはモンスターハウスの中だ。時間が経てば再びモンスターが召喚される。

 留まるのは危険だが、アルスが中にいるためテントを移動させることが出来ない。テント型の魔道具の欠点の一つだ。仕方がない。

 それから数時間。召喚されるモンスターたちを倒すこと数回、疲れ果てたアルスがテントから出てきた。お風呂に入ったようでさっぱりしている。


「え、えーっと……」


 気まずい。滅茶苦茶気まずい。アルスは顔を逸らせて、恥ずかしそうに身体をもじもじさせている。


「アルストリアさん。今日はここで休みましょう」


 必殺、話題に触れない!

 全てなかったことにする。話題にも出さない。アルスは何も悪くない。モンスターのせいだ。


「でも……」

「ここ数日あまり寝ていませんよね? 目の下に隈があります」


 眼の下を触るアルス。誤魔化しきれないと思ったのか、観念してゆっくりと頷く。


髑髏スカルと戦う時にボーっとしてもらっては困ります」

「……わかった」

「眠れないのなら、睡眠の魔法をかけますよ」


『ぐっすり眠るあたしを襲うつもり!?』と言うかなと思ったけど、アルスは小さく『お願い』と言っただけだった。

 食事をして栄養補給をした後、アルスは再びテントの中に入った。

 次に出て来たときには、目の下の隈は無くなっていた。ぐっすりと眠れたらしい。

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