第178話 世界の動き


 チャポンと天井から垂れた雫が水面に落ち、小気味良い音を立てる。

 ムワッと蒸し暑い空気。心と体が温まって癒される心地良いお湯。とても広い豪華な大浴場。

 午前中から俺はお風呂に入っている。とても贅沢だ。

 一緒に入るのが女性だったらもっと癒されるのだが、現在一緒に入っているのは暑苦しい中年おっさん三人。


「急に呼び出してすまなかったな」

「いえいえ。何か用事があるんでしょう、父上?」


 俺の父であり国王であるユリウス・ドラゴニアが、頭にタオルを乗せてのんびりしている。国王は激務だから、偶にはゆっくりするのもいいだろう。

 そして、一緒に入っているのは、いつも通り宰相のリシュリュー・エスパーダ侯爵と近衛騎士団団長レペンス・ダリア侯爵だ。

 宰相はお風呂なのに眼鏡を外さず曇らせ、騎士団長は太い筋肉をピクピクさせている。


「用事なぁ……それは、俺が息子と風呂に入りたかったからだぁ!」


 父上の大声が広い浴室に反響する。徐々に反響が消えていき、シーンと静まり返った空間に、ポチャンという雫が落ちる音だけが響く。


「じゃあ、そろそろ上がるんで失礼しまーす」

「あぁ我が息子よ! ちょっと待ってくれ! もうちょっとだけ! ちょっとだけでいいからぁ!」

「ち、父上! くっつくな! 裸でしがみつくな! おっさんに抱きつかれる趣味はない! 暑苦しい! うわっ! 父上の汗がぁ~!」

「ふはははは! シランが言うことを聞くまで、男同士、汗だくで抱きしめ合おうじゃないか!」

「止めろぉ~! わかった! わかりましたから! もう少しいますから!」


 父上は上機嫌で俺を解放してくれた。この隙に逃げ出そうかとも思ったが、あまりのショックで身体が動かない。

 うぅ……今ので一気に精神が削られた。裸の父上に抱きしめられた感触がまだ残ってる。うえぇ。


「陛下。シラン殿下に嫌われますよ」

「そうですぞ。普通は一緒にお風呂なんか入ってくれませんからな」

「裸の付き合いで仲良くなれると思うのだがなぁ……」


 まあ、その可能性もあるけどね。俺とランタナみたいに。

 おっと。恥ずかしい記憶まで思い出しそうだから、これ以上考えるのは止めておこう。

 裸の付き合いで仲良くなることもある。でも、父と息子はねぇ。反抗期もあるからなぁ。

 兄上たちは絶対に入らないし、弟のアーサーも入らない。

 親父三人が哀愁を漂わせている。父親って大変そうだ。

 俺たちは温かいお湯に癒される。


「シラン、とうとう一カ月を切った親龍祭の件なんだが」


 突然、父上が話し始めた。これが今日俺を呼び出した本題だろう。


「情報を整理しておこう。シランが行ったフェアリア皇国からは」

「皇族が全員いらっしゃるみたいですね。オベイロン皇王陛下、ティターニア皇王妃殿下、エフリ皇女殿下、ジン皇子殿下、そして、ヒース皇女殿下」

「シランのお嫁さんだな」

「うぐっ!? そうですよ! ヒースは俺の婚約者ですよ!」


 ニヤニヤしているおっさん三人の顔にお湯をビシャビシャかける。特に父上には念入りに。

 ヒースが来るということは、たぶんエリカも来るだろう。専属メイドだし。

 ということは、ジャスミンやリリアーネとも顔合わせすることになる。みんな楽しみにしていたけど、修羅場にならないよね? 実に不安だ。


「サブマリン海国は、ここ数年は使者のみの参加だな」


 ドラゴニア王国の南方の海底にある国だ。情報があまり伝わってこない。王国と仲は良いんだが、国の事情を全部話すわけにはいかない。何か理由があるだろうけど。

 宰相がびしょ濡れのメガネをクイっとあげる。


「ユグシール樹国も今年は使者のみの参加だそうです」


 王国の北の国。エルフたちが治める広大な森の国ユグシール樹国。毎年王族が来ていたんだけどな。珍しい。


「あっ、そう言えば、モンスターに襲われたとか……」

「はい。軽い《魔物の大行進モンスター・パレード》が起きたそうで、今年は国の復興を優先させるとのことです」


 それは仕方がない。自国をないがしろにするわけにはいかないからな。


「ラブリエ教国からは教皇だな」

「これは例年通りですね」


 王国の北西に位置している教国は宗教国家だ。宗教はラブリエ聖教と呼ばれている。

 人が多く集まる場所では、教えを伝えやすいし広めやすい。このチャンスを逃さないだろう。

 前は聖女も親龍祭に来ていたらしいのだが、俺には記憶がない。当代の聖女は、国から出ないらしい。


「デザティーヌ公国からは公王と公子が来るそうだ」


 北東の隣国デザティーヌ公国からは公王陛下と公子殿下か。王国とは仲がいいとは言えないが、何年かに一度来国するから、珍しいことではない。でも、公子殿下は初めてか?

 そして、残る国は一つ。東に広がるヴァルヴォッセ帝国。ここは長年戦争をしていたこともあり、皇族は過去に一度も王国に来たことが無い。今は一応停戦状態だが、話し合いもお互いの国境を挟んで行われた。この国は絶対に来ないだろう。


「ヴァルヴォッセ帝国からは皇帝だな」

「……父上? 今なんと?」

「ヴァルヴォッセ帝国の皇帝がいらっしゃる」

「……嘘ですよね?」


 冗談だ、という言葉を期待したのだが、父上は真剣な顔をしている。宰相と騎士団長に確認しようとしたが、彼らも真面目な顔をしていた。

 えっ? ドッキリじゃないの? 本当の話? あの帝国の皇帝陛下が来る?


「えぇっ!?」

「驚くのもわかるぞ、シラン。俺も聞いたときは椅子から転げ落ちた」

「私は眼鏡を落としましたね」

「私は思わず呆然としてしまいました。もし襲撃されたら、反応が遅くなっていたでしょう。私もまだまだですな」


 冗談じゃなかったのか。あの帝国の皇帝が王国に来るのか……。何が目的だ!?


「そんなことは早く言ってくださいよ! 俺にもいろいろあるんですから!」

「俺だって報告を聞いたのはついさっきだ。一応親龍祭に招待したのだが、帝国に送った使者が先ほど戻ってきてな。何度も確認したが、本当みたいで……。だから慌ててシランを呼び出したのだ」


 な、なるほど。だから急に呼び出されたのか。

 《龍殺しゲオルギウス》を英雄とするヴァルヴォッセ帝国は、龍を崇めるドラゴニア王国とお互いに相性が悪い。

 帝国では龍は悪者だ。だから龍を崇める王国が嫌い。

 王国は崇める龍を悪者にされ、殺そうとする帝国が嫌い。

 価値観の違いは仕方がないことなのだが、酷ければ戦争に発展する。実際、王国と帝国は何度も戦争をしてきた。


「……それだけじゃない」

「まだあるんですか?」


 これ以上何があるんだ?


「元帥を連れてくるそうだ」


 元帥は帝国騎士団の団長の称号だったはず。皇帝に付いて来るのは当然だろう。


「二人も」


 ふ、二人!? 元帥が二人も!? 確かに、帝国には騎士団が二つあって、元帥が二人いるけど、両方連れてくるってことは、帝国の全勢力を持って来るってことに等しくないか?

 まあ、敵国を訪れるから、警戒するのもわかる。軍事力をアピールしたいのかもしれない。でも、過剰な戦力は逆に危険である。帝国は戦争をしたいのか!?

 うわぁー。今回の親龍祭は護衛が大変そう。


「シラン……」

「護衛頑張りまーす。でも、今はゆっくりとお風呂で癒されましょう」

「そうだな」


 俺と父上は同時にため息をついて、お湯の中で身体を脱力させる。

 今年の親龍祭は何事もなければいいのだけど。

 俺とおっさん三人は、のぼせるギリギリまでお風呂で温まるのだった。




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