第177話 リリアーネの初めて

 

 馬車で揺られること少し。俺とリリアーネは完全武装をして馬車から降りた。目の前は王都から一番近い森だった。

 周囲には近衛騎士団が厳重に隊列を組んで警戒している。その中にはジャスミンもいる。俺の護衛である第十部隊だ。

 チラホラと活動している冒険者が、何事かと興味深そうな視線を向けてくるが、近衛騎士たちに睨まれて、おずおずと退散する。関わり合いになると面倒なことになるからな。拘束されたり、事情聴取をされたり。

 隊長のランタナが近づいてきた。隙は一切ない。


「殿下、リリアーネ様。私たちが周囲を確認してきますので、絶対に動かないでくださいね。特に殿下」

「はいよー。俺ってそんなに信用ない?」

「はい、ありませんね」


 一瞬の間もなく即答されたんだが。ランタナの優しげな琥珀アンバーの瞳がじっとりと濡れている。心当たりは……たくさんありすぎるな。ランタナ、ごめん。

 数名の近衛騎士が森の中に入っていく。安全確認のためだ。

 今日はリリアーネの初めての体験のためにここにやってきた。初のモンスター討伐だ。

 親バ……子煩悩のヴェリタス公爵は、リリアーネに武術は教えたが、実践はさせていなかったという。少し前に、ローザの街で《死者の大行進デス・パレード》に巻き込まれた。あの時は、それぞれの役割があったのだが、やはりリリアーネは何もできずに悔しかったらしい。

 その後から何度かモンスター討伐を懇願され、やっと今日、その日がやってきた。

 使い魔たちとの戦闘訓練は行っている。でも、殺すということは全然違う。命のやり取りだ。決して油断してはいけない。

 近衛騎士たちにもお願いして、万全の態勢を整えた。

 リリアーネの顔は、緊張して強張っている。そっと手を握ると、冷たくなっていた。

 しばらくして、周囲の安全確認が終わったらしい。


「森の中に入りますが、絶対に私たちの指示に従ってくださいね。では、出発します」


 全方位を近衛騎士に囲まれながら、俺とリリアーネは森の中に足を踏み入れる。

 王都に近い森だ。見晴らしがいいように管理されている。でも、魔物はどこからともなく沸いて現れる。まるで黒光りするGだ。

 今回討伐する予定の魔物はゴブリンだ。背が低い醜い人型の魔物。

 ラビットやウルフ系の魔物も考えたのだが、すばしっこくて討伐が難しい。ウルフは爪や牙が鋭いから怪我をしやすいし。

 リリアーネの戦い方からすると、ゴブリンのほうが討伐しやすいだろう。ただし、人と同じ姿をしているから、精神的にキツイかもしれない。

 近衛騎士たちに護衛されながら進むこと30分ほど。ようやくゴブリンを発見した。手足を拘束して、俺たちの前に連れてこられる。リリアーネは緊張して体が固まっている。ゴクリと喉が動く。


「リリアーネ。大丈夫か? 引き返すなら今だぞ」

「い、いえ。大丈夫です。やります」


 目を瞑って、何度か深呼吸をして、心を落ち着かせる。覚悟を決めて蒼玉サファイアの目をゆっくりと開いた。ゴブリンをしっかりと見据える。

 俺は邪魔にならないように離れた。

 全ての準備が整い、ゴブリンの拘束が解かれる。


『グギャギャ! ギャー!』


 命の危険を感じたのか、ギザギザの歯を剥き出しにして、ゴブリンが威嚇をする。

 生々しい殺意を感じる。リリアーネも肌に突き刺さるほど感じているだろう。冷や汗をかいている。これが命のやり取りだ。

 ゴブリンが狙いを定めた。この中で一番弱そうで、恐怖を放っている存在。リリアーネだ。


『ギャギャギャ! ギー! ギャギャッ!』


 喚き散らしながらリリアーネに向けて突進する。

 一瞬、リリアーネの身体が強張ったが、軽やかな動作で突進を躱した。何度も何度も躱し、少しずつ調子を取り戻したようだ。動きに柔らかさが戻っていく。

 凪のように静かに音を立てず、リリアーネの姿が掻き消える。


『ギャー! ギャッ?』


 姿を見失ったゴブリンが、周囲をキョロキョロと見渡す。その背後に回っていたリリアーネが、タンッと地面を華麗に蹴った。風すらもなく舞ったリリアーネは、いつの間にかゴブリンの正面に立っていた。手には暗殺に特化した鋭いナイフが握られている。


「ごめんなさい。もう終わりました」

『グギャ?』


 訳がわからず、首をかしげたゴブリンの首がポロンと転げ落ちた。一瞬遅れて血が噴き出す。絶命した身体が、ドサリと地面に倒れた。血が広がっていく。

 リリアーネは、今自分で倒したゴブリンをじーっと見つめていた。顔が青い。


「お疲れ様」


 俺はリリアーネに近づいて声をかけた。呆然としているリリアーネが、引き攣った笑みを浮かべた。


「シラン様……物凄く心臓がバクバクしてます」

「正常な証拠だ。命のやり取りをして何も感じなかったら、そのほうが異常だ」

「食事を抜いててよかったかもしれません。胃の辺りが少しムカムカします」

「一度座ろうか」


 ランタナに目配せをして、地面にシートを準備してもらう。そこにリリアーネを支えるようにしながら座らせた。隣に座って頭を優しく撫でる。肩に頭を乗せてきた。

 ジャスミンも、俺と反対側のリリアーネの隣に座った。


「お疲れ様。リリアーネ、すごいじゃない」

「……そう、でしょうか?」

「だって、ジャスミンは初めて倒した時……」


 ニヤニヤ笑いながら言ったら、ジャスミンが紫水晶アメジストの瞳でキッと睨んできた。


「シランうるさい! 黙りなさい!」

「どうされたのですか?」

「……それ聞いちゃう?」

「はい、聞いちゃいます」


 いつもの調子に戻り始めたリリアーネがおっとりと微笑んだ。

 うぐっと怯んだジャスミンが、顔を赤くしてそっぽを向いて、恥ずかしがりながらボソッと言った。


「……少し漏らしたわよ。小さい頃だったから。何か悪い!?」

「何も悪くありませんよ。でも……ふふっ」

「笑った!? リリアーネが笑ったぁ~!? 言うんじゃなかったわ!」

「ちなみに、帰ってきてから俺に泣きついてきた。『怖かったよぉ~! 漏らしちゃったよぁ~!』って。可愛かったなぁ。今も可愛いけど」

「シラン!?」


 懐かしいなぁ。あの時は大号泣してたなぁ。泣き疲れて眠ったと思ったら、また漏らすし。まあ、10歳になってなかったから仕方がないか。

 リリアーネがクスクスと笑い始める。ツボに入ったみたいだ。笑いが止まらない。


「ふふっ……ふふふ」

「シラン、アンタだけは許さないから!」

「きゃっ!?」

「うおっ!?」


 ジャスミンがリリアーネごと押し倒して、俺に掴みかかってくる。

 俺とジャスミンのくすぐり合戦が勃発した。当然、リリアーネも巻き込む。

 笑い声が森の中に響き渡り、いつの間にか、リリアーネは体調は元に戻ったようだ。

 その後何体かモンスターを討伐し、リリアーネの初体験は終了した。

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