第168話 お風呂で騎士と
雨の中、俺は屋敷に帰る。
冒険者ギルドへの報告は済ませた。シャルからはとても心配されたけど。狼耳や尻尾がピーンと立って、毛も逆立っている気がした。大丈夫と言って誤魔化したが。
使い魔たちの顕現を解除して、屋敷の近くで元の服装に戻り、何事もなかったかのようにたどり着いた。
屋敷の玄関ホールには、近衛騎士たちが待機していた。外は雨なので、一時的に雨宿りしているらしい。
近衛騎士団第十部隊部隊長のランタナが駆け寄ってきて敬礼をしたんだけど、優しい
「で、殿下? 一体どうなされたのですか!? びしょ濡れですし、この臭いは……!」
「んっ? 臭い? 俺って臭う? なら風呂入ってくるわ。濡れてるし。お説教は後でな」
固まるランタナに手を振って、びしょ濡れの俺は風呂に向かう。
途中でジャスミンとリリアーネに出会った。二人も俺を見た途端、
「シラン! あんた何やったの!?」
「シラン様! びしょ濡れではありませんか! 待っててください。今すぐタオルをお持ちします!」
「リリアーネ、別にいいよ。今から風呂に入るところだから」
「私も一緒に入るわ!」
「では、私も!」
「あぁー、ごめん。今は一人で入りたい気分なんだ。夜に一緒に入ろうか。んじゃ、俺は行ってきまーす」
固まる二人に手を振って、俺は風呂に向かった。
濡れた服を脱ぎながら思う。ランタナもジャスミンもリリアーネも固まってどうしたんだろう? 俺の顔に何かついてたか? 葉っぱが張りついていたとか? あり得るな。
裸になった俺は、広い浴室に足を踏み入れ、熱いシャワーを頭から被る。思っていた以上に身体が冷え切っていたらしい。じんわりと温かくなっていくのを感じる。
「……助けられなかった」
思い出すのは村での出来事。悲鳴、遺体、目の前で命を絶った女性。
後悔が残る。盗賊たちは俺が皆殺しにした。それでも気分は一向に晴れない。どうにかすれば救えたのではないか、という考えが頭の中をグルグルしている。
ずっとお湯を被っていると、背後でドアが開く音がした。ピチャピチャと足音を響かせながら、誰かが入ってきた。
「ジャスミンか? リリアーネか? 俺は一人で入りたかったんだけどな」
「あの……私です」
「ラ、ランタナ!?」
振り向くと、バスタオルを巻いて身体を隠したランタナが、恥ずかしそうに立っていた。
何故ランタナがここにいる? 何故お風呂に? 俺は全裸なんだけど。
予想外の出来事に理解が追い付かない。
「お、お背中をお流ししても?」
「お、おう」
緊張で声が上擦ったランタナの申し出に、俺も声を上擦らせて思わず了承してしまった。ランタナは本当に俺の背中を洗ってくれる。泡立ったタオルでゴシゴシと。
気持ちいい。でも、全然意味が分からない。
「えーっと、ランタナさんはどうしてお風呂に?」
「殿下とお話がしたくて」
「お説教ってこと?」
「そうですね。ちゃんとジャスミン様とリリアーネ様には許可を取りました。それに、以前にも一緒に入りましたので」
それはそうですけど。
もう少し身体を大切にして欲しい。俺は男だぞ。襲われたらどうするんだ。
「あ、あの、前はご自分で……」
「そ、そうだな」
お互いに挙動不審になりながら、俺はタオルを受け取り、自分で体を洗う。髪なども全部洗った。
泡をジャバーッと洗い流す。
「では殿下。少しお湯に浸かっていてください。私も身体を洗います」
「……えっ?」
「逃げたら物凄いお説教をします」
「お湯に浸からせていただきます!」
俺はランタナに背を向けたまま敬礼をして、タオルで腰回りを隠して温かいお湯に浸かった。
一瞬だけ、ランタナの身体を流そうか、と申し出て揶揄おうと思ったが、止めておいた。恥ずかしがりつつも了承する予感がしたし、ランタナほどの美女の背中を流したら俺の理性がどうなるかわからなかったからだ。
背後でランタナが体を洗う生々しい音に悶々としながら、お湯の温かさに身を委ねる。
ぼーっとしていると、いつの間にかランタナは身体を洗い終えたようだ。
「し、失礼します」
恥ずかしそうな声とパサッとバスタオルを解く微かな音が聞こえたかと思うと、チャプンとランタナが湯船に入ってきた。
とても広い風呂だから、十人は軽く入れる。その風呂にランタナと二人っきり。お互い裸。とても気まずい。
ランタナがチャプチャプと肩にお湯をかける音が反響する。
しばらくして、ランタナが口を開いた。
「殿下。人を殺しましたね?」
ランタナは静かに断言した。当然俺はすっ呆ける。
「何のことだ?」
「誤魔化しても無駄です。殿下の身体から人を殺した後の特有の臭いを感じます。何と言いますか、血の臭い、でしょうか」
やはりわかるか。ランタナクラスの武人は直感が鋭い。命をやり取りするから、そういう感覚は鋭敏だ。
「他の騎士は気付いていないでしょう。もちろん、人を殺したことが無いジャスミン様やリリアーネ様は絶対に気づきません。いえ、気づけません」
ジャスミンはモンスターは殺したことがある。リリアーネはまだないけど。でも、モンスターを殺すことと人を殺すことは全然違う。自分の同族を殺して何も感じないのは狂人くらいだ。
チャプンと波が揺れて、背中に柔らかいものが押し付けられた。ランタナの着痩せする豊かな胸だ。裸のまま密着してくる。
「ラ、ランタナ!?」
「答えてください。何故人を殺したのですか? 殿下は何をしていらっしゃるのですか? 返答次第では、私は殿下を殺します」
刃のように冷たくて鋭いランタナの声。身体から冷たい殺気が放たれる。
抱きしめるかのように首に回された右手には、魔力が宿っている。俺の返答次第で、鋭い手刀はナイフのように喉をあっさりと斬り裂くだろう。背中に当てられた左手は、真っ直ぐ心臓を狙っている。
「『近衛騎士たる者、王族が道を踏み外したならば、即座に首を刎ねよ』」
「『主の間違いを正せぬ者は騎士とは言わぬ』。初代国王陛下に寄り添い、付き従った、妻であり騎士である初代王妃殿下の言葉か」
近衛騎士になる時に必ず誓う言葉だ。だから、近衛騎士には王族を殺す権利が与えられている。その分、近衛騎士になるには厳しい審査があるけど。
絶対に初代国王陛下は尻に敷かれてたな。だって、王族の女性陣はとても強いから。代々遺伝してる。俺は姉上たちに逆らえない。母上たちも逆らえないなぁ。
思い浮かぶのはジャスミンやリリアーネやエリカの三人。うん、逆らえない。もしかして、これからヒースもそうなる? 止めて欲しいなぁ。
王族の男性陣はそういう強い女性に惚れて結婚するのか?
あはは……なんか歴代の男性陣と仲良くできそう。特に初代国王陛下と。
「殿下、お答えを」
「…………すまん。話せない」
俺がコソコソ動いているのは父上の勅命。ランタナにも話せない。
沈黙が俺たちを包む。時々、ポチャンと雫が落ちる音が異様に大きく感じる。
どうやってこの場を切り抜けようか、死んだふりでもしようか、と悩んでいると、ランタナの手からフッと魔力が消えた。殺気も消えて、普段の優しげな雰囲気に戻る。
「……そうですか。話せませんか。なるほど」
いつもの口調で囁いたランタナが、両腕を回してきた。今度はちゃんと抱きしめるように優しく。背中に二つの柔らかいものが押し当てられている。
「今ので納得するのか? 納得できる要素は皆無だったぞ」
「話せない、ということは、殿下に命令できる方から口止めされているということです。ならば国王陛下しかいないかと」
頭の回転が速いな。それくらいじゃないと近衛騎士団の部隊長にはなれないか。
「俺が誰かに脅されているという考えはないのか? 嘘をついているという場合もあるぞ」
「考えましたが、それはないと思います。私の単なる直感ですけどね」
女性の勘って鋭いなぁ。男にも分けて欲しい。
でも、安心した。危うくランタナに斬られると思った。信用してくれてありがとう。
それで、何故ランタナは俺を抱きしめているのかな?
「ランタナさんや? 離れてくれませんかね? 襲いますよ?」
「それで殿下が癒されるのならどうぞ襲ってください。死に直面とすると性欲が高まって、子孫を残そうとします。発散したほうがいいのです。でも、初めてなので最初は優しくして頂けると……」
「しませんから! 冗談ですから!」
じょ、冗談、と何やら安堵と残念さを入り混じらせながら耳元で囁かないで欲しい。心臓に悪いです。
「人を殺した後は一人になってはいけない、と私は先輩騎士に教えられました。近衛騎士になってからはあまりありませんが、普通の騎士の頃は時々盗賊討伐がありましたからね」
「……初めてはきつかっただろ?」
「そうですね。恥ずかしながら、嘔吐して失禁してしまいました。人を斬った感触と、瞳から生気の光が徐々に消えていくのを今でも忘れることが出来ません。一週間はふさぎ込みました」
そりゃそうだろう。俺だってそんな感じだった。
「二度目が一番きつかったですね。ある村を盗賊が襲っていたんです。助けたのですが、少し遅くて悲惨な光景が広がっていました。帰り際には『騎士なのにどうして守ってくれなかったんだ』と石を投げつけられましたね。私は何のために騎士になったのだろう、と落ち込みました」
「…………」
「一人で悩んで、閉じこもって、周りを拒絶して、でも、先輩が問答無用で突撃してきて…………セクハラしてきましたね。女性だったので許しましたけど。あの先輩はエロ親父よりもエロ親父でしたね」
「あ、あはは……」
「そして、叱咤されました。『時には立ち止まって、落ち込んで、泣くのも必要だ。そうやって人間は成長する。でも、その瞬間にも助けを求めている人がいるのを忘れるな』って…………セクハラされながら言われました」
いや、うん。セクハラの報告はしなくていいからね。何をされていたんだろうってとても気になって他の話が頭に入ってこないから。
「その先輩は今は?」
「膝を怪我されて引退しましたよ。結婚して子供もいます。休みの日には家に突撃してきて、変わらずセクハラしてきますね。男作れー、とかうるさいです」
「あはは……」
「姉みたいな人です。絶対に本人には言いませんが。今の私がいるのも先輩のおかげです。辛いこともたくさんありました。助けられなかった人も大勢います。でも、私が行動した結果、一人でも笑顔になるのなら、私は満足です」
そっか。そうだよな。俺も人の笑顔が見たくて、あの道を選んだんだ。
ランタナの優しくて真面目で温かい言葉が、傷ついた心に染み渡っていく。
「今、私が笑顔にしたいのはシラン殿下、貴方です」
あぁ……ダメだ。そういうのは卑怯だと思う。
張り巡らせた心の防壁が一気に崩れ去ってしまう。
こういうところが姉御と慕われる理由なんだろうな。
抑えていた感情が溢れ出す。勝手に目から涙が出てくる。
「シラン殿下、辛いときは泣いていいんです。ジャスミン様やリリアーネ様に見せられないのなら、私がいますから。黙っていますから」
いつの間にか、ランタナが移動していて、俺を正面から抱きしめてくれる。優しい温かさに包まれながら、俺は幼い子供のように縋りついた。
涙が、感情が、溢れ出して止まらない。抑えられない。我慢できない。
「……ちくしょう……俺は……俺は助けられなかった……」
「辛いですよね」
「……なんでだよ……なんでなんだよ……俺の馬鹿野郎……」
年甲斐もなく泣き続ける俺を、ランタナは優しく抱きしめ、子供をあやすように頭を撫でてくれる。
「たくさん泣いてください。泣いていいんです。そして、スッキリしたら顔を上げて周りを見てください。ジャスミン様もリリアーネ様も、お屋敷で働く侍女たちも皆心配そうでしたよ」
そうだ。最近、彼女たちの笑顔を見ていない。いつも心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。笑い声も聞いていない。
どれだけ心配かけていただろう? 俺って馬鹿だ。大馬鹿だ。
「殿下が笑顔じゃないと、私も笑えませんから」
そういうところがとても卑怯だと思う。ランタナは良い女性だ。
「……ランタナ」
「はい」
「……ありがと」
「はい」
「……それとすまん。もう少しだけ、このままでいさせてくれ」
はい、いつまでもどうぞ、という温かい声が耳元で優しく響き、俺は少しの間、ランタナの身体に縋りついて、泣き続けるのだった。
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