第169話 影からの報告

 

 セレネはタタタッと孤児院の中を走り回っていた。猫の尻尾がユラユラと揺れている。

 わーきゃー、と楽しげな声を上げる子供たちが逃げ惑う。どうやら鬼ごっこをしているらしい。

 雨だったので外で遊べない子供たちは、元気が有り余り、孤児院の建物内を走り回っているようだ。

 早朝に母テイアによって孤児院に連れてこられたセレネは、子供たちと打ち解けて、一日中遊びまわっていた。しかし、ふとした拍子に母親のことを思い出しては、不安と寂しさを感じてしまう。

 走り回っていたセレネが窓際にたどり着いた。窓の外を見て立ち止まる。


「外、雨降ってない。ママ……まだ? お仕事、忙しい?」


 一日中降っていた雨は、お昼過ぎには止み、夕方の今は降っていない。雲の隙間からは、夕焼けのオレンジ色の空が覗いている。

 テイアはまだ迎えに来ない。5歳の寂しさが募る。

 窓を開けてヒョイッと庭に降りたセレネは、濡れた芝の上をトコトコと駆け、花壇の前にしゃがみ込む。色とりどりに咲き誇る花々をじーっと凝視して、徐に手を伸ばして一本摘み取った。そして、次々に花を摘んで腕に抱えていく。

 持ちきれないほど大量の花を摘んだセレネは、やる気に満ちた表情で頷く。


「セレネもお仕事がんばりゅ! ママの役に立つの!」


 花を抱えた月の子猫は、トコトコとどこかへと駆けていく。

 太陽が沈む。空が闇に覆い尽くされ、そして、月が昇る。



 ▼▼▼



「ぐぉお~~~~!」


 夕日が差し込む執務室で、俺は呻き声を上げながら仕事をしていた。

 恥ずかしい。猛烈に恥ずかしい。思い出したくないのに、忘れようとすればするほど、記憶が鮮明に浮かび上がってくる。

 仕事に没頭しようとするが、並列思考でそのことを考えてしまう。


「俺は……17にもなって俺は……泣きじゃくるなんてぇ~! うがぁ~~~~! それもランタナに抱きつくなんて! 黒歴史だぁ~!」


 ランタナのおかげで俺は復活した。気持ちを整理することが出来た。感謝の気持ちでいっぱいなのだが、同時にとても恥ずかしい。顔から火が出そうだ。

 ジャスミンやリリアーネにも多大な心配をかけた。お風呂から上がった俺を見て、ただ無言で抱きしめてくれた。それが本当に嬉しくて愛おしかった。

 でも、俺はその後、逃げるように執務室に閉じこもった。そして、仕事をしている。

 だって、恥ずかしすぎて女性陣の顔を見れないから!

 仕事するって言った時の女性陣の聖母のようなあの優しい眼差し。全てわかってますよ、恥ずかしいんですね、と若干呆れていたのが余計に恥ずかしい。無言だったのが更に辛い。


「あぁ~! 恥ずかしい~!」

「ふふっ。ご主人様は可愛いですね」

「うるさいぞ、ソラ!」


 執務室にいる俺以外の人物、監視役として派遣された使い魔のソラがソファに座ってクスクス笑っている。白銀の髪に空色の瞳。神のごとき美貌の使い魔は、現在優雅にティータイム中のようだ。良い香りが漂ってくる。

 その時、突如床に闇が広がり、徐々に影が形作って一人の初老の執事の姿になった。使い魔のハイドだ。


「ハイドか。どうした?」

「ご報告を」

「そうか。頼んだ」


 ハイドには、テイアさんや『運び屋』という男たちに関する情報を探るようにお願いしていた。

 執事姿のハイドが報告してくれるかと思いきや、ふと、背後に気配を感じた。俺の影から何かが這い出してくる。小さな手が飛び出し、顔、身体、脚と順に出てきて、十歳にもならない小さな女の子が現れた。

 異様な美少女。身体からドロッとしたスライム上の闇がポタポタと零れ落ちて、影の中に消えていく。闇そのものが人の形になったかのよう。

 ハイドの本体。幻影ドッペルゲンガーの美少女だ。


「……眩しい」


 第一声は心底嫌そうな不機嫌な声だった。眩しそうに細めた目を更に両手で隠している。

 超がつくほど引きこもりのハイドの本体が出てくるなんて珍しい。

 フラフラしながら、椅子に座っている俺の太ももの上によじ登って座ってくる。だら~っともたれかかった。


「どうしたんだ、ハイドちゃん?」

「様子を見に来た。本当に大丈夫そう。いつもならもっとウジウジ悩むのに」

「うぐっ!? 悪かったな!」

「別に悪くない。そこがご主人様の良いところ。私はその優しさに惚れた。そのままでいい」


 嬉しいことを言ってくれるじゃないか。でも、もう少し感情を込めて欲しかったな。眩しい、怠い、という感情しか伝わってこないんだけど。

 今にも闇となって溶けそうなハイドが、ぐてーっと億劫そうに影法師の初老の執事を指さす。


「報告」

「はい。テイアという女性は借金があるようです。額は5000万イェン。払い終わっていない利子10万イェンを含めて総額5010万イェンです」


 影法師に報告させないで自分で報告すればいいのにと思ったが、少女のハイドの頭を撫でるだけにしておく。

 ふむ。5000万とは大金だな。そんなに借りてどうするつもりだったんだ?


「借金をしたのは彼女の内縁の夫。もう既に死亡しているようです。相当クズ男だったようです。酒、女、ギャンブル、DV。金融業者にも半ば脅してお金を出させたとか。テイアはその時に連帯保証人になっています」

「それでテイアさんが借金を返さないといけないのか。金融業者はどこだ?」

「リタボック金融です」

「なるほど。そこか。有名なところだな」


 やり手の二人組の金融業者だ。リタボック金融の名前は、王都の市民の間では密かに有名だ。借金を返せない人にお店を紹介する仲介所にもなっている。


「テイアの情報はそのリタボック金融から簡単に手に入りました。昨夜のうちにサクッと。しかし、運び屋という獣人の二人組については情報がありません。リタボック金融に宿を借りているようですが」


 運び屋と名乗っている人は、実はとても多い。荷物を配送する人、馬車で人を運ぶ人など全て運び屋だ。もちろん、非合法の物を運んだり、人攫いのような運び屋もいる。

 依頼があるようだったから、裏が掴めると思ったんだけどなぁ。情報が多すぎて逆にわからないか。獣人二人組の運び屋ってありふれているし。


「ダメか……。依頼人がいるようだったが?」

「ドラゴニア王国内をあちこち探ってみましたが、見つけられませんでした」

「そうか。もし他国だったら面倒だな」


 奴隷制度を採用している国もある。ドラゴニア王国内は奴隷は禁止されているけど、他国に連れて行けば合法となる。借金を返せなくて奴隷落ちする人も多いようだ。

 テイアさんを他国に連れて行き、依頼人の奴隷にして、お金を金融業者に渡す。これは王国では罪には問えない。法律の抜け道だ。

 一日ではドラゴニア王国内を探るので限界か。他国なら時間もかかるだろう。


「ハイド、ありがとう。お疲れ様」

「礼には及ばない」


 そこはハイドの本体が言うんだ。操っているのは確かにハイドだけど。


「他国は探らなくていい?」

「ひとまず休んでくれ。今日は……もう夜になるから、明日テイアさんに会ってみる」

「そう。わかった」


 太ももの上に座っていた美少女のハイドの姿が闇に溶けた。ボタボタと垂れ落ちて俺の影の中に戻っていった。

 また引きこもってしまった。でも、明るいのに出てきてくれたから良しとするか。


「今夜はお姉さん姿で会いたいなぁ」


 ボソッと願望を述べると、心底嫌そうな声が影の中から聞こえてきた。


『……怠い』

「そんなこと言わずに。皆に心配かけたからたっぷりお詫びしようと思ってるからさ」

『なら電気消して。明るいところは嫌』

「了解」


 よし。言質を取りました。

 俺は立ち上がって、ティータイムを過ごすソラの横に座った。差し出してくれたお茶を一口飲む。ふむ、美味しい。癒される。


「ご主人様はあの女性を助けるおつもりですか?」

「そうだな。多少強引にでも助けようかな。やっぱり俺は笑顔が好きなんだ。俺では全ての人を笑顔にすることはできない。でも、手が届く人は幸せにしたい。俺って強欲かな?」

「かもしれません。ですが、間違ってはいないと思います」


 ソラがコテンと頭を肩に乗せてきた。サラサラした白銀の髪を優しく撫でる。

 静かで穏やかな時間が過ぎていく。


「……俺が間違っていたら止めてくれよ」

「もちろん」


 クスっと微笑んだソラの囁き声が俺の耳をくすぐった。


「もちろんです。そういう契約ですから」


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