第166話 リタボック金融

 

 早朝。空はどんよりと曇っている。今にも雨が降りそうだ。

 猫の獣人のテイアは眠そうなセレネを抱きかかえて、辺りを見渡しながらどこかへと向かっていた。昨夜、『運び屋』と名乗る男たちに家まで把握され、脅迫まがいのことをされたのだ。


「セレネだけは……この子だけは安全なところに!」


 テイアは急ぐ。あの男たちに見つからないように。

 たどり着いた場所は、比較的新しい壁に覆われた建物だった。早朝なので静まり返っている。

 そこはセンカが院長を務める孤児院だった。

 ゆっくりとセレネを下ろすと、荷物が入った小さなリュックを背負わせる。セレネは眠くて目を擦っている。


「ママ……ねむい…」

「セレネ、いい? ママの言うことをよく聞いて。この間のお友達、レナちゃんのことは覚えてる?」

「うん」

「ここにレナちゃんがいるから今日は一緒に遊んでて」

「えっ? いいの? お仕事は?」

「今日はママ一人で頑張ってくるわ。いい子にしていてね」

「うんー!」


 喜んで月長石ムーンストーンの瞳を輝かせるセレネを抱きしめて、テイアは孤児院の門から敷地内にかけていく娘の姿を見守っていた。

 セレネの姿が見えなくなり、テイアは拳を握りしめながら、小さく懺悔するように呟いた。


「セレネ……ごめんなさい。貴女を守るにはこれしかないの。愛してるわ」


 クルリと背を向けると、早歩きでその場から立ち去る。振り向くことはしなかった。

 娘を孤児院に預けたテイアが向かった先は、ある建物だった。看板には『リタボック金融』と書かれている。早歩きをして息が上がったことにより、軽く咳き込みながら、目の前の扉をノックする。

 早朝のため、営業時間外。しかし、中から人が出てきた。眠そうだが、服は着崩してチャラチャラした男だ。


「なんだぁ~? 朝から迷惑なんだじぇ~」

「ゴホッ! お話があります!」

「あぁ~。ちょっと待つんだじぇ~。リタの兄貴~! お客だじぇ~! 猫の奥さんだじぇ~」


 チャラ男が奥に向かって大声を上げると、中から『ボック、案内しなさい』という声が返ってきた。中に入ると、応接室 兼 仕事部屋に知的そうな男リタが座っていた。コーヒーの香りが漂っている。


「おやおや奥さん。おはようございます。営業時間外なので、多少散らかっているのは許してください。それで? こんな朝早くに如何なさいました?」

「……昨日の件です」

「き、昨日? 私たちは昨日は会っていませんよね? 数日前でしたよね?」

「しらばっくれるのもいい加減にしてください! 別の男たちが脅迫してきたじゃないですか!」

「はい? 別の男たちが脅迫?」


 リタは、一体何のことかわからない、と訳がわからず困惑している。テイアは声を荒げたことで咳き込み始めた。リタは困惑しながらも、一本の瓶詰された液体を取り出した。


「奥さん。取り敢えず飲んでください。低級ポーションです。多少楽になると思いますよ」

「ひ、必要ありません。ゴホッゴホッ!」

「しかし、このままだと死にますよ? 栄養失調に風邪の重症化。奥さんに死んでもらうと、私たちが困るのですけどね」


 ポーションを渡そうとするが、テイアは一切受け取らない。頑なに拒むテイアにリタは呆れ果て、低級ポーションをテーブルの上に置いた。


「脅迫、についてはわかりませんが、本日はそのことを言いに来ただけですか?」

「……いいえ。私に仕事を紹介してください」

「はい? えっ? 奥さんに仕事を? いいのですか?」

「娘のためです。こうすれば娘には手を出す理由が無くなるはずです」

「えーっと、言っている意味がよくわからないのですが、まあいいでしょう。そうですかそうですか。やっとその気になってくれましたか。もう既にいくつかピックアップしていたんですよ」


 嬉しそうに笑顔を浮かべたリタは、立ち上がって仕事机から書類の束を取り出すと、再びソファに座った。


「そうですね。奥さんは痩せてはいますが見目麗しいですからね。お客を相手する仕事がいいでしょう。体力の面が少し不安ですが、すぐに慣れると思います。私どもがオススメするお店は、この『パパの……」

「おーう。邪魔するぞー」


 その時、リタの言葉を遮るように、ドアが勢いよく開いて、男が二人入ってきた。ヒョロッとした獣人と巨漢の獣人だ。

 その二人を、テイアを応対していたリタが面倒臭そうに睨みつける。


「『運び屋』ですか。仕事の邪魔なのですが」

「すまんなぁー。おっ? 猫のねぇちゃんじゃねぇーか! 来てくれたんだなぁ。よしっ! さっさと仕事するか」

「やはり仲間だったんですね!?」

「仲間? いえいえ、彼らにはただ宿を貸しただけ……って、まさか! 奥さんを脅迫したのは運び屋ですか!?」

「脅迫ぅ~? 俺たちはただ、相談をしただけだぞ。なぁ?」

「オデたち、脅迫、してない」


 どうやら、借金取りの二人と運び屋の二人は知り合いだったようだが、テイアを脅したことは全くの無関係だったようだ。


「猫のねぇちゃんよぉ? ここに来たってことは、俺たちと一緒に行くんだろう?」

「止めなさい! 彼女は私の顧客です!」

「ならいいじゃねぇか。お前は俺たちの依頼人からお金が支払われる。俺たちも報酬が貰える。ねぇちゃんの借金も無くなる。良いこと尽くめだろう?」

「一石三鳥。オデ、賢い」

「じゃあ、正式な書類作るかぁ~。作らないと怒られるんだよなぁ。あぁ~面倒くせぇ。えーっと、ねぇちゃんの借りた金は……」

「止めなさいと言いました!」

「うるせぇ!」


 ヒョロッした獣人の男が咆え、拳が空気を斬り裂く。身体能力が高い獣人の攻撃を喰らったら、ひとたまりもない。戦闘経験もないリタには反応すらできない。


「兄貴は俺が守るんだじぇ~! ぐぼっ!?」


 チャラ男のボックが間に割り込んだのは奇跡と言ってもいい。リタの身代わりとなって、拳を喰らったボックは、吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。ピクリとも動かなくなる。

 一瞬だけ怯んだリタは、勇敢にもヒョロッとした獣人に飛び掛かった。飛び掛かられた男は、予想外の行動に固まってしまう。


「奥さん! 逃げてください!」


 ハッと我に返ったテイアが扉に向かって駆け出すが、巨漢の獣人によって阻まれる。


「ダメ、逃がさない」


 巨漢の獣人の巨大な拳が、テイアのお腹を殴りつけた。衝撃で身体がくの字に折れ曲がり、テイアは声も出せずにあっさりと気を失った。

 脱力したテイアを巨漢の獣人が肩に担ぎ、ヒョロッとした獣人はリタをあっさりボコボコにする。

 床に倒れた男二人を見下ろし、獣人の男たちは書類を書くと、テイアを連れて外に出た。

 外は、ポツポツと雨が降り始めていた。

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