第150話 土下座
あぁ…。帰りたくない。胃が痛い。
魔王に立ち向かう勇者は、格好つけながらもきっとこんな気分なのだろう。心の中では逃げ出したい気持ちでいっぱいのはずだ。小説は主人公を美化しすぎていると思う。
この世界には魔王も勇者もいないけど。
全て俺のせいだということは理解している。婚約者に黙って新しい婚約者をつくってしまった。それも二人も。
俺が悪いのはわかってる。でも、お説教は嫌なのです。
はぁ、とため息をつく。
とうとう屋敷に着いてしまった。帰ってきてしまった。こういう時だけ時間が早く感じるのは何故だろう。
覚悟を決めろ俺! 正直に述べて、正座して、土下座して謝罪するんだ!
バシッと頬を叩いて気合を入れた俺は、馬車から降りて、玄関をくぐった。
「ただいまー」
「お帰り、シラン!」
「お帰りなさいませ、シラン様!」
「うおっ!」
飛びついてきたのは俺の愛しい婚約者二人だ。
玄関ホールで待ち構えていたみたい。
クルクルと回転して、二人が飛び掛かってきた勢いを殺す。
「ただいま、ジャスミン、リリアーネ。そんなに寂しかったのか?」
「いえ全然」
「毎日帰ってきてくださいましたし」
えっ? そうなの? そこは寂しがってほしかったなぁ。
でも、むぎゅっと抱きしめて、スリスリしているのは何故かな?
リリアーネが潤んだ目を閉じたので、ご要望通りにキスする。ただいまのキスだ。
数秒間リリアーネの唇を楽しんでいると、もう一人の婚約者様から拗ねた視線を感じ始める。だから、ジャスミンにもキスを施す。
いろいろ言いたいことはあったけど、ある場所が目に入って全て吹き飛んでしまった。
「ジャスミン、リリアーネ。一つ聞きたいんだけど、何故あそこだけ砂利が置かれているんだ?」
玄関ホールの一画に、庭にあったであろう小石が敷き詰められた場所があった。範囲は五十センチ四方くらい。とても気になる。
「別に気にしないで」
「そうです。今は関係ありません。それよりもシラン様。ご飯にしますか?」
「お風呂にする?」
「「 それとも私たち? 」」
なんだと!? これはよく恋愛小説に出てくる恋人に一度は言って欲しいセリフではないか! 特に彼女とか新妻が言うセリフ!
何で知ってるかって? ジャスミンが読ませてくるんです。甘い恋愛小説を。最近はリリアーネもハマっているらしい。
お腹は減っていない。お風呂にも父上たちと入ったばかり。ということは、選ぶのは最後の選択肢しかない!
俺が答えようと口を開きかけたら、まだ続きがあったようだ。ジャスミンとリリアーネがニッコリと微笑む。
「「 もしくは、ど・げ・ざ? 」」
「はい?」
語尾にハートマークを感じられそうなくらい甘くて可愛い声だったのだが、その言葉の内容をすぐには理解できずに固まってしまった。
二人は笑顔なのに何故か寒気を感じる。背筋に冷や汗が流れて表現のしようのない恐怖が襲ってくる。
「シラン・ドラゴニア第三王子殿下? 婚約者の私たちに話すことない?」
「今すぐ正直に言えば許してあげるかもしれませんよ?」
目が笑っていない美しい笑顔で微笑まれた俺は、無意識に膝をついて正座を行う。
どうやら我が婚約者様は何かを察しているらしい。
美しき婚約者様たちは俺を見下ろしながら、ゆっくりと首を横に振る。
「違うの。そうじゃないの」
「正座する場所が違いますよ」
「どういうことなのでしょうか? 俺が正座すべき場所と言うのはどこですか? まさか外とか言わないよね?」
「そこまで酷いことはしないわ」
「シラン様が正座すべき場所はあそこです」
そう言って、二人が指さした場所は、玄関ホールのとある一画。砂利が敷き詰められた場所だった。
えっ? あの砂利の上に正座しろと? 外で正座するよりも酷いと思うんだが…あっ。今すぐ行けって? 了解しました!
無言で睨まれた俺は即座に移動して、砂利の上で正座をする。
「
「そうじゃないと罰にならないでしょ? 釘の上のほうがよかった?」
「熱々に熱した石炭の上とかも考えたのですが」
「………このままでいいです」
俺の婚約者様たちはとても物騒でした。もう拷問じゃないか。
小石が
「申し訳ございませんでした!」
「はぁ? 何が?」
うわ怖っ! ジャスミンのドスの利いた滅茶苦茶低い声が怖すぎる!
俺はガタガタと震えながら、全て正直に話すことにする。
「わたくし、シラン・ドラゴニアは、新たに婚約者が二人もできてしまいました。本当に申し訳ございません!」
「相手は誰よ」
「ヒ、ヒース・フェアリア、だ、第二皇女殿下と、エリカ・ウィスプ大公令嬢ですぅ! エリカとは関係を持たせていただきましたぁ!」
「既成事実とか美人局に引っかかったの?」
「いえ、違います!」
俺も貴族の娘と理解したうえで関係を持ったので、既成事実とか美人局には該当しないと思う。元から責任取るつもりだったし。
ヒースの場合は、他国の風習を忘れていた俺が悪い。
「ふぅ~ん。そう。シランが選んだなら何も言わないわ」
「……えっ? あれっ? 何も言わないのか?」
てっきり怒り狂ってお説教が始まると思っていたから拍子抜けだ。
リリアーネは喋っていないからわからないが、少なくともジャスミンの声には怒りはない。
顔を上げようかと思ったところで、急に体重が増したような衝撃が降りかかってきた。
「《
「ぐぉぉおおおおおおおおおおお!」
強烈な下降気流が俺の身体に降りかかる。大気が何倍にもなったかのよう。土下座のまま地面に押しつぶされる。小石が足に喰い込む。
痛い痛い痛い痛い! 重い重い重い! 潰れる! ぺちゃんこになるぅ~!
無感情な婚約者様の声も下降気流と同時に降ってくる。
「私たちも貴族の娘ですから、シラン様が婚約者を増やされても怒ったりしません。ちょっと嫉妬しますけど」
「そうなの。もう諦めたし。でも、一つだけ許せないことがあるの。それが何かわかる?」
えーっと何だろう? 二人よりも身分が上の女性と婚約したこと? いや、違うな。
というか、魔法を止めてください! 本当に潰れそうですから!
「《
「ぬぉぉおおお!」
下降気流が止み、土下座した顎の下から猛烈な上昇気流が発生した。顎を風で殴り飛ばされ、俺はひっくり返った。
仰向けになって目をパチクリする俺に、ジャスミンとリリアーネが歩み寄って、ニッコリと上から見下ろす。
静かな言葉が、二人の美しい唇から紡がれる。
「ねえシラン? 貴方が婚約したのは一体いつなのかしら?」
「約束通り、毎日帰ってきて私たちを可愛がってくださいましたが、そのことは一度も聞いていませんよ」
そ、そういうことか。フェアリア皇国からドラゴニア王国に帰ってくるまで一週間くらいあった。その間も転移で屋敷に帰ってきていた。なのに、俺は何も言わなかった。そのことに怒っているのか。
「いや、あの…言おうと思っていたんですけどね、その、ね…………黙っていて申し訳ございませんでしたぁー!」
俺は再び砂利の上で土下座をした。
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