第五章 日華と月華の花束 編

第149話 現実逃避

頑張りました! 本日二度目の投稿です。

と言っても、前話は登場人物紹介ですけど。 


では、『第五章 日華と月華の花束 編』スタートです!


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 ゴホッゴホッと激しく咳き込む声が聞こえる。その咳はなかなか止まらず、苦しげに体を丸める。

 ボロボロの超格安アパート。隙間風が入ってきて、隣の声も丸聞こえだ。

 ゼェーゼェーと息を荒げ、何とか咳を抑え込む。


「ママ…だいじょーぶ?」


 トコトコと小さい少女が女性に近寄ってきた。五歳くらいの女の子だ。

 心配そうに母親の顔を覗き込み、小さい手で背中を撫でる。


「えぇ…大丈夫よ。ゴホッゴホッ!」


 娘に咳がかからないように、手で口を覆って顔を背ける。

 ボロボロの小さなテーブルの上には作りかけのアクセサリーが散らばっていた。汚れた紙には拙いながらも綺麗な絵が描かれている。花の絵だ。


「ゴホッ! お水…持ってきてくれる?」

「うん! もってくりゅ! ちょっと待ってて、ママ!」


 トコトコと小さな女の子が離れていった。一間の小さな部屋なので、頑張ってコップに水を入れようとしている女の子の姿が見える。

 娘が背を向けたその隙に、母親は近くのティッシュを掴み、手と口元を拭う。

 ティッシュが瞬く間に真っ赤に染まった。血が付着したティッシュを一瞬で灰さえ残さず燃やし尽くし、証拠を隠滅する。

 それに気づかなかった女の子は、水をこぼさないように、恐る恐る慎重に歩いてくる。真剣な顔でプルプル震えながら水を持って来る。


「もってきた!」

「ありがとね」


 口元を手で覆ったまま娘に微笑み、受け取った水で口の中の血を胃に流し込む。

 落ち着きを取り戻した母親は、愛おしげに娘の頭を撫でる。


「ありがとねセレネ。私の可愛い子」


 女の子は気持ちよさそうに猫耳をピョコピョコと動かした。



 ▼▼▼



「あっはっは! まさか婚約者を二人も増やして帰ってくるとはな! 一人だと思っていたぞ! 流石女好きの夜遊び王子だな!」

「うるさいですよ、父上」


 父上の大声が反響して余計に暑苦しくてうるさく感じる。

 愉快そうな大笑いで天井から雫が落ち、チャポンと波紋を揺らした。

 フェアリア皇国から長い時間をかけてドラゴニア王国に帰ってきてすぐ、俺は屋敷に帰らず、まず城にやってきていた。父上に報告があったからだ。

 父上に報告ということは、場所はお風呂ということになる。リシュリュー宰相やレペンス近衛騎士団長も一緒だ。

 丁度一連の流れを話し終わったところだ。

 暑苦しくてむさくるしいおっさん三人と熱いお風呂に入っている。


「私は三人まで予想していましたが、殿下からのお風呂の誘いは予想外でした」

「我らに相談ですかな?」


 曇ったメガネをクイっとあげる宰相と、強靭な筋肉をピクピク動かしながらニカっと笑う騎士団長。揶揄う笑みがムカッとする。

 今回は珍しく俺からお風呂に誘ったのだ。普段は嫌なのだが、偶には男同士で喋りたいこともある。現実逃避という意味もあるが。


「その通り相談なんですけど、俺、どうすればいいと思います?」


 どうすればいいとは、俺の婚約者のことについてだ。ジャスミンとリリアーネにはまだ言っていない。これから家に帰るから、その前に人生の先輩である三人のおっさんに一縷の望みをかけたのだ。

 予想通り、人生の先輩は即座に答えを出す。


「即座に本当のことを言う」

「そして、謝罪ですかね」

「土下座も必須ですな」


 マジで役に立たねぇなぁ、このおっさん三人は! 他にいい案がないか聞いてみたのに!

 というか、国王と宰相と近衛騎士団団長が言うセリフなのか? 謝罪に土下座必須って…。


「他の意見を聞きたいんですけど…」

「「「 無理! 」」」

「無理って自慢げに言わなくても」


 湯船の中でぐったりと身体を脱力させる。


「だって妻に勝てるわけがないだろう?」

「無理です。絶対に無理です」

「家では私よりも強いのですぞ。あの細い腕のどこからあんな力が…」

「「「 はぁ… 」」」


 皆さん本当にお疲れ様です。やっぱり奥さんの尻に敷かれてますよね。俺も似たような感じです。頭が上がりません。

 やっぱり即座に土下座して謝罪するしかないか。


「しかし、こんなにも上手くいくとはな」


 ポロっと父上の口から聞き捨てならない言葉が漏れた。


「へ、陛下!」

「あっ……な、何でもないぞ我が息子よ! パパは何も言ってないもん!」


 うわぁ…。


「息子の目が生ごみを見るよりも嫌そうに俺を見てくるっ!?」


 なるほどねぇ。父上は皇王陛下から何か連絡を受けていたらしい。それを黙っていたのか。ふぅ~ん。

 冷たく睨みつけていると、わたわたと慌てた父上がシュンと小さくなって、大人しく白状してくれた。


「……シランへの招待状に全て書いてあった。ご息女の結婚相手としてシランを考えているとな」

「そうですか」

「あ、あれっ? 怒らないのか?」


 意外だったのか、父上は拍子抜けした間抜けな顔をしている。巻き込まれないようにいつでも逃げる準備をしていた宰相と騎士団長も呆気に取られている。


「俺だって王子ですよ。政略結婚くらい覚悟はしてました」

「そ、そうか」

「もうどうしようもないので受け入れてますよ。ヒースもエリカも可愛い女性でしたし。でも、エリン母上も王国に嫁いで、さらに皇女のヒースや大公家のエリカも将来この国に来るのなら不公平じゃありませんか?」

「そこら辺はいろいろと…」

「なるほど。政治って面倒ですね。お疲れ様です」


 政治に携わるおっさんたちがぐったりとお湯に身体を浮かべた。疲労感が漂っている。

 絶対に俺は嫌だな。ずっと大人しくしていたい。


「政治は本当に面倒だぞ…」

「責任重大ですからね…」

「私はそれが嫌で騎士団に入団しましたから」


 父上と宰相がぼんやりと遠くを見つめる中、騎士団長だけが余裕そうな表情だ。

 でも、騎士団の中でも部下の統率とか、訓練とかいろいろ大変だと思う。一日中護衛するのは緊張感が必要だし、それはそれできついと思うんだけど。


「はぁ…この時間は癒しだ…」

「ですね…」

「私もですな…」

「今度なんか贈りますよ」


 疲れた顔のおっさん三人に同情する。疲労回復薬がいいかな?

 おっさん三人と俺は、これからのことを今だけは考えることなく、気持ちの良いお湯に浸かって癒されるのだった。

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