第110話 ねぼすけさんの目覚め

 

「うぅ~ん…」


 ジャスミンが可愛い唸り声を上げて、俺の足に顔を擦り付ける。そして、ゆっくりと目を開けた。

 眠そうにトロ~ンと蕩けた紫水晶アメジストのような紫色の瞳。瞼は半開きだ。だらしなく開いた口からは涎が垂れている。

 涎に気づいたジャスミンは、目の前の布で拭う。でもね、それは俺の洋服なんですよ。別にいいですけど。

 短い金髪を撫でてあげると、気持ちよさそうに目を細めた。自分から頭を擦り付けてくる。

 寝ぼけているジャスミンが、ぼけーっと見上げた。俺と視線が合う。


「ふぇっ…?」

「おはよう。ねぼすけさん。良く寝られた?」

「う、うん…」


 状況がよくわかっていないジャスミンは、じーっと俺の顔を見続け、そしてキョロキョロと部屋の中を見渡す。ジャスミンには見覚えのない部屋だろう。

 突然、ジャスミンが跳ね起きた。


「ここ何処っ!?」

「うぉわぁっ!? びっくりしたぁ」

「シラン! ここ何処!? 《死者の大行進デス・パレード》は!? シャルさんやアルスさんは!? 街は無事なの!?」

「寝起きなのに元気だなぁ」

「早く答えなさい!」


 ジャスミンが俺の胸ぐらを掴み、押し倒してきた。寝起きのジャスミンに馬乗りにされた。顔が近い近い近い。甘い香りがする。キスしてやるぞ?


「えーっとね。ここはローザの街の屋敷。《死者の大行進デス・パレード》は無事に終息して、街には被害なし。アルスって人は知らないけど、シャルは仕事で大忙し。それと、《死者の大行進デス・パレード》から一カ月経ってるよ、お寝坊さん」

「はぁっ!? 一カ月!?」


 冗談で一カ月と言ったのに、ジャスミンはあっさりと信じてしまった。まだ三日です。

 目を丸くして愕然としているジャスミンが可愛い。普段はこんな顔を見ることができないから、存分に愛でておこう。

 俺はジャスミンの頬を優しく撫でる。


「嘘…嘘よ…!」


 顔を真っ青にしながら、俺の手に自分の手を重ねてきた。

 俺は呆然とするジャスミンに、ニッコリと微笑みかけた。


「うん。嘘。冗談。一カ月じゃなくて、まだ三日」

「………はぁっ?」

「《死者の大行進デス・パレード》が終わってから三日です。驚くジャスミンは可愛かったぞ!」


 サムズアップをしてネタ晴らしをすると、はぁ、と安堵の息を漏らした。そして、怒りの炎を燃やす紫水晶アメジストの瞳でキッと睨みつけてくる。


「シラン…あんたねぇ!」


 怒られる!

 俺は思わずギュッと目を瞑った。でも、一向に怒鳴り声が聞こえてこない。その代わり、俺の頬にそっと手を添えられた。

 目を開けると、ジャスミンは慈愛や安堵や愛しさで溢れた優しい顔で俺を見つめていた。


「ジャスミン?」

「ねえ、シラン。無事なのよね?」

「俺か? 見ての通りピンピンしてるけど」

「………よかった…本当によかった…」


 何度も何度も、よかった、と呟いて、俺の身体に縋りついてくる。身体が小刻みに震え始め、嗚咽が漏れる。

 今更恐怖や安堵が襲ってきたのだろう。あれから気を失っていたジャスミンからすると、今は《死者の大行進デス・パレード》の終結直後なのだ。

 俺はジャスミンの身体を抱きしめ、優しく撫でる。ジャスミンの弱々しい姿を見ることができるのは俺だけだ。彼女を慰めるのは俺だけの特権。ずっと昔からそう。


「ごわがったぁ…シランのばかぁ~!」

「もう大丈夫だからな。頑張ったな。偉いぞ」


 ジャスミンが幼児退行している。ぎゅっと服を掴んで、ポロポロと涙を流している。

 普段は気丈に振舞う我儘幼馴染だけど、まだ18歳なのだ。ジャスミンも普通の女の子だ。とても怖かっただろう。


「グスッ…ジラン…グスッ…何か私に言うごどない? …グスッ」


 しばらく泣きじゃくっていたジャスミンが体を起こし、鼻をすすりながら涙声で問いかけてきた。

 ジャスミンに言うことですか。いろいろあるけど、まず言わないといけないことはこれかな?


「おかえり、ジャスミン」

「う゛ぅ~」


 あれっ? なんか違った? ウルウルと潤んだ涙目でキッと睨みつけられた。

 全然怖くない。ただ可愛いだけだ。

 はぁ、と落胆のため息をついたジャスミンが、唇を尖らせながら恥ずかしそうに小さく呟いた。


「ただいま、シラン。言ってくれるまで待ってるわよ」

「えっ? 何のこと?」

「自分で考えなさい!」


 一体何のことだろう? 何かバレた? いやでも、ジャスミンなら今問い詰めてきそうだし…。言って欲しかったのは愛の言葉かな?

 取り敢えず、俺は涙でぐちゃぐちゃのジャスミンの顔を拭う。


「久しぶりにジャスミンの泣き顔を見た気がするな」

「うるさい! 忘れなさい!」

「嫌だ! 俺だけの特権だから。ばっちり記憶させていただきました」

「もう! シランのばか」


 顔を赤くするジャスミンだったが、顔を拭う俺を拒絶しようとはしない。大人しくされるがままだ。少し嬉しそう。

 全く。手のかかる可愛い幼馴染さんだ。

 はいはい、これで大丈夫ですよ。目がちょっと赤くて腫れぼったくなってるけど、可愛いお顔です。


「さて、ジャスミンさん。ご飯にするか? それとも、お風呂か? もう少しゴロゴロするか?」

「先に食べるわ………………シランを」

「はっ? んぅっ!?」


 妖艶に微笑んだジャスミンがいきなりキスしてきた。ついばむようなキスから、徐々に大胆に、激しく情熱的に舌を絡ませながらキスしてくる。俺は呆然としながらも無意識にキスに答える。舌と舌が絡み合い、唾液の水っぽい音が部屋の中に響き渡る。

 ジャスミンとのキスは、少し塩っぽい味がした。涙によるものだろう。


「ぷはっ! いきなりどうした!?」

「シラン。結界張って。あんたなら時間も操作できるでしょ? もうバレてるのよ。やって」

「はぁっ!?」


 訳がわからないけど、俺はジャスミンに従って部屋に結界を張って時間を操作する。長年ジャスミンに洗の…調きょ…躾られてきた結果だ。身体が勝手に動いてしまう。

 ジャスミンは、自分のパジャマのボタンに手をかけて外し始める。


「一体どういうことなんだ!?」

「んっ? 見ればわかるでしょ? しよ?」


 ぐはっ!? 今の言い方が滅茶苦茶可愛かったです。

 普段は恥ずかしがるのに、ストレートに言うなんて…。とてもいいです!

 下着姿になったジャスミンが覆いかぶさってくる。肉食獣のようにチロリと唇を舐めた。


「私、ちょ~っと我慢できそうにないの。そう、あれよ。恐怖を感じると生存本能が刺激されて発情するってやつ。デートの邪魔をされたモヤモヤとか、シランへの愛とか、そういう発情とかで、《死者の大行進デス・パレード》が終わったらシランを襲おうと思ってたの」

「はい!?」

「いつもの私と思わないでよね! なりふり構わず激しく襲うから! ふふっ。搾り取ってあげる」

「えっ!?」

「シラン大好き!」

「んぅっ!?」


 ジャスミンにキスされて口を塞がれた。

 もう突然過ぎて訳がわからん!

 ジャスミンは、ムードを一切考えず、ただ目の前の獲物おれを襲って貪り喰う。


 その日、俺は一滴残らず搾り取られ、初めてジャスミンに負けた。

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