第58話 失禁令嬢 (改稿済み)

 

「ここに居ましたわね!」


 ダンスホールの隅っこで両肩の痛みに耐えていた時、背後から甲高い女の声がした。

 振り返ると、見覚えのある金髪ドリルに高飛車で傲慢な目つきのリデル嬢がいた。

 取り巻きを従え、瞳に怒りの炎を宿している。


「何の用ですか、リデル嬢?」

「しらばっくれても無駄ですわ! シラン・ドラゴニア! 貴方、わたくしをハメましたわね!」

「はぁ?」


 このドリルは何を言っているのだろうか?

 俺、何かしたっけ? リデル嬢の父親や貴族派の貴族たちが勝手に自爆しただけじゃないか。俺は何もしていません。

 目の前の金髪ドリルが地団太を踏む。カッカッとヒールの音が響く。


「我が家を貶めるため、嘘の出来事をでっち上げたのですわ!」

「してないですけど」

「国王陛下だけでなく、公爵たちも騙したのですね!」

「してないですけど」

「最低ですわ! よくもまあのうのうと生きていられますわね! この国の恥!」

「あの~? 話を聞いてますか? 聞いていませんよね?」


 話を聞かない高飛車令嬢は取り巻きたちと共に勝手に盛り上がっている。

 騒ぎを聞きつけて、他の令嬢や令息も集まってくる。


「ちっ! 《神龍の紫水晶アメジスト》と婚約しやがって」

「リリアーネ嬢を無理やり襲ったんだな!」

「あのお二人は騙されているんだ! いや、脅されているんだな! ボクが助けてあげます!」


 未婚の令息たちがじりじりと殺意を浮かべて近寄ってくる。

 結託した令嬢令息たちが取り囲んで、周りの大人たちから見えないように壁を作る。

 はぁ。この国の将来は大丈夫か? まあ、貴族派の子供たちだからまだいいか。

 う~ん。どうしようかなぁ。流石にボコボコにされるのは不味いよなぁ。

 かと言って全員を倒すのも問題になりそうだなぁ。

 よし! こういう時は煽ろう!


「ふふっ! 俺たちのラブラブっぷりに嫉妬しているんですかぁ~? ざんね~ん! 《神龍の紫水晶アメジスト》と《神龍の蒼玉サファイア》の二人は美味しくいただきました! ベッドで乱れる二人は可愛かったなぁ」


 はい。まだやってません。嘘です。

 まあ、ベッドに寝転ぶネグリジェ姿の二人は可愛かったですけど。

 俺が煽ったら、令息たちが憤怒で顔を真っ赤にして、令嬢たちは冷たく俺を蔑んでいる。


「夜遊び王子め!」

「女を食い荒らすゴミめ!」


 子息からの殺気が凄い。と言っても、普通に嫉妬だけなので、全然怖くない。可愛らしいくらいだ。

 夜遊び王子として、軽くドヤ顔をして子息たちを煽る。


「そのゴミである夜遊び王子に王国の宝石二人を盗られた気分は如何ですかぁ?」


 ギリッと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。

 子息たちはあまりの怒りに我を忘れているようだ。

 悔しさと怒りで顔が歪み、グッと拳を握りしめている。

 一人が俺に殴りかかろうと一歩踏み出したところで、俺はある方向に視線をやって親指で指をさす。


「俺を殴ってもいいのか? 王族席からは丸見えだぞ?」


 ビクリと全員が固まった。バッと一斉に王族席を見る。

 ジャスミンとリリアーネは母上や姉上たちと談笑しており、父上もお喋りしている。

 幸い、誰も見ていないようだが、ここは上から丸見えだ。

 国王や王妃の前で俺をボコボコにするのは不味いだろう。

 最悪の場合、死罪だ。


「どうする? 俺を殴るか? 将来が真っ暗になってもいいならどうぞ殴ってくれ」

「くっ! 卑怯だぞ!」

「国王陛下の権威を盾にするクズめ!」

「おいおい。それをお前たちが言うか?」


 思わず呆れてしまう。

 いつもいつも自分の親の権威を振りかざして、傲慢に物事を言うのはお前たちだろうが。

 動かない子息たちに、リデル嬢がヒステリックに叫ぶ。


「どうしたの!? そこのゴミを叩き潰しなさい!」

「で、ですが……」

「わたくしが命令しているのですわよ! 早くやりなさい!」


 リデル嬢は侯爵家の娘だ。この取り巻き連中の中では最上位の貴族の娘となる。

 伯爵や子爵や男爵の子供たちはリデル嬢の命令をどうしようか迷っている。


「わたくしは侯爵家の娘ですわよ! こいつを叩き潰しなさい!」

「ここに今、父親の権威を振りかざしている人がいるんですけどー! 皆さんはどう思いますかー? 人のこと言えませんよねー?」

「黙りなさい!」


 癇癪を爆発させ、片足を振り上げ、ヒールの爪先で俺を蹴ろうとするリデル嬢。

 痛いのはちょっと嫌なので、片足を上げてリデル嬢の足を止める。


「なっ!?」

「気は済みましたぁー? ふぁ~あ…」


 大きく欠伸をして煽ってみる。

 まさか俺が抵抗するとは思っていなかったようだ。リデル嬢の顔が驚愕に染まり、すぐに怒りで真っ赤になる。


「こ、このっ! わたくしは侯爵家の娘ですわよ!」

「なら、俺は王子ですけど。身分の違いって分かってます?」

「くっ!」


 唇を噛みしめたリデル嬢は、近くの取り巻きが持っていたグラスをひったくると、中身を俺に浴びせかけてきた。

 何かのジュースで頭からぐっしょりと濡れる俺。雫が滴り、タキシードを濡らしていく。

 リデル嬢はびしょ濡れの俺を見て、大きく高笑いをする。


「オーホッホッホ! お似合いですわよ、夜遊び王子! 実に惨めですわね! オーホッホッホ! さあ、皆さんもご一緒に!」


 侯爵家の令嬢のリデル嬢が俺にジュースをかけたことで、取り巻き達も一斉に俺に飲み物をかけ始める。

 自分だけじゃないんだ、と安心感が漂っている。

 大人に何か聞かれても、リデル嬢が最初にやって、命令されただけと言うのだろう。

 いろいろなジュースでベトベトとなり、甘い香りが混ざってちょっと気持ち悪い。

 タキシードはカラフルに染まってしまった。

 びしょ濡れで何も言わない俺を見て、リデル嬢は自分が優位に立ったと思ったらしい。ますます悦に入った満足と傲慢と蔑みの笑みを浮かべる。


「オーホッホッホ! あの女二人にはもっと酷いめに合わせてあげますわ! わたくしのあの屈辱を晴らさねばなりませんから! 魔物の巣に放り捨てるのもいいかもしれませんわね!」

「リデル様! その前に、ジャスミン様を私めにくださいませ!」

「私はリリアーネ様を!」


 子息たちが口々に騒ぎ始め、リデル嬢に願い出る。

 リデル嬢は下の身分の取り巻き達を見下し、実に満足げだ。

 いつから貴族の子供たちは選民思想に染まってしまったのだろう。

 はぁ……俺ってダメだな。ずっと抑えていたけど、もう我慢の限界だ。

 俺はずっと殺意を放ち殺気だっている使い魔たちに連絡を取る。


『誰か、リデル嬢が本当に妊娠しているかわかるか?』

『その女、妊娠していないわよ』

『ありがとう、インピュア』

『……存分にやりなさい』


 珍しい。インピュアがツンデレにならなかった。

 でも、安心した。これで心置きなくやれる。

 顔をあげると同時に、俺は隠していた覇気を身に纏う。


「っ!?」


 あれほど騒いでいた周囲が一斉に黙り込んだ。何やら顔を真っ青にしている。

 俺は一歩足を進めると、気圧された令嬢や子息たちが一歩後退った。

 これだけ静かになると、小さく呟く俺の声も遠くまで響き渡る。


「俺ってさ。好きになったものはとことん好きになるタイプなんだよね」

「な、なにを……!」


 リデル嬢が呆然としているけれど、構わず近づいて、彼女の顎を手で掴んで軽く上を向かせる。

 至近距離で見るリデル嬢の瞳に、困惑と恐怖が浮かんでいる。


「独占欲と言うか、ずっとひたすら可愛がりたくなるというか……」

「そ、それがどうしたと言うのですか……!?」

「つまりさ、俺、ちょっとキレちゃったってこと。『悪夢ナイトメア』」

「あぁ……あぁぁ……あぁぁあああああああああああああ!」


 リデル嬢の絶叫が響き渡る。

 俺が発動させた魔法は、相手に恐怖を植え付ける魔法だ。

 心や魂に直接刻み付けられる悪夢。それは想像を絶する恐怖だ。

 恐怖に怯え、顔は真っ青になり、歯はガチガチと震えているリデル嬢。床には黄色いシミがゆっくりと広がっていく。

 あまりの恐怖に失禁してしまったようだ。


「あぁ……あぁぁ……あぁ……」


 あまりの恐怖で言葉が出ない。涙も出ないほど恐怖に怯えている。

 俺という存在そのものをリデル嬢の魂が恐怖しているのだ。

 震えるリデル嬢に囁く。


「俺を傷つけようが罵倒しようが、俺は何も言わない。でも、俺の大事な人を傷つけるのなら、容赦はしない。覚えておけ」

「あぁ……あぁぁ……あぁ……うぁ……」


 俺はリデル嬢から手を離した。彼女は床に崩れ落ち、自らの失禁の水溜りでドレスを汚していく。

 もう用はない。出来れば二度と関わって欲しくないな。

 俺はリデル嬢に背を向けると、覇気を纏ったまま歩き始める。

 周囲を囲んでいた取り巻き達が、無言で俺の道を開けていく。

 その顔には恐怖が張り付いていた。

 堂々と俺は歩いて行く。

 はぁ……ついつい我慢ができなかった。俺もまだまだだ。

 折角夜遊びしている無能王子を演じていたのに。本気になってしまった。

 さてさて。もう面倒だから二人の婚約者のところに戻りますか。

 ジャスミンとリリアーネに心配されそうだなぁ。

 ちょっと不安になりながらも、びしょ濡れの俺は愛しの婚約者の元へ戻るのだった。

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