第49話 弟と噂

 

 ベッドに寝転び本を読んでいる。

 両手が塞がっているため、魔法で本を宙に浮かべ、手を使うことなくページを捲っていく。

 ここは城の俺の部屋のベッド。

 左右には俺の腕を枕にしてスゥースゥーと可愛らしい寝息を立てている美女が二人。

 ジャスミンとリリアーネ嬢だ。

 騎士団の合同訓練が終わったジャスミンは、ぐったりと疲れきって部屋に戻ってきた。

 近衛騎士団の制服を脱ぐと、浴室で汗を流し、ラフな格好になると、無言で俺を掴んでベッドに押し倒してきたのだ。

 訳がわからず呆然としている俺の腕を枕にすると、ものの数秒で眠ってしまった。

 心身ともに疲れたのだろう。まあ、イジメたのは俺ですが。

 訓練でジャスミンは一番頑張っていた。だから、ご褒美としてそのまま寝させることにしました。

 本当は未婚の貴族令嬢が異性と同じベッドで寝るのは大問題だけど、バレなきゃいいよね!

 そして、何故かリリアーネ嬢もラフな格好になると、そろそろとベッドに潜り込んで、ジャスミンとは反対の俺の腕を枕にして眠ってしまいました。

 リリアーネ嬢もネアに捕まって寝ていないから寝不足だったのだろう。一瞬で寝てしまった。

 というわけで、俺は左右の美女の甘い香りや温もりや柔らかさや寝顔を楽しみつつ、暇なので本を読む。


『ご主人様』


 二、三時間ほどしただろうか。頭の中に隣の部屋で待機するハイドの声が響き渡った。念話だ。

 俺も念話で返答する。


『どうした?』

『ご主人様にお客様です』

『客? 誰だ?』

『アーサー様です』


 アーサー。アーサー・ドラゴニア。ドラゴニア王国第四王子で俺の異母弟だ。

 第一王妃アンドレア母上の息子。年齢は13歳。兄と姉が多い俺の唯一の年下。可愛い弟だ。

 一体どうしたんだろう? 今はお勉強の時間じゃないのか? 緊急の用件か?


『通してくれ』

『いいのですか?』

『アーサーなら大丈夫だろう』

『かしこまりました。お通しします』


 さてさて。寝室に来るのなら二人が起きないようにしないとな。

 可愛らしく寝ている二人に風の魔法で防音の結界を張る。

 と、同時に、寝室のドアがバッターンと勢いよく開いた。


「兄様! ジャスミン姉様とのご婚約おめでとう……ござ…い…ます?」


 ニコニコ笑顔で突撃してきた利発そうな少年アーサーが、ベッドに寝転ぶ俺を見て固まった。

 腕枕している美女二人に気づいて、見てはいけないものを見た、と真っ赤になりながら視線を逸らす。


「に、兄様? お、お邪魔でしたか?」

「いや、全然。今日騎士団の合同訓練があっただろ? ジャスミンが疲れたみたいでな、勝手に枕にされた。全く、我儘なお姫様だ。リリアーネ嬢も寝不足らしい」

「あぁーなるほど。安心しました。って、ダメじゃないですか! 貴族のご令嬢とベッドで寝るなんて! これがバレたら……あれっ? 婚約したからいいのか…?」


 腕を組んで悩み始めるアーサー。

 我が弟はさっきからどうしたんだ? 何を言っている?


「アーサー。さっきから婚約婚約って何の話だ?」

「シラン兄様はジャスミン姉様とご婚約されたのでしょう? リリアーネ・ヴェリタス殿ともご婚約を…」


 左右の美女がビクッと震えた気がした。寝返りか?


「えっ? 俺、してないけど」

「えっ?」

「えっ?」


 俺たちは驚いて顔を見合わせる。

 一体アーサーはどこでそんなデマを聞いてきたのだろう。


「父上やグロリア公、ヴェリタス公が嬉しそうに話していましたよ」


 あの性癖異常者の仕業か! また俺が知らないところで!

 頭の永久脱毛だけじゃ生ぬるいか? 撥水コーティングでツルツルに光らせようか?


「ですが、今の状況は婚約していなかったら不味いのでは?」

「………………不味いな」

「というか、お二人が兄様の家に住み始めたという噂も…」

「………………住み始めたな」

「珍しく父上に嵌められましたか?」

「………………そうなんだよ。マジでどうしよう」


 悪夢を見ているのか、ブルブルと震える二人を優しく撫でる。

 ギュッと俺を抱きしめ、離れまいと縋りついてくる。

 二人を安心させるために撫で続ける。

 その様子を見て、アーサーが呆れてため息をついた。


「なんでシラン兄様はこういう時だけヘタレなんですか? もう潔く娶ればいいじゃないですか!」

「うっさい! 俺にもいろいろとあるの!」

「はぁ…まあいいですけど。僕としてはジャスミン姉様が本当の姉になってくれるので嬉しいです! リリアーネ殿も優しそうなのでナイスです!」

「そういえば、アーサーは昔からジャスミンに懐いていたな」


 アーサーが瞳を輝かせる。

 何故か鼻息荒くテンションをあげて一気に捲し立てる。


「ジャスミン姉様は優しいじゃないですか! とても綺麗で可愛らしくて物腰も柔らかで理想の姉様です! いつも僕に優しくしてくれて頭も撫でてくれるんですよ! あんな姉様が欲しかったです! 姉様たちはいつも僕に女装させてきて……あはは…」


 乾いた笑いを浮かべたアーサーの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。

 あぁー。姉上たちはアーサーを着せ替え人形にして可愛がっているからなぁ。男の子なのにスカートを穿かせるとか…可哀想に。苦労しているんだな。

 でも、アーサーに一つ言いたいことがある。


「アーサー。誰のことを言っているんだ? ジャスミンは我儘で横暴だろ? あいたっ!?」

「どうしましたか、兄様?」

「何でもない」


 うぅ…わき腹が痛い。寝ぼけたジャスミンに抓られた。

 やっぱり横暴だ。暴力反対!


「取り敢えず! 僕は兄様とジャスミン姉様の婚約に賛成ですから! もちろん、リリアーネ殿の婚約も! リリアーネ殿も姉様って呼ばせてくれないかなぁ……。というわけで、僕も父上の味方になりますね!」

「おいっ! それは不味いって!」

「大丈夫です! 母上や姉上たちも全員父上側ですから!」

「うわぁー。マジかぁ……」

「マジです! 外堀が全部埋まってますよ! よかったですね」


 もう無理か。まあ、婚約くらいならいいかなぁ。

 今すぐ結婚しろって言われたら抵抗するけど。

 家に住み始めて、今一緒のベッドに寝ている段階で婚約は避けられない。

 アーサーもこの後家族に言いふらして回りそう。ウズウズとしている。


「でも、兄様気をつけてくださいね。よくない噂が出回っていますから」

「んっ? どんな噂だ?」

「兄様は暴力を振るっている、暴言を吐いているとか、ジャスミン姉様たちと婚約するために元婚約者のフィニウム侯爵令嬢を酷く振ったとか」


 寝ている美女二人がビクリと震えた。

 優しく撫でて大人しくさせる。


「ふぅ~ん。放っておけ」

「いいのですか? 街にも広がっているようですよ?」

「こんなに綺麗で可愛らしい女性二人と仲良くしているんだ。嫉妬の一つ二つくらい言われるさ。あいたっ! あいたっ!」


 眠っている両サイドの美女が照れた様子でパシパシと叩いてきた。

 その後むぎゅッと抱きついて、スリスリと頬擦りしてくる。

 全くどんな夢を見ているんだか。

 あぁー、と何かに勘付いていたアーサーが確信を持つが、俺はウィンクして黙らせる。


「というわけで、アーサーは何もしなくていい。自分のことだけを考えろ。王都の小さな宿屋の娘さんと仲がいいと聞いたが?」

「うわぁー! うわぁー! なんでそれを兄様が知っているんですかぁー! 誰にもバレないようにお忍びで行ってるのにー!」

「婚約者もいるのにやるな!」


 俺はニヤッと笑い、魔法で拳を作り、サムズアップする。

 アーサーが真っ赤になってあたふたと慌てている。


「メリルも納得済みです!」

「うん、知ってる。その娘を薦めたのはメリル嬢だろ? 親友らしいし。いい婚約者だな」

「なんでそれも知ってるんですかぁー!」

「お兄様に知らないことはないのだ! ふはははは! あいたっ!」


 高笑いするとわき腹を抓られた。アーサーをあまりイジメるなという警告らしい。

 アーサーも頬をぷくーっと膨らませ、プルプルと震えている。

 そういう可愛い仕草をするから、姉上たちの玩具にされるんだぞ!


「兄様のばかー! あほー! あっ、今度城を抜け出すお手伝いをしてくださいね! じゃあ、失礼します! 兄様のヘタレー! 女誑しー!」


 俺への暴言の間にしれっと自分の要望を言って出て行ったな。

 騒がしいけど可愛い弟だ。

 はいはい。お忍びデートをしたいんですね。わかりました。

 城を抜け出す手伝いをするのはいいけど、影からバッチリ覗かせていただきます。

 アーサーがいなくなり、静かになった寝室。

 俺は隣に寝ている美女を撫でる。


「で? 二人はいつまで寝たふりを続けるんだ?」

「ぐーぐー」

「ね、寝ていますよー」

「あっ、ばかっ!」


 喋らなければ見て見ぬふりをしようと思ったのに、リリアーネ殿が喋ってしまった。

 思わずジャスミンも喋ってしまう。

 バツの悪そうな紫色の瞳と青の瞳の二人と視線が合った。


「………いつから気づいていたの?」

「最初から。俺が張った防音の結界を打ち消しただろ? すぐにわかる」

「私、結構上手くやったと思ったんだけどなぁ」

「まだまだだな! それに、二人とも俺を叩いたり抓ったりバレバレなんだよ! 痛かった!」

「シランが悪いのよ!」

「す、すいません……つい身体が動いて…」


 素直なリリアーネ嬢は許してあげよう!

 俺のせいにしたジャスミンは許さない! まあ、我儘とか横暴とか言った俺が悪いんだけど!

 二人が同時に可愛らしい欠伸を漏らす。子猫のようにスリスリと頬擦りし、クンクンと俺の身体を嗅ぐ。


「うぅ…眠い…もうちょっと寝る…すぅ~」

「私も眠いです………すぅ……すぅ…」


 すぐに瞼が閉じて寝てしまう二人。

 えぇー。寝つき良すぎない? 数秒で寝たぞ。驚きだ。


「おやすみ、お姫様方。良い夢を」


 俺は気持ちよさそうに寝てしまった二人を撫で、再び読書を始めるのだった。




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