第12話 サファイア (改稿済み)

 

 ヴェリタス公爵家の屋敷の応接室。

 ドッグ・ルーザーが機嫌よくフガフガと鼻を鳴らし、ヴェリタス公爵は黙ったまま怒気と殺意をまき散らしている。俺は隣に座るソラといちゃついている。

 混沌カオスな状況だ。

 異様な沈黙が続く応接室の扉が、コンコンッと優雅にノックされた。

 扉の外から澄んだ美しい声が聞こえてきた。


「リリアーネです」

「入りなさい」


 渋々とか嫌々という不機嫌な声を隠さないヴェリタス公爵。

 ドアがガチャリと開いて、一人の美女が入ってきた。

 身体のラインがよくわかる深い青色のドレスを着た長身の女性。

 艶やかな長い黒髪に、宝石のサファイアのように深い青の瞳。

 思わず声が漏れ出るような美しき美女だ。

 俺と同い年とは思えない大人っぽさを感じる。

神龍の紫水晶アメジスト』のジャスミンは風が似合う明るい美女なら、『神龍の蒼玉サファイア』のリリアーネ嬢は凪いだ海のような澄んだ美女。深窓の令嬢を体現している。

 ドッグ・ルーザーはリリアーネ嬢に見惚れて声も出せないようだ。

 美女や美少女を見慣れている夜遊び王子の俺でも一瞬言葉を失った。


「リリアーネ、自己紹介をしなさい」

「はい、お父様。リリアーネ・ヴェリタスと申します。以後お見知りおきを」


 短く簡潔に自己紹介をするリリアーネ嬢。必要最低限の挨拶しか仕込まれていないな。


「俺はドラゴニア王国第三王子シラン・ドラゴニアだ。よろしく」

「ボクは、ドッグ・ルーザーでふ。キミの結婚相手でふ」

「そうなのですか、お父様?」

「違う。こんな無礼者にやるわけにはいかない。今すぐにでも殺したいくらいだ」


 リリアーネ嬢は目を大きく見開いて父親の発言に驚いている。

 王子の俺の前で公爵の当主が殺すと発言しているのだ。普段ならあり得ないことだ。

 リリアーネ嬢から視線を向けられている気がするが、気にせずお茶を飲む。あぁ~美味しい。


「リリアーネ。そんなところに立ってないでボクの隣へ来るでふ! 早く来るでふ!」


 バカなドッグ・ルーザーは横柄に命じる。

 この部屋の中で一番身分が低いことを理解しているのか? していないだろうけど。

 残念ながらドッグの隣に座らせるつもりはない。

 俺はリリアーネ嬢へ向けて手を振り、身体を魔力で操った。

 操り人形マリオネット


「えっ!?」


 人形のように操られたリリアーネ嬢は身体が勝手に動き、俺の隣へ座る。

 咄嗟にヴェリタス公爵が動こうとしたけど、公爵の身体を魔力で拘束した。

 一瞬で断ち切られたけど、その間にリリアーネ嬢は俺の隣に座ってしまった。もう遅い。


「リリアーネ、殿下の隣から離れなさい。無礼ですよ」

「ヴェリタス公爵。俺が許す。折角自分から座ってくれたんだ。これほど嬉しいことはない」

「えっ? あっ、はい」


 リリアーネ嬢も混乱しているが、自分から座ったと認めてしまった。

 俺が許したのだから公爵も何も言えない。悔しそうに歯を食いしばっている。

 しかし、ここにはどうしようもないバカがいる。


「何故そいつの隣に座るのでふか! ボクの隣に座るのでふ!」

「ふふ。リリアーネ嬢が自分から俺の隣に座ったんだ。お前よりも俺のほうがいいってさ」


 俺の腕をリリアーネ嬢の背中に回す。が、決して触れない。

 ソファに手を置いているだけだが、傍から見たら手を回しているように見えるだろう。

 ソラとリリアーネ嬢という二人の美姫を侍らせた俺。

 ドッグは激怒する。ヴェリタス公爵も激怒しているけど。


「殺せ! あいつを殺すのでふ!」


 後ろの騎士たちに命じるけど、流石に王子に向かって剣を向けることはしないらしい。

 言うことを聞かない自らの従者に癇癪をぶつける。

 ああ、もう不敬罪で引っ張っていこうかな。こんな貴族がいるとは知らなかった。

 でも、まだ取り押さえる態勢が整っていないんだよなぁ。

 俺は困惑しているリリアーネ嬢の耳元に顔を寄せる。


「すまない。しばらくの間、俺の話に合わせてくれ」


 青い目に戸惑いを浮かべながらも、小さく頷いたリリアーネ嬢。聡明な女性だ。

 ドッグからしたらリリアーネ嬢とイチャイチャしているように見えたのだろう。

 豚の顔が真っ赤になる。おっと、豚じゃなくてドッグ・ルーザーだった。

 ヴェリタス公爵は……恐ろしくて見たくない。


「早く殺すのでふ! お前! ボクのリリアーネから離れるのでふ!」

「リリアーネ嬢はいつも何をしているんだ?」


 俺はドッグ・ルーザーを無視して隣のリリアーネ嬢に話しかける。


「私はいつも、ダンスのお稽古や楽器のお稽古、お料理のお稽古など花嫁修業でしょうか」

「へえ。将来の夢はお嫁さんかな?」

「ええ。お嫁さんになりたいのですが、お父様がお許しを下さらなくて」

「当たり前だ! リリアーネはどこにもやらん!」

「むふー! ボクを無視するなぁー!」


 いろいろとカオスの応接室。

 ヴェリタス公爵は親バカを炸裂させ、ドッグは癇癪を爆発させている。

 リリアーネ嬢はあまりこういう場に出たことがないのだろう。カオスな状況でも心なしか楽しそうに見える。


「リリアーネ嬢は何か俺に聞きたいことはあるか? なんでも質問していいぞ」

「そうですか? では、シラン殿下は本当に夜遊びをされているのですか?」


 おぉう。一発目の質問がそれですか。ヴェリタス公爵が固まっているぞ。

 リリアーネ嬢が興味津々で青い目を輝かせている。


「リリアーネ嬢は俺の噂を聞いているようだね。夜遊び王子、無能王子とかか?」

「ええ、まあ。私、不敬罪で捕まってしまいますか?」


 あわあわと慌て始めるリリアーネ嬢。

 大人っぽい印象だけれど、意外と普通の女の子なんだな。

 不敬罪と言えば不敬罪だけど、そんな面倒なことはしたくない。

 あれって、書類が面倒くさいんだよね。


「リリアーネ嬢を不敬罪で捕らえたら、国民のほとんどを捕まえなくちゃいけないからな。そんな面倒なことはしないさ。質問の答えだけど、俺はいつも夜遊びをしている。リリアーネ嬢も一緒に遊ぶか?」


 夜遊びに誘われたら普通の貴族令嬢なら柔らかく拒否する場面だ。貴族の世界ならこういう冗談やリップサービスはよくある。その気があるなら相手は誘いに乗るが。

 ジャスミンなら平手打ち……はしてこないか。ふざけないで、とか言葉では拒否しつつ、顔を赤くしながらコクリと頷きそう。

 貴族の世界だと迂闊に肯定してしまうとその後大変なことになる。合意が取れたということで襲われたり婚約したりということがよくある。それが口約束であろうとも。

 ヴェリタス公爵が激高して立ち上がろうとする前に、リリアーネ嬢が嬉しそうに答えた。


「まあ! ぜひご一緒したいです!」

「ぶふぅっ!? ゲホッゲホ!」


 思わずお茶を噴き出してしまった。ヴェリタス公爵も驚きで固まる。

 まさか了承するとは思わなかった。大丈夫なのか!? 意味わかってる!?


「リリアーネ嬢! なにを口走ったのかわかっているのか!?」

「えっ!? 私、何か不味いことでも言いましたか? 夜に抜け出してお買い物や食べ歩きですよね?」


 あぁ、よくわかった。ヴェリタス公爵はそっち系の教育を何もしていないんだな。

 俺はヴェリタス公爵に視線を向ける。


「今のは聞かなかったことにする。リリアーネ嬢にちゃんとした知識と応対の仕方を教えてやれ。俺じゃなかったら一発アウトだぞ」

「申し訳ございません殿下。そして、ありがとうございます」


 いや、これは流石にヴェリタス公爵も冷や汗をかいただろう。

 今、俺は冗談で夜の誘いを行ったが、リリアーネ嬢は了承してしまった。

 ということは、俺が彼女を夜に連れだしても誰も文句は言えないのだ。

 貴族の世界とは、とても面倒くさくてドロドロした世界。ちょっとした口約束や言い間違えの揚げ足を取る。

 しかし、ここには貴族の世界を全く分かっていないバカもいる。


「むふー! ボクのリリアーネに何を言っているのでふか! ボクがベッドの上でヒーヒー言わせるのでふ! リリアーネ、今すぐベッドへ行くでふ!」


 俺はリリアーネ嬢の耳元で囁いた。


「断れ」


 リリアーネ嬢は小さく頷いてくれた。


「お断りいたします」

「むふー!」


 激怒するドッグ・ルーザー。

 喚き散らし、ティーカップも放り投げて粉々に割ってしまった。

 ああもう、こいつ処分しようかな。ヴェリタス公爵も即処分に動きそうだし。

 でも、今処分すると任務に影響が出るんだよなぁ。

 まだ人さらいの組織の全貌がわかっていない。

 仕方がない。もう少し泳がせよう。


「ヴェリタス公爵。こいつのことは放っておけ。どうせすぐに潰れる」

「……公爵として、この国の貴族として、こいつを見過ごすことは出来ません!」

「俺は面倒だからしないだけで、仕事をしようと思えばできるんだぞ。面倒だからしないだけで」


 大事なことなので二度言いました。

 公爵は俺の言葉の裏の意味までちゃんと読み取ってくれる。


「シラン殿下を動かすほどですか」

「俺が直接動くわけじゃないけどな」

「……わかりました。いろいろとお考えのようだ。放っておきましょう。というか早く娘から離れてください! 殺しますよ!」


 公爵としての顔を止めて、一瞬で父親の顔になるヴェリタス公爵。

 憤怒の形相だ。今すぐにでも斬り殺されそう。怖い怖い。

 俺と公爵が喋っている間もブヒブヒと癇癪をぶつけて喚き散らしている豚。

 やれやれ、ギャーギャーうるさい豚を黙らせますか。

 俺はヘラヘラとしていつも抑えている覇気や殺気を纏ってドッグ・ルーザーにだけぶつける。

 騒いでいたドッグは恐怖で一瞬で黙った。顔を真っ青にしてガクガク震えている。


「ドラゴニア王国第三王子シラン・ドラゴニアとして命じる。ドッグ・ルーザー、今すぐヴェリタス公爵家の屋敷から出ていけ。そして、リリアーネ嬢には二度と近づくな。これは王子である俺の命令だ。わかったな?」

「何故ボクが貴様の命令に従わないといけないのでふか!」


 おぉう……これほどのバカがこの国にはいたのか。

 一度貴族全員を見直して、引き締めを行うよう父上に奏上してみよう。

 じゃあ、仕方がないな。最終手段だ。


「ハイド」


 背後に控えているハイドに命じると、次の瞬間にはドッグの喉元に黒い短剣を突き付けているハイドがいた。俺がハイドの『ハ』の字を告げた時にはこの状態だった。

 誰にも反応できない速度。ヴェリタス公爵は何とか対応できるかな?

 闇色の短剣の刃がドッグの首を薄く斬り裂き、血が一筋流れていく。


「今すぐ出て行くか、この場で死ぬかだ。どっちがいい? 俺としては後者がオススメなんだが」

「ひぃっ!? 今すぐ出て行くでふ!」


 ハイドに視線を向けると、残念そうに身を引く。

 自らの首に短剣がなくなったドッグは、家の主であるヴェリタス公爵に挨拶することなく、巨体をドタドタ言わせて応接室から出て行った。従者も慌てて主君を追いかける。

 これほど無礼だと怒りを通り越して呆れてしまう。

 さっさと潰そう。やっぱり早く潰しておけばよかった。


「で、いつ殿下は娘から離れるのでしょうか?」


 怒りのこもったヴェリタス公爵の声。

 ドッグ・ルーザーの無礼よりも娘に飛び交うハエのほうが重要ですか。

 俺はハエじゃないけど。

 リリアーネ嬢に離れるよう言う前に、ちょっと囁き声で忠告する。


「数日間はあいつに気をつけろ。リリアーネ嬢を狙っている」

「わ、わかりました」

「殿下?」


 おっと、ヴェリタス公爵の我慢の限界が近いようだ。殺されないうちに退散しよう。

 俺はソファから立ち上がる。

 それに伴い、隣に座っていたソラと、いつの間にか背後に侍っていたハイドも付き従う。


「そろそろ俺も帰ろうかな。目的のリリアーネ嬢には会えたし」


 その前にヴェリタス公爵には情報を与えるか。

 俺とヴェリタス公爵の間に結界を張って、空間と時間を周囲の空間から切り離す。

 盗聴やら盗撮やら防ぐための結界だ。

 一瞬驚愕するが、即座に警戒して構える公爵は流石だ。


「ヴェリタス公爵。ルーザー男爵家を潰すために暗部が動いている。その後の証言を頼みたい。貴族の引き締めが必要だ。この俺でも呆れ果てた」

「何ですと!? 暗部が……なるほど」

「俺はただのメッセンジャーだから詳しいことは父上しか知らないぞ。暗部の準備が整った段階で全て潰せとの命令らしい。それ以外聞いていない」

「暗部が動きますか。殿下も動くので?」


 警戒を解いて、意味ありげに視線を向けてくるヴェリタス公爵。

 俺は平然と嘘をつく。


「実際に動くのは暗部だ。俺じゃない。俺は夜遊び王子だぞ。娼館で女と遊んでいるさ」

「殿下はご存知でしょう? 娼館を営んでいるのは暗部だと」

「知っているが、俺は女性と遊ぶので忙しい。あそこの女性は素晴らしいからな。もちろん、一番は俺の使い魔たちだが」

「そうですか。そういうことにしておきましょう」


 ヴェリタス公爵はいろいろと気づいているらしい。

 まあ、王族の次に力のある貴族だからな。情報網もあるし財力もある。独自の暗部も持っているから、感づかれるのは仕方がないだろう。


「リリアーネ嬢の警護レベルを上げておけ」


 ヴェリタス公爵の答えを聞く前に結界を解く。切り離された空間と時間が戻ってくる。

 ハイドやソラには気づかれているが、その他の人間には気づかれていない。

 全ては一瞬の出来事のはずだ。


「ヴェリタス公爵、失礼する。リリアーネ嬢、王都に来たときには街をご案内しますよ。では、ごきげんよう」


 俺は公爵やリリアーネ嬢の答えを聞くことなく、ソラとハイドを連れて応接室を出て行った。


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