第6話 暗部 (改稿済み)

 

 真夜中。王都の中心部から離れた住宅街。

 活気ある歓楽街とは対照的に、皆、寝静まって人通りが全くない

 その静かで真っ暗な夜道をフラフラと歩く女性がいた。

 顔立ちはそれなりに整い、お酒の匂いを漂わせた酔っぱらいの女性だ。

 アルコールで酔って肌を火照らせながら、よろよろと自分の家を目指している。

 大きな通りの道を曲がり、細い路地へと入っていった。

 しばらく歩くと、目の前に黒装束の人物が立ちふさがっている。

 黒いフードを被った人物。顔は白い仮面で覆われている。

 目の付近に開いた穴から黄色の瞳が覗いている。


「やあ、そこのお嬢さん。オレと一晩どうだ?」


 ゲヘヘ、と欲にまみれた男の笑い声が聞こえ、女性は一気に酔いからさめる。

 後退って逃げたいが、恐怖で身体が硬直し、身動きが取れない。

 唯一できたのは震える声を絞り出すことだけ。


「だ、誰!?」

「オレか? 見てわかるだろ?」


 男らしきフードの人物が背を向ける。

 黒いローブの背中には暗くて見えにくいが、水色の龍らしき意匠が描かれていた。


「あ、暗部!」

「そうさぁ。オレは暗部の者だぁ。死にたくなかったら一晩オレの言うことを聞きな。たっぷりと可愛がってやるからさぁ」


 ジュルリと舌なめずりをする音が聞こえ、女性の身体を厭らしい視線で舐めまわす。

 白い仮面を被り、背中に水色の龍が描かれた黒装束の者たち。

 国王陛下直属の諜報暗殺部隊、その者たちだけに許される装束だ。

 正式な名前は知られておらず、通称は暗部。

 ドラゴニア王国でも民衆に知れ渡る絶対的恐怖の対象だった。

 国王の命令で動き、証拠を残すことなく任務を遂行する最凶最悪の暗殺者たち。その者たちを目にするのは殺される直前しかないとまで言われている。

 その暗部の装束を着た者が、今女性の目の前に存在している。

 女性は絶望し、死を覚悟する。


「どうする? 死ぬか、オレを楽しませるか。どっちがいい?」


 黒装束の男性が女性に近づき、肩を抱きよせ耳元で囁く。

 暗部を目の前にした女性が生き残るためには答えは一つしかない。


「わ、わわ、私は死にたく、あああ、ありません」

「なら決定だな。精々殺されないように頑張るんだな。ぎゃはは!」


 その暗い夜道に女性の怒声が轟いた。


「今すぐその女性を離しなさい!」

「あぁ!? ってその鎧は近衛騎士!?」


 男が振り返った先にいたのは、紫色の瞳を冷たく輝かせた近衛騎士ジャスミンがいた。

 剣を構えて今すぐにも斬りかかりそうだ。

 黒装束の男は動揺しながらも、チッ、と舌打ちをすると、すぐに余裕の態度を取り戻す。


「あぁん? このオレがどこに所属しているのかわかるよなぁ? 近衛騎士さんよぉ?」

「…………暗部ね」

「わかってるじゃねぇか。オレの任務を邪魔するな!」

「女性を無理やり襲うことが任務なのかしら?」

「無理やりじゃねーよ! こいつが自ら腰を振るって言ったんだ!」

「脅したでしょうが!」


 途中から話を聞いていたジャスミンが怒りを更に燃やす。

 国王直属の一員にらしからぬ行為だ。諜報や暗殺を生業としている部隊だが、今回は到底許される行為ではない。明らかに任務外だ。


「いいんだよ。偶にはオレも息抜きしないとな。よく見ればお前もいい面や身体をしてるじゃねーか。よしオレと一緒に来い! 気持ちよくしてやるぜ? 壊れるかもしれねーけどな! ぎゃはは!」


 厭らしく笑う男にジャスミンは動揺を隠せない。

 暗部はジャスミンでさえもほとんど見たことがない。ほんの二、三回、遠くから眺めただけだ。ましてや、声を聞いたこともない。その時は、遠くから眺めただけで死の恐怖が襲ってきた。

 国王直属の部隊なので、規律がとても厳しいはずなのだ。なのに目の前の男はペラペラと喋り、犯罪を犯そうとしている。

 何か違うとジャスミンは確信した。それに、目の前の男から一切の脅威が感じられない。強者の気配が全くないのだ。むしろ、普通の犯罪者で格下の気配しかない。


「ジャスミン様!」


 ジャスミンの背後から近衛騎士が数人剣を構えて近づいてきた。

 シラン王子を捜索していた近くの部隊が合流したのだ。


「ひぃっ!?」


 それを見た黒装束の男が女性を放り出し、悲鳴を上げて脱兎のごとく逃げ出した。

 ジャスミンは思わず呆気にとられる。


「えっ……って、待て! くっ!?」


 逃げ出した男を追いかけようと一歩踏み出した途端、弾かれたように後ろへと飛ぶ。

 直感が反応し、無意識に身体が動いたのだ。

 直後、屋根の上から黒装束の人物が一人、音もなく下りてきた。

 距離を取ったジャスミンは、合流した近衛騎士たちと剣を構える。


「もう一人!?」


 襲われそうになった女性とジャスミンたちの間に下りてきたもう一人の黒装束の人物。目や口に穴がない白い仮面に背中には水色の龍。覇気も殺意も放っていないが、ジャスミンは死神に首筋を撫でられた気がした。

 油断なく剣を構える。

 黒装束の人物は、ジャスミンたち近衛騎士団を気にする様子もなく指をパチンと鳴らした。

 被害者の女性が意識をなくし、ぐったりと地面に倒れ込む。


「その人に何をするつもり!?」

「……何もしない」


 黒装束の人物が答えた。

 声は魔道具か何かで変えているらしい。男か女かわからない合成音だ。

 黒装束の人物はサッと手を振ると、女性の身体がふわりと浮かんだ。そのままスゥーッと宙を滑り、ジャスミンたちの近くへと優しく下ろされた。


「……この女性を頼む」

「何ですって!? まあ、助けはするけど、これを引き起こしたのはあんたの仲間よ! どうするつもり!?」

「……奴は我らの仲間などではない」

「はぁ!?」


 黒装束の人物は少し逡巡して、ジャスミンたち近衛騎士に説明することにした。


「……ここ最近、我らの真似をして犯罪を犯す不届き者たちがいることがわかった。今夜はその壊滅に乗り出していたのだ。今の奴はその不届き者の一人だ。もう既に他の者が対処している」

「さっきの奴はニセモノってこと? それに対処って殺したってこと?」

「……そうだ」

「証拠は? アンタが本当の暗部だっていう証拠も!」

「……キミたちに見せるは必要ない。我らはただ任務を遂行するだけだ」

「なにっ!?」

「一つ教えてやろう。今、シラン王子殿下は多くの女性と交わっている最中だ。近衛騎士たちは王子を探すのを諦めて帰れ。我らの任務の邪魔だ」

「なぁっ!?」


 ジャスミンが思わず飛び掛かろうとするが、他の近衛騎士たちに押さえ込められる。

 ジャスミン一人相手に近衛騎士五人がかりだ。ジャスミンは暴れ、五人を引きずっている。

 暗部の人物が背を向けて立ち去ろうとするが、ふと、振り返って問いかけた。


「……ジャスミン・グロリア。キミは何故あの王子を諦めないのだ?」

「シランのこと?」

「……そうだ。何故キミはあの王子を嫌いにならない? 何故ずっと好きなままで諦めないのだ?」

「なぁっ!? な、ななななななななんでそのことを!?」

「……城中の者が知っているぞ。なあ?」


 同意を求められたジャスミンを押さえていた近衛騎士たちがスゥっと視線を逸らす。

 それに気づいたジャスミンの顔が闇夜でもわかるくらい真っ赤になる。


「えっ!? うそっ!? バレバレだった!?」

「……はい」


 諦めて騎士たちが肯定した。

 うがぁぁあああああ、と恥ずかしさで蹲るジャスミン。

 近衛騎士たちは気まずそうだ。

 しかし、空気を読まない人物がここにはいた。


「……傍から見れば毎日娼館に通う夜遊び王子。無能な王子だ。何故キミは嫌いにならない?」

「あんた殺すわよ! シランをそういう風に言わないで!」

「……キミも本人に言っているだろう? 何故だ? 無能のクズが好きなのか?」

「ああもうムカつく! 無能でもクズでもどうでもいい! あいつのことが好きだから好きなのよ! 文句ある!?」

「……ない」

「そう……待って。今さっき『傍から見れば』って言ったわよね? シランは裏で何かしてるの? 暗部のあんたなら知ってるわよね!? 教えなさい!」

「……キミは知らないほうがいい」


 そう言う声が聞こえたかと、強烈な光が周囲を襲う。

 ジャスミンたち近衛騎士たちは思わず目を覆ってしまう。

 光が消え去った時には暗部の人物は消え去っていた。気配も消えている。


「待ちなさいよ! 教えなさあぁぁぁああああああい!」


 静かな住宅街にジャスミンの怒鳴り声が響き渡る。

 それの光景を、消え去った暗部の人間が遠くの高い建物の上から眺めていた。


「白龍様。対象を全て殲滅いたしました。現在拠点の捜索を行っております」

「ありがとう影龍」


 闇の中をスッと現れて報告に来た暗部の人物が頭を下げた。


「よかったのですか? ジャスミン様と接触して」

「近くにいたのは俺だったからな。今、物凄く後悔している。喋り過ぎた」


 白龍というコードネームで呼ばれた俺、シランは頭を抱えて後悔する。

 あんなこと聞かなければよかった。ジャスミンは何かと鋭いことを忘れてた。


「明日面倒くさそうだなぁ」

「お諦めを。自業自得です」


 コードネーム影龍、ハイドが苦笑しながら頭を下げて闇の中に消え去った。

 一人残された俺は、ジャスミンたちが立ち去るのを確認すると、任務の続きを遂行するために動き出した。


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