第10話 和くん

「葉月、机を向かい合わせにして食べるぞ」

授業中、静かにしていたのだから、昼食くらいは賑やかにしたいものだ。

「……」

昼休みに入っても葉月は静かだなぁ。

「叩かれた頭がまだ痛い」

「本当?」

心配そうに振り返る。

あ、駄目だ。

葉月の心配性を利用するようなことをしては。

「ごめん、平気だ」

葉月は睨むとき、よく下唇を噛む。

それが葉月を少し子供っぽく見せるから、俺は睨まれるのが嫌いじゃなかった。

いや、でも嘘ついてゴメン。

「頭を叩いた教科書、消毒しなくていいのか?」

「……ノートを貸した人間に何を言ってるの?」

あれは単なる気まぐれでは無かったのだろうか。

いや、葉月の重度の潔癖症を考えると、気まぐれで許せる基準が変わるとは思えない。

ということは、俺に対する許容範囲は他より広いのか?

ものは試しだ。

「葉月、ハグしてくれ」

キッと目力を増してから、プイッと前を向いてしまった……。

いきなりハードルを上げすぎた、と言うよりは、ビルを飛び越えるくらい無謀なことを言ってしまったのに、隣では政太が、もっと行けとでも言うように腕を振る。

仕方ない。

ちょっと卑怯だが、アレを使うか。

「葉月、俺、今日は日の丸弁当なんだ」

事実である。

いつも昨夜の残り物を弁当箱に詰めてくるのだが、今朝は何も残っていなかったのだ。

近所の漁師さんに分けてもらった、水揚げされたばかりの魚ならあったが。

ただ、白御飯の上に燦然さんぜんと輝く太陽は、最上級の南高梅である。

いや、梅が高級とか関係無く、これだけで食べるのは無理だ。

「昔もらった、葉月の作っただし巻き卵、美味かったなぁ」

「……」

「あれから俺、卵料理が好きになったんだよなぁ」

葉月が俺の弁当をチラ見する。

そして何故か口を尖らせ、呟くように言った。

「……美澄にもらえばいいじゃない」

綺麗さも可愛さも標準装備されている葉月だが、時おり意表をついて、いじらしさだとか愛らしさみたいなものまで装備していることに気付かされる。

「美澄の卵焼きは甘いんだよ」

ボトッ。

湿った落下音が背後からした。

美澄謹製きんせいの卵焼きが机に転がっていて、しょぼーんとした顔の美澄がそれを見つめていた。

俺の視線に気付いた美澄が手を合わす。

──ごめんね。

「いや、俺の方こそゴメン……」

美澄は料理が得意だし上手い。

たまたま卵焼きの味付けが俺に合わないだけなんだ、ということを力説する。

でも、昼食は何だかしんみりした空気で終わってしまった。

日の丸弁当は完食出来ず……。


「さあ葉月、帰るか」

放課後、当たり前のように誘ってみる。

「帰れば?」

素っ気ないが、ちゃんと返事をしてくれることが増えた気がする。

この調子でいけば、一週間で会話が成り立ち、一ヵ月もすれば和気藹々あいあい、一年もすれば婚約まで漕ぎ着けるかもや知れぬ。

「何か用事でもあるのか?」

「今日は哲也と帰る約束してるから」

「え?」

それは意地悪な冗談だろうか。

でも、意地悪ではあっても、冗談であったらいいな。

「じゃ」

「……また明日」

何も不思議なことじゃない。

哲也だって幼馴染だし、一緒によく遊んだ仲だ。

あの事件が哲也の引き起こしたものであるとしても、あれから四年近く経っている。

俺は葉月を見ているばかりで関係の修復を怠っていたけれど、俺の知らないところで哲也は努力していたのかも知れない。

遅すぎるのだとしても、俺も努力をしよう。

……ポンポン。

肩を叩かれた。

それはいたわるように優しく、励ますように力強かった。

美澄の気遣いにはいつも慰められ──

「って、政太かよ!」

「ナイスゲーム」

「終わってねーよ! 健闘を称えるような笑顔浮かべてんじゃねーよ!」

しかもサムズアップなんかしやがって、その指へし折ってやろうか。

「意外と元気そうじゃん」

ショックではあるが、落ち込んではいない。

「元々、俺よりも哲也との方が距離感が近かったからな」

思い返せば四人で遊んでいた時も、二人でコソコソ話していたことが何度もあったような……。

「哲也って、えーっと、橋場だっけ? あいつが無遠慮なだけじゃねーの?」

「それもあるけど、アイツが四人の中ではリーダーみたいな位置付けだったからな」

「そう言えばさっき、三島さんは橋場のこと哲也って呼んでたな」

「ああ」

「お前は何て呼ばれてんの?」

「昔は──」

「今の話だ」

「……この四年ほど、名前を呼ばれた記憶が無い」

「ま、まあ、意識してる相手ほど名前が呼べなかったりするしな!」

名前を呼ばれないことに寂しさは感じるが、べつに慰めてもらうほどじゃない。


──和くん。

それは特別な響きだ。

美澄は俺のことを和真くんと呼び、哲也のことは哲くんと呼ぶ。

葉月は俺のことを和くんと呼び、哲也のことは呼び捨てだ。

いずれにしても過去の話で、葉月が哲也と呼ぶ以外は、どの呼び方も最近耳にしていない。

でも、俺の名前を呼ぶ時の、小首を傾げるようなその仕草は今でも鮮明に憶えている。

まるで、何かを問い掛けるような、まるで、子供をあやすような、そんな葉月の仕草が俺は好きだった。

ちょんちょん。

「ん? ああ、美澄、一緒に帰るか?」

ふるふる。

うっ、美澄にも断られてしまった。

ふるふる。

──そうじゃなくて。

何か伝えたいことでもあるみたいだ。

美澄は両手の親指と人差し指を合わせ、やや歪な葉っぱの形の輪を作り、それを広げて円形に近付ける。

葉と月を表すいつもの動作だ。

──葉月ちゃんが

今度は自分を指差してから、親指とそれ以外の指を合わせ、口のようにパクパクさせる。

──私に話すとき

美澄は俺を指差した。

──和真くんのことを

最後は、小首を傾げるような仕草。

美澄が、伝えようとしてくれてること──

「……かず……くん」

にこっ。

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