第6話 鬼の居ぬ間に

「言おうかどうか迷ったんだけどさぁ」

政太が話し掛けてきたとき、俺はだし巻き卵を味わっている最中だった。

何故か小さい頃から卵料理が好きでは無かったのだが、今は大好きになっている。

きっかけは小学校六年生の時、あの事件の起こる少し前のことだ。

いつもの四人で、入り江にある俺達の住む港町から、岬の先端まで弁当持参で探検することになった。

神社の石段を上り、境内の奥から延びる小道を辿たどり、途中、ちょっと迷いそうになって不安に駆られたりしながら、岬にある灯台に無事到着。

眼前に広がる大海原を眺めながら、四人で弁当を食べた。

その時、葉月が自分の弁当から、だし巻き卵を一切れ俺に分けてくれた。

しかも自分で作ったのだと言う。

俺には、だし巻き卵が金色に輝いて見えた。

そしてそれを口に含んだ瞬間、幸せに満たされたのだ。

俺は小さい頃から、葉月にベタ惚れだったんだな……。

俺の長い回想を、政太は辛抱強く待っていた。

「前置きはいいから言え」

随分と待たせておいて、我ながら随分な言いようではある。

「三島って、潔癖症なんだよな?」

「何を今さら」

「いや、昨日、帰り道でちょっと……」

昨日は駅で葉月と出会ったから、その前ということか。

それにしても歯切れが悪い。

「なんだよ、ハッキリ言え」

「芋虫? とにかくなんかの幼虫」

何を言ってるんだコイツは?

「昆虫とかって、潔癖症とは別問題か?」

「いや、アイツは虫は嫌いだ」

海辺にいるフナムシなんて大嫌いだし、そのくせ蚊の一匹も殺せない。

「でも、木の棒で──」

「ああ判った。最後まで言わんでいい」

「幼虫をメッタ刺しに──って、嘘、冗談だ! そんなに睨むなよ」

葉月を侮辱するような嘘は許さんぞ。

「そもそもアイツは、道端に落ちてる木の棒を触るのも嫌だ」

「潔癖症なら、そういうものか」

「芋虫が、人に踏まれそうなところを這ってたから、木の棒で茂みの方へ逃がしたとか、そんなんだろ?」

「見てたのか?」

「見てないけど、見たことはある。昔からだよ。芋虫に限らず」

幼馴染なんだ。

いや、ずっと見てきたんだ。

知らないことはほとんど無い。

「そうか……」

「で、何で言おうかどうか迷ったんだ?」

「いや、お前の葉月ちゃん大好き病が、更に悪化するとマズイかなぁと」

「もう末期だよ。ていうか葉月ちゃん言うな」

「そこは譲れないんだな」

政太が苦笑する。

でも、どこか好意的な苦笑だ。

「俺が子供の頃に怪我した時も、嫌そうな顔して傷口にハンカチを当ててくれた」

「嫌そうな顔なんだ?」

あの時の葉月の顔を思い出す。

今ほど潔癖症ではなかったが、血に関しては特に忌避きひする傾向が強かった。

それでも、ぐっとこらえるように、嫌そうに、でも、心配そうに、幼くても綺麗な顔を苦しげに歪ませていた。

「美澄だったらニコニコして手当てしてくれるんだけどな」

「そっちの方が良くね?」

「いや、嫌そうだから好きなんだよ」

「え? 嫌そうな顔されながらパンツ見せられたいとか、そういう性癖?」

一部の人間にそういう性癖があるのは知っているが、そんな冗談に乗る気にはなれない。

「アイツは、嫌でも助けてくれるから……」

「……重症だねぇ」

「薬をくれ」

「まあ、応援はするけどな」

「無謀と言われないだけありがたい」

幼馴染という関係こそあるけれど、客観的に見て俺と葉月が釣り合うとは思えない。

「で、いつから好きになったんだ?」

「たぶん、生まれた時から好きだ」

「……どういうところに惚れたんだ?」

「全部だ」

「……」

「なんだ、その目は」

「いや、重症だなぁと思って」

政太は呆れたように言ったが、その目はあわれみなんかじゃなくて、柔和に微笑んで見えた。


「日野君、ちょっといい?」

弁当を食べ終えるのを見計らったように、クラスの女子二人が俺の前に立つ。

ちっこい方が前原で、俺の前の席だから憶えている。

ぽっちゃりが……結城だったっけ?

正直、葉月以外の女子はほとんど目に入っていないので、こっちの名前はうろ覚えだ。

彼女たちの視線はチラチラと廊下の方に向けられるから、恐らく場所を変えたいのだろう。

ふっ、見たか葉月、俺にもモテ期が訪れたぞ! とでも言いたいところだが、葉月はいないし、そもそもが告白イベントなどでは無さそうだ。

どちらかといえば、今から言いにくいことを言うときの顔だ。

俺は席を立つ。

「廊下でいいか?」

二人はこくりとうなずく。

昼休みの廊下は、それなりに人が多いから、やはり告白などでは無いのだろう。

「えっと、そんなに緊張するほど言いにくいこと?」

廊下に出て窓際で二人と向き合ったものの、目を逸らされたりして話が始まらない。

よほど嫌なことを言われるのだろうか。

「えっと、日野君とはあまり話したこと無いから、ちょっとドキドキしちゃって……」

ちっこい方は人見知りが激しいようだ。

俺はぽっちゃりに目を向ける。

「清潔感ハンパ無いし、癒しオーラがヤバくて……」

……どうやら俺には、葉月のために費やした努力で清潔感という属性と、美澄の面倒をみてきたことでつちかわれた癒し属性が、いつの間にか備わっていたようだ。

「それで、あの、三島さんのことなんだけど……」

そういえば、ぽっちゃりの方は葉月の席に近かったな。

「葉月がどうかした?」

葉月だって、キャッ、などと言い合って、訳の判らないことで盛り上がる二人。

やっぱ日野君ヤバい、執事? 執事が似合うよね、などと言い合って、話が進まない。

葉月お嬢様、和真、なんて呼び合ったりして? ヤバい、それヤバい!

……いつまで続くんだろう?

ひざをついて手の甲にキスしちゃったりして? ヤバい、それハマる!

描く? それ描いちゃう? 決まりっしょ! 売れるっしょ!

「……あの」

「あ、ゴメン、何の話だっけ?」

知らねーよ!

「あ、そうだ、三島さんのことなんだけど」

「ああ」

「私、彼女と同じ班なんだけど、どうにもコミュニケーションが取り辛くて」

それはまあ判る。

しかもさっきまでの二人のノリを見てたら、葉月とは絶対に相容れないものを感じる。

ああ、でも、こんな風にはしゃぐ葉月も見てみたいなぁ。

「それで、担任の先生とも相談したんだけど、前原さんと三島さん、席を交換したらどうかってことになって」

何それ、嬉しい。

「先生は、日野君と三島さんとも相談しなさいって言ってたんだけど、日野君から三島さんに訊いてもらえないかな?」

「いや、訊くまでもなく決定でいい」

凄い、言い切っちゃったよ! もしかして意外と俺様!? ヤバい、それヤバい!

また始まった……。

葉月、俺の言うとおりにしろ、キタコレ! こっちで行く? 行っちゃう?

「とにかく、明日からそれでいいから」

付き合い切れないので、俺はそれだけ言って教室に戻る。

でも、葉月に嫌な顔されたらどうしよう……。

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