第2話 素直

「和真、頼んだぞ」

哲也は一組、どういうわけか残りの三人は揃って三組なので、階段を上りきったところで別れる。

哲也は歯を見せて笑い、日焼けした腕を上げて、毎朝同じセリフを言うのだ。

可愛らしいコミュ障と、壮絶美人な潔癖症の面倒を頼んでいるわけだ。

美澄は柔らかい笑顔でひらひらと手を振り、俺も表面上は笑顔で応える。

お前が元凶だろうが──

つい、そんなことを思わないでもない。

歪んで、傾いて、今にもひしゃげてしまいそうな、変な関係だ。

それでも四人の間柄を説明するならば、やっぱり幼馴染であるとしか言いようがない。

潮の香りの届く、小さな漁師町。

入り組んだ路地と、鬱蒼うっそうとした神社。

塗装のげた民宿の看板に、港に並ぶ漁船。

石段の先の小学校と、小さな公園のびた遊具。

いつか町を出ることがあっても、そこが故郷であることが変わらないように、四人が離ればなれになることがあっても、俺達が幼馴染であることは変わらない。

──どうしたの?

美澄が首をかしげて訊ねる。

俺は何も答えず、笑みだけを返して教室に入った。


窓際の一番後ろが美澄の席、その前が俺の席だ。

クラスメートの挨拶は、俺や美澄それぞれに、と言うよりは、二人に向けて掛けられる。

俺が美澄の世話係みたいな、通訳みたいな位置付けになっていて、中には俺らが付き合ってると勘違いしてるヤツもいる。

座席の位置は美澄に配慮したもので、入学後、わずか一ヵ月で席替えして今の状態になった。

海の見える、特等席だ。

「和真」

隣の席の政太が顔を寄せてきた。

さっきは無視されたので、仕返ししようかと考える。

「これ、待ち受けに良くね?」

が、ダメだ。

スマホの画面に表示されているのは、先程の海を振り返った葉月だった。

葉月が絡むと、俺は無視することなんて出来ない。

それに、何だかポスターにでも使えそうな、そんな写真だった。

「俺に送れ」

命令系で言わざるを得ない。

「えっと、削除削除っと」

「送ってください」

懇願こんがんせざるを得ない。

政太はニカッと笑う。

「とっくに送信済みだよ」

この春に都会から引っ越してきた政太とは、何故か馬が合った。

いや、何故かってことはないか。

判ってるんだ。

政太はどこか哲也と似ているってことを。

気さくなところも、面倒見がいいところも、その人懐っこい笑顔も。

かつて大の仲良しだった頃みたいに、話していて心地いいのだ。

自分のスマホを見る。

そこに葉月がいる。

画面の中の彼女は、誰も寄せ付けず、でも誰も拒絶しない。

表情は隠れてるから、寂しげにも見える。

──?

「うわっ、藤堂さん!」

美澄が、俺と政太の間に顔を突っ込んでくる。

──なに見てるの?

ニコッ。

「いい写真だなと思って政太に送ってもらったんだ。まあ盗撮なんだが」

「おいっ! 芸術だと言ってくれ!」

美澄が何もない空間に、パントマイムでもするように手を広げ、四角形を描く。

──映画のポスターみたい。

「お、藤堂さん、判ってくれる?」

コクコク。

「俺は美しい一瞬を切り取ったのだよ」

政太が得意げになる。

確かに、葉月は極端なほどに綺麗だ。

綺麗すぎて、一切の汚れを寄せ付けないから潔癖症になったんじゃないかと思えるくらいに。

でも本当は、葉月の潔癖症も哲也が絡んでいる。


もともと彼女は綺麗好きだった。

よく手を洗ったし、いつも綺麗なハンカチを持ち歩いていた。

真っ白なワンピースがよく似合って、漁師町の子供とは思えない雰囲気をたたえていた。

そんな葉月は、泥だらけになって遊ぶ俺達を、少し離れた場所から、いつも笑顔で見ているだけだった。

そう、それでも、あの頃はまだ頻繁ひんぱんに笑顔を見ることが出来たんだ。

一緒になって遊べない物足りなさはあっても、俺達が馬鹿なことをして、それを葉月が笑みを浮かべて見てるという関係が、俺達にとって心地いい状態になっていた。

でも、本当にくだらないバカみたいなことだけど、小学校六年生のときの悪ふざけが、彼女をただの潔癖症から極端な潔癖症にした。

哲也が、犬の糞を棒に刺して、葉月を追いかけ回したのだ。

クッソつまらない、ガキのたわむれ。

綺麗好きな、そして綺麗な女の子に対する男の子らしい嫌がらせなんて、後になればただの笑い話で済むはずだった。

ところが、哲也は加減を間違えたのか、それともつまずいてしまったのか、葉月の真っ白なブラウスに茶色い汚れを付けてしまった。

葉月が悲鳴を上げたことと、哲也の「しまった」という顔は憶えている。

でも、その後のことは、記憶なのか夢だったのか疑ってしまうことがある。

葉月はその場で着ていた服を脱ぎ捨てたのだ。

まだブラはしていなかった。

上半身裸になって泣きながら家へと帰る姿を、俺と哲也は呆然として、止めることも声を掛けることも出来ず見送った。

真っ白な服の下に隠されていた、華奢きゃしゃで、それでいて柔らかそうな、深く透明感のある白い肌と、控えめに存在を主張する膨らみかけた胸の美しさに、二人とも圧倒されたのかも知れない。

その記憶は、葉月の美しさを象徴するほど強烈なものだったが、同時にそれは、俺の胸を苦しくさせた。

悪ふざけをしたのは哲也だ。

でも何故か、俺は罪悪感に苛まれるのだ。


葉月の背中を見る。

教卓にいちばん近い席。

葉月は美しいまま高校生になり、潔癖症のまま、男子を寄せ付けない。

男子に向けられる辛辣しんらつな言葉とさげすむ視線は、彼女の美しさを守るよろいのようなものだ。

でも、このままでいいわけがない。

「やっぱ、実物の方が綺麗だよな」

政太が俺の視線に気付く。

べつに隠すつもりもないので、素直に頷く。

「いっそのこと触れてみたらどうだ?」

恐ろしいことを言う。

男子が葉月の机に触れただけで、除菌のウェットティッシュで拭く女だぞ?

「試しに俺が肩でも叩いてみようか?」

「葉月に触れることは許さん」

政太がニカッと笑う。

「素直だねぇ」

うるさい。

ちょんちょん。

背中をつつかれる。

振り返ると、美澄がニコッと笑う。

両手でハートマークを作って、それを放つように葉月に向かって手を伸ばす。

──素直だね。

うるさいよ。

でもまあ、なんであんな難しい女の子、好きになっちゃったんだろうなぁ……。


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