第3話 ヤンキー女

二時間目が始まる前に登校してきた馬鹿がいる。

美澄の隣、つまり俺の斜め後ろの席だ。

乱暴にイスを引き、ドカッと音を立てて座る。

「だりぃ」

朝からお疲れのようだ。

「遅いぞ、真那まな

「おせーよ、真那」

俺と政太が声を揃えて言う。

「うっせーよ」

真那の口調は女の子らしくない。

美澄が走るように手を動かして、可愛らしく真那を睨む。

──もっと急いで来なきゃダメ。

「うるさいよ」

苦笑しつつ言うと、真那の顔はあどけなくなる。

というか、美澄を前にすると、真那は毒気が抜かれるようだ。

俺の地元にヤンキーはいなかった。

歳の近い子はみんな遊んだことがあるし、ちょっと恐い上級生や、小生意気な下級生はいたけど、みんな見た目は普通だ。

入学初日に真那を見たとき、俺はビビった。

茶色い髪に短いスカート、口にくわえたロリポップキャンディ。

イスの背凭れに体重をかけ、足を投げ出すようにして座る、だらしのない姿。

ビビりつつも、珍しい生き物に出逢った思いで、俺は話し掛けた。

案の定ウザがられたが、意外と気さくな面もあって、今では普通に軽口を叩ける。

ただ、真那もある意味コミュ障だ。

他の生徒は関わらないようにしてるし、真那の方もすぐ凄んだりするから周りと打ち解けない。

だから、俺と美澄、政太、真那の四人が座る一画は、教室でもちょっと異質な空間になっている。

政太や真那が、美澄と会話が出来るようになってきているのは嬉しいが、真那がもう少し人当りを良くしてくれたらなぁ、とは思う。


二時間目は現国の授業だ。

真那がこの時間に登校してきたのは、一時間目の教師が気に入らないからだろうと想像がつく。

でも、担任でもある現国の教師のことは気に入っているようだ。

それは俺も同じで、たぶん、美澄もそうなんじゃないだろうか。

「それでは続きを、藤堂さん」

今や、他の教師が美澄に解答を求めることは無い。

だが、この二十代半ばと思える、ちょっと冷たい印象の女性教師は、躊躇ちゅうちょなく美澄を指名する。

「あ……で、……を…………が……す」

ささやくよりも小さい、吐息のような微かな声。

すぐ前にいる俺には、耳をくすぐるような可愛らしい声。

初めての現国の授業でも、美澄は教科書を読むことになった。

その時は数人の生徒から、不平のようなあざけりのような言葉も聞こえてきた。

「何アレ」

「声ちっさ」

「聞こえねー」

そんな言葉を発した生徒に対して、現国教師は、ひどく、いや、驚くほどと言うべきか、あからさまな侮蔑ぶべつの視線を向けたのだ。

それは教師としてどうなのか、という面はあるにしろ、俺は留飲を下げたし、心配げに見つめていた葉月も、微かに優しい笑みを浮かべた。

それに何より、以後、嘲りの言葉も視線も、美澄に向けられることは無かった。

「耳を澄まして、ずっと聞いていたくなるわね」

誰が読んでも、必ず何か褒めるような一言を付け加える先生だったが、今日の言葉は俺の感想と同じだった。

一所懸命で、ひたむきに教科書と格闘しているような姿と、アンバランスな可愛らしい声。

クラスメート達も、教科書の文字を目で追いながら、聞こえない声を集中して聞いていたのだ。

「では続き、日野君」

え、俺!?

振り返ると美澄が、どうぞー、と言うようににっこり笑った。

「すぐ近くで聞いてうっとりしてたので、教科書を見てませんでした」

くすくすと笑いが起こる。

「そういうことなら仕方ないわね。じゃあ──」

こういう融通が利くのが、この先生のいいところでもある。

だが──

イテッ!

シャーペンで美澄に背中を刺された。

後ろを向くと、美澄は顔を赤くして手をわさわさと動かしていた。

何が言いたいのか判らんぞ。

……せめて美澄が、昔のように俺達の前でだけでも普通に喋ってくれたら。

そして葉月も、昔のように普通に笑ってくれたら──

でもやっぱり葉月は、俺のつまらない冗談に振り返ったりはしなかった。


「真那の弁当って、いつも凝ってるよな」

昼休みは、自分の席で弁当を食べる。

わざわざ場所を移動する必要もなく、この四人で食べるのが日常になった。

「ああ?」

弁当を褒めたつもりなのに、なぜ凄まれるのだろう?

「真那の化粧って、いつも凝ってるよな」

「そ、そうかな」

いや、褒めてないんだが。

美澄が身を乗り出して、手を動かす。

──自分で作ってるの?

「え? あ、自分で作ってるのかってか?」

──こくこく。

「ま、まあ、いちおう……」

美澄にまた毒気を抜かれている。

──スゴイ!

「べ、べつに凄くねーし」

ヤンキーと可憐な乙女の間で揺れ動く真那を見ているのは楽しい。

料理好きな美澄が興奮して早口で──いや、手を素早く動かす。

「え? ちょ、和真、通訳しろよ」

「魚料理は作れるかって」

「ま、まあ簡単なヤツなら、って、動き早いし!」

さばけるかって」

「い、いや、捌くのはちょっと……美澄は捌けんの?」

ふんっ! と美澄は得意気に力こぶを作った。

まあ力こぶなんて無いんだけど。

「おお、スゲー! 今度刺身食わせろよ」

──こくこく。

うなずきながら眉間にしわを寄せ、きりりとした表情で刀を構えるような仕草をする。

お前は中二病か。

でも──

「お、藤堂さん可愛い!」

政太の一言がすべてだ。

これでいい。

美澄は少しずつ明るくなって、可愛らしさを増していく。

対照的に葉月は、近寄りがたいほど美しさを増していくけれど。


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