潔癖症とコミュ障と

杜社

第1話 毎朝のこと

ホームで美澄と電車を待っていると、葉月が現れて俺達の傍に立つ。

挨拶はしてこないので、俺から声を掛ける。

「今から挨拶するから無視しないでくれ」

「……」

「葉月、おはよう」

「……」

無視された。

美澄が慰めるように微笑む。

少し遅れて哲也もホームにやってくるが、アイツは挨拶しなくてもいいだろう。

同時に電車も到着する。

たった二両のワンマンカーだが、車内はガラ空きで、乗っているのは見覚えのある顔ばかりだ。

車両のいちばん後ろ、進行方向に向かって左側の四人掛けのボックスシートに座る。

そこが俺の定位置で、向かいには美澄が座る。

気まぐれな哲也は日によって座る場所を変えるが、美澄の視線の動きを見ていれば大体の場所は判る。

葉月は列車の最後部、車掌室に面した場所が定位置で、高校の最寄り駅までの四十分ほどを、そこに立って遣り過ごす。

進行方向に背を向けて座っている俺からは、美澄の向こうに葉月の姿が見えるわけだ。

俺は念のため、自分の隣の座席をポンポンと叩き、ここに座るよううながしてみる。

……無視された。

まあ、毎朝のことではある。


電車は各駅に停まりながら少しずつ乗客を増やしていき、やがて全ての座席が埋まる。

葉月が立っている理由がそれだ。

彼女は極度の潔癖症で、座席や吊革に触れるのは勿論のこと、何より他人と触れることを酷く嫌う。

女同士ならまだしも、触れた相手が男だった場合、露骨に嫌悪感を示す。

葉月と目が合った。

まるで俺と触れてしまったかのように顔をしかめて目を逸らす。

まあこれも毎朝のことではあるが、俺は毎朝のように傷付いているのだ。

美澄が両手の拳をグッと握って前のめりになる。

──どんまいっ!

美澄は優しいなぁ。


進行方向に向かって左側に座っているのは、窓から海が見えるからだ。

そもそも海辺の小さな町に住んでいるのだから、今さら海が見えたところでどうということも無いのだが、時に気を紛らしたり、時に退屈しのぎのために目を向ける。

そしてごくまれに、海ってこんなに綺麗だったんだ、などと思ったりするのだ。

ちょんちょん。

美澄が俺のひざをつついた。

日本史の教科書を鞄から出し、ペンを持つような仕草をする。

──日本史の宿題、やってきた?

「ああ、相当キツかったけどな」

美澄はこくこくと頷き、眠そうな顔を作る。

──うん、お蔭で睡眠不足。

「あの先生、容赦無いからなぁ」

美澄は苦笑いしてから、両手を合わせて頬に添えると、首を傾げて目を閉じてみせる。

──そうだね。でも、寝なくていいの?

「いいよ。中途半端に寝ると、余計ツライし」

電車はトンネルに入った。

うるさくて会話は困難になるほどだが、美澄は饒舌じょうぜつだった。

身振り手振りで物事を表し、表情を使って感情を伝える。

美澄は、極度のコミュ障だ。

いや、厳密に言えば、それはコミュ障とは言えないかも知れない。

ただ、声を出して話すことを極端に恐れるから、結果的に人との関りを持つことが難しくなっている。

自分の声に対する強いコンプレックス。

いわゆるアニメ声のような美澄のそれは、人によっては可愛いと受け止められるものであったけれど、中学の頃に随分とからかわれ、女子からは可愛い子ぶってるといじめに近いこともされた。

いつしか美澄は、あまり声を出して話さなくなってしまったが、決定打となったのは、離れた席に座っている哲也が逆療法と称してやったことだろう。

中学の文化祭の時に、全校生徒の前で嫌がる美澄を強引に歌わせた。

みんなが笑ったのは、決してあざける意味では無かったと思う。

可愛らしい美澄が不思議な声で歌う姿は、どこかコミカルというか、それこそアニメチックで、何となく笑いを誘ったのだ。

それ以降、美澄の声を聞くことは激減した。

だから、彼女と会話が成り立つのは幼馴染である俺達だけだ。

皮肉なことに、そこに元凶である哲也が含まれているけれど。

そして更に皮肉なことに、美澄は哲也のことが好きみたいだ。


駅から高校までは坂道を上る。

「藤堂さんおっはよー」

同じクラスの政太が美澄に挨拶して坂道を駆け上がっていく。

隣を歩く俺は無視か。

俺は朝から何度、無視されれば気が済むのか。

それはともかく、美澄も声は出さないものの、挨拶には笑顔を返す。

幸いなことに、高校では美澄をからかうようなヤツは殆どいなかった。

地元の同級生達は、大半が電車で二十分ほどのところにある反対方向の高校に通っているし、何より美澄は、幼馴染の贔屓ひいき目があるにしても可愛らしいのだ。

多少、腫れ物に触るかのような距離感はあっても、さっきの政太のように気軽に声を掛けてくれるヤツもいる。

寧ろ問題なのは──

俺は後ろを振り返って葉月を見た。

さっきのように目を逸らさず、強い視線で睨み返してきた。

幼馴染なんて関係は何も特別なものではなく、男子に対する態度は拒否や拒絶といったものになっている。

あるいは、葉月の方がコミュ障と言うべきかも知れない。

そんな葉月に何か言ってやりたくなるのだが、結局、何も言えずに前を向いて歩く。

校門をくぐる頃には少し汗ばむくらいになっていた。

そろそろ夏服に切り替わる頃だ。

俺はもう一度振り返った。

高台にある高校からは海が見渡せる。

また睨みかけた葉月が、俺の視線を追って同じように海に顔を向けた。

海を背景にして立ち止まった彼女は、ひどく孤高に見えて美しかった。

ちくりと胸が痛む。

俺の好きな女の子は、俺を拒絶する潔癖症だ。


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