第8話 統一の父・コールは16年
ヘルムート・コール(1930年-2017年)CDU
戦後最長記録の16年にわたって連邦首相を務めた(在任1982年-98年)。冷戦終結、東西に分裂していたドイツの再統一を成し遂げた首相として評価されている。
生い立ちと経歴
バイエルンの財務官吏の3番目の子としてカトリック教徒の家庭に生まれた。兄の一人は第二次世界大戦で戦死するが、コール自身は戦争末期にドイツ空軍の補助員として徴集されたものの戦闘には参加しなかった。
早くもギムナジウム在校中の1946年にCDUに入党。1950年から、フランクフルト大学およびハイデルベルク大学で法学・歴史学・政治学を学ぶ。28歳で卒業したが卒業論文の題目は「敗戦で崩壊したドイツ政党の回復」、その要点は、西ドイツ政治は連邦制を採用したため、地方政治の位置が高くなっており、(政党の)復活も比較的容易だった。それが西ドイツの政治を早く安定させる要因になった、というものであった。キージンガー、コール、シュレッダーも地方政治家として出発し、そのあと中央に進出している。
1969年5月ラインラント・プファルツ州首相に就任し、CDU副党首となる。州首相として郡の再編成とトリーア大学・カイザースラウテルン技術大学の創建にかかわった。彼の地元での有力支持勢力は化学工業界を中心とする産業界であった。コールは政治活動資金に困らなかった政治家であった。
1971年、キージンガーの後継党首選挙に挑むが、ライナー・バルツェルに敗れた。バルツェルがブラントに対する建設的不信任案決議に敗北して威信を下げた話は既にした。コールが代わって党首に就任し、1976年、初めてドイツ連邦議会選挙に首相候補として挑み、得票率48.6%の好成績を収めて第一党となるが、SPDとFDPの連立政権からの政権奪取はならなかった。1980年の連邦議会選挙では、経験に勝る姉妹政党キリスト教社会同盟(CSU)のフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス党首に首相候補の座を譲る忍従を強いられたが、この選挙でもCDU・CSUは勝てなかった。
シュトラウスを巡ってはこのような話がある。
アデナウワーが国防問題を巡って激しい論戦を演じた。演壇でアデナウワーが突然気絶して倒れたのである。演壇に向かって駈け寄って、頬を数発ひっぱたいた議員があった。それがシュトラウスであった。アデナウワーは1年半のあとシュトラウスを無任所大臣に任命して「なんでもいいから国のため役立つ問題と取り組むように」と注文をつけた。38歳のシュトラウスは「原子力」を取り上げた。「原子力の平和利用」が世界最大の関心ごとになりつつある時点であった。アデナウワーは彼を愛し信頼するようになった。それから10年後彼が起こした事件が〈シュピーゲル〉事件である。国防大臣であったシュトラウスは辞任。これがなかったらエアハルト退陣の後は彼に順番が回ってきていただろうと云われている。しかしくじけずキージンガー政権では財務大臣を務めている。「一度は首相」の夢もSPD主導の政権が13年10か月も続いた。76年の選挙でコールが敗れると、80年の選挙では党首コールではなく自分を自薦した。シュトラウスはCDUの姉妹政党CSU(キリスト教社会同盟)の党首でありバイエルン州を握っていた。彼の協力がない以上コールは出ても勝ち目はなかったのである。シュトラウスの執念、コールの辛抱であった。しかし、選挙の1年前に西ドイツ人150人を乗せたチャーター機がRAF(赤軍派)に乗取られる事件をシュミット首相はドイツ国境警備隊を使ってテロリストを捕獲、150人を無事解放した。〈救国の英雄〉となってしまったシュミットと選挙戦を戦うはめになったシュトラウスは不運、辛抱したコールは幸運だったといえる。2回連続で負けた首相候補には3回目はないというのが不文律であった。
1982年9月、財政再建・新自由主義を取るか社会保障・社会民主主義を取るかで与党のSPDとFDPが決裂。コールはすかさずFDPと連立協議し、10月1日にヘルムート・シュミット首相に対する建設的不信任決議案を提出。この案にFDPが同調してシュミットの罷免とコールの第6代連邦首相就任が決まった。建設的不信任決議案が提出されたのは2度目だが(既述)、可決したのは今のところこれが唯一の例である。副首相兼外相にはシュミット政権時代同様、連立与党FDPのハンス・ゲンシャーがおさまった。しかしこのようなやり方で政権を奪取したうえ、長らく地方政界にあり、前任者のブラントやシュミットと比較して国際政治に通暁していないとしてコールの手腕を不安視する向きもあった。このためコールは政権発足後の1982年12月に内閣信任決議案を提出、これを与党議員の欠席で意図的に否決させることで、大統領の議会解散令を引き出した。総選挙は1983年3月に実施され、連立与党が勝利を収め、ようやく政権は安定した。
隣国フランスとの同盟強化にも努め、1984年にはフランス大統領ミッテランと共に第一次世界大戦の激戦地ヴェルダンを訪問し、二人で手を繋いで戦死者を鎮魂し両国の友好を誓った。この姿は独仏関係の新時代を象徴するものとして有名であり、マーストリヒト条約締結や欧州共同通貨ユーロ導入での「独仏枢軸」と呼ばれる緊密な協力関係へと繋がっていく。
内政では、FDPとの連立ということもあり、当時の先進国首脳だったマーガレット・サッチャーやロナルド・レーガンに近い政策であるといわれている。ただしイギリスやアメリカに比べドイツでは伝統的に社会民主主義が強いので、それへの配慮も怠りなかった。1987年の連邦議会選挙にも勝利して、コール政権は3期目に入る
ドイツ再統一
コールの最大の政治的業績は、一連の東欧革命の中、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊によって始まったドイツの再統一である。ヨーロッパでは、二度の世界大戦の経験から、中欧に統一されたドイツの誕生を警戒する声もあった。また、西ドイツ国内を中心に経済的に格差のある東ドイツを吸収することに対する負担の大きさを危惧する意見も多かった。しかし、コールはドイツ統一の好機を逃すことの不利を説き、一気に統一を推進した。コールはヨーロッパ統合推進派として、統一ドイツをヨーロッパ連合及び、NATOの枠内に位置づけすることで、旧連合国の米英仏ソといった各国首脳の合意を得ることに成功した。1990年10月3日、歓喜の中ドイツは再統一された。
ドイツ統一の立役者として、コールの政治的威信は頂点に達した。統一後初めて行われた1990年の連邦議会選挙にも勝利し、コール政権は4期目を迎えた。しかし国民の興奮が冷めると、統一前のコールの説明と異なり、統一の困難な現実が明らかとなる。とりわけ、コールのドイツ統一過程における経済運営は、いくつかの問題が指摘された
東西間の経済格差の懸念は想定されていた。東側の優等生とされた東独の経済環境は想像以上に悪いものであった。東独地区への公的資金は財政赤字を招き、従来の西側経済を長く圧迫することになった。完全統一の政治的配慮が優先された結果、実勢では1:4ぐらいが妥当とみられていたが交換比率が1:1となった。東独地域だけでみるとこれは生産コストの大幅上昇を意味し、製品は市場での競争力を失った。輸出は減少し賃金アップは輸入の増大になった。また、国営企業の民営化の過程で大量の失業者を出した。西側で吸収すればと云うことになるが、冷戦の終了によってグローバル化が始まり、西ドイツ企業は旧東独ではなく、さらに生産コストが安い開けた東ヨーロッパに投資をしたり、現地生産に進出したのである。東側のウエイトが高いとはいえ、10%を超える高い失業率は社会問題であった。東側のコストは10年にわたってドイツ経済に負担を負わせ、CDUに所属するコールだが、硬直化した労働市場と膨張した社会福祉国家を改革する機会を逃した。長年の懸案だったこの問題に取り組んだのは、その後政権についたSPDのシュレーダーだった。
1994年の連邦議会選挙に辛勝して5期目を迎え、1996年には初代連邦首相アデナウアーの在任14年を抜いた。この間、ボスニア紛争でドイツ連邦軍にとって初の域外における戦闘行動への関与を行った。この様な国外派兵と武力行使についてはドイツ国内で激しい論争の対象となるも後に連邦憲法裁判所の合憲判決まで至り、その後もドイツ軍を積極的に派兵した。しかし、コール政権に対する国民の飽きは覆うべくもなく、地方議会選挙でSPDに負け続けて連邦参議院では与野党の勢力が逆転した。党内からの突き上げにもかかわらず、コールは首相と党首の座にしがみ付き続け、少なくとも2002年までは党首を続けると宣言して周囲を呆れさせた。その結果1998年の連邦議会選挙に大敗して退陣を余儀なくされた。
首相退任直後、敗北の責任を取って四半世紀にわたって務めたCDU党首も辞任した。しかし追い打ちをかけるように、1999年にはコール自身が受け取り署名した200万ドイツマルクの政治献金の出所が不明瞭であることが発覚。CDUがコールの指示の下、不法な政治資金を調達し証拠を隠滅した疑惑が発覚し、ドイツ統一の功労者としての立場も一転して地に墜ちた。
CDUの党首を引き継いだメルケルは「彼は、ドイツ統一とヨーロッパ統合というドイツにとって、過去数十年最も重要だった2つの課題に懸命に取り組んだ」「私の人生にも決定的な影響を与えた」と述べ、その業績をたたえ感謝の気持ちを示した。そのようなメルケルではあったが、不正献金疑惑を厳しく追及した。
その後コールはメルケルとは不仲になり、メルケルが中東などからの難民に国境を開放したことを受け、2016年に出版した著書で「欧州は、世界中で困難に直面する数百万人の新たな故郷とはなり得ない」と批判した。
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