新しい生活の始まりです!②
ブブブッブブブッと不規則な床の震動で美咲の意識は覚醒する。
「ほぁっ?」
気持ちよく眠っていたのに邪魔するのは何者だと憤りながら、目を瞑ったまま美咲は音の発生源であるスマートフォンを手に取った。
ぼーっとした視界でタッチ操作。
師匠 < おー着いたか
師匠 < 日本酒送ってー
師匠 < よろしくー
「師匠……」
LIMEに入っていたコメントを読んだ美咲の目は眠たげなものから残念なものみる目に変わる。
師匠からの内容に既読を付けているうちに意識は完全に覚醒した。
弟子のことを気遣う前に日本酒送ってというのはいかがなものだろう。
美咲は気遣いの足りない師匠に対して頬を膨らませながらコメントを打つ。
美咲 < 師匠は禁酒中です!
美咲 < (バッテンのキャラスタンプ)
「うっ……寒い」
ブルッと一度身体を震わせる。
美咲が疲れに身を任せて横になった時は窓から漏れる程よい春の陽気で心地よい温かさであったが、眠っている間にだいぶ日が傾き、室内の温度も下がっていた。
寒さに少し身体を丸めたタイミングで手に持っていたスマートフォンが再び振動する。
師匠 < ああっ、そうだ
師匠 < 早目に地脈との契約はやっといた方がいいぞー
禁酒という単語は華麗にスルーされた内容が返ってきた。
魔法使いの師匠からの言葉を美咲は物憂げに眺める。
視線をスマホの左上にやり、現在の時刻を確認する。
17時前。
窓の外は茜色から薄暗くなりつつあった。
美咲は頭の中では早目にという言葉の意味を考える。
師匠基準でいうのであれば "早目"とは気分が乗ったらやるくらいの意味。
現在の美咲としては目を覚ましたとはいえ、未だ身体の疲れは残っており、もう一度瞼を閉じて眠りの世界に旅立ちたい気持ちが八割。
残り二割は後回しにしてもどうせいつかやる事になるのであれば、予定もない今やるべきという至極当然の考え。
ただ、このまま床で寝るにはいささか寒く、せめてキャリーケースの中にいれたタオルケットを取り出さないとならないだろう。
むくりと身体を起こす。
「仕方がない……」
太陽が完全に沈む前に師匠の言葉に従って行動することにした。
上着を着たまま横になっていたため、服には皺がついてしまっていることに気付く。
アイロンが手元にない為、美咲は一度脱ぎ、手をあてて軽く皺を伸ばす。
続いて身嗜みを洗面所に備えられている鏡で確認する。
「……これは手強そうだ」
横着して床で寝た代償としてフローリングの境目である縦線がほっぺに赤くスタンプされ、肩まで伸ばした髪も片側にペシャンと情けない寝ぐせを付けているのであった。
髪を梳かし、寝ぐせを整えるのに相当時間がかかり、ポーチバッグとラクロスバッグを肩に掛けて部屋を出た時は外の街灯が点灯していた。
魔法使いとしての力を行使するには地脈との契約が不可欠だ。
つまり美咲は御園市に来たばかりで、地脈との契約を終えていない状態のため、現在は魔法をほぼほぼ使うことができない。
魔法学園で3年間過ごし卒業した者には魔法使い "見習い"の称号が与えられ、幾つかの制限の下、世界各地に存在する地脈との契約が許される。
ただし魔法学園が存在するアトランティス大陸では魔法使い見習の資格がなくとも地脈との契約が許されている。
これはアトランティス大陸における魔法という存在が日常的な光景であるためだ。
魔法学園の3年間というものは魔法を専門的に学ぶというよりは、魔法使いとしての義務教育期間。
その中で魔法使いとしてアトランティス大陸以外の場所でも生活するための知識を学ぶ。
こうして知識を得て、初めて魔法が日常的ではない場所で魔法の使用が許可されるのだ。
さて、では"見習い"から魔法使いになるにはどうすればよいか。
これには2つのルートがある。
1つは魔法学園の3年間を終えた後3年間、つまり6年生まで進級して卒業することだ。
もう1つはアトランティス大陸以外の場所で3年間与えられる課題をこなしながらその社会に溶け込み生活すること。
美咲は師匠が後者の進路を選択したと聞いていたので、師匠と同じ後者を選択した。
日本を選んだのは美咲の顔が黒髪であり彫りの浅い、平坦な顔、つまり両親が日本人であったようで、同じ人種が生活している社会のほうが紛れ込みやすいといのが大きな理由だ。
それ以外にも美咲が日本のアニメ・漫画が好きで行きたかったというのも大きな理由の一つではあるが。
話を戻そう。
美咲が魔法使いとして御園市で活動するにはこの地に根付く地脈との契約が不可欠。
地に根付くと表現したことからもわかるように、地脈は根っこのようなものであり、源流となる場所から細い管を伸ばすように広がっている。
契約するには地脈の根元を探す必要があるのだ。
美咲は家を出る前にスマートフォンに「御園市 地脈 根元」と検索したが、当たり前のように検索結果は全く関係ないものしか出てこなかった。
地道に探すしかない。
といっても地脈から溢れる魔力は感じられたので、より魔力が強い場所へ歩いて行けばいいだけなので魔法使いにとってはとても簡単なことだ。
家を出て10分ほどのところで美咲は一度歩みを止めた。
地脈の根元に辿り付いたわけではない。
美咲の視線の先には「御園大学附属高校」と書かれた校門があった。
4月から通うことになる高校だ。
美咲には好きな言葉がある。
「ついでに」だ。
地脈の根元の気配が4月から通うことになる高校の方角であることに気付いた美咲はついでに、高校までの通学路の確認をすることにしたのだ。
朝がそんなに強くない美咲にとって、住居選びの際、特に重要視したのが通学に時間がかからないことであった。
10分弱の通学時間は非常に満足のいく時間だ。
校門から出てくる生徒の邪魔にならないよう、少し脇に寄り、3年間お世話になる校舎をじーっと見つめる。
部活帰りの生徒が時折、校門から出てきて、生徒でない美咲が校門の前で立ち止まっているのを訝し気にチラリと見るが、すぐに興味を失ったように帰路へついていく。
校門から見える御園大学附属高校の校舎は何か凝ったデザインがされたものではないが、美咲にとっては見慣れぬ飾り気のない無骨な校舎で始まる学校生活を想像して、ちょっぴりテンションが上がるのであった。
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