新しい生活の始まりです!①

 魔法学園のあるアトランティス大陸からロンドンを経由して日本までおよそ20時間。

 そこからリムジンバスに乗り30分で最寄り駅へ。

 さらに各駅停車の電車に揺られること30分でようやく目的地の御園市へと到着した。

 三月も終わり。

 電車から降りた外の空気は、春の陽気を感じるとはいえ、まだ肌寒い。


「つーかーれーたー!」


 種田たねだ美咲みさきはキャリーケースの取っ手部に体重を預けながら独り言をこぼす。

 独り言というにはやや声量が大きいが声に出さずにはいなられなかったのだ。

 その声に何人かがギョッとした表情で美咲を見ていることに気付き、本人は今更ながら少し羞恥で頬を赤く染める。

 足早にその場を離れことにした。

 駅の改札を出てすぐのところに御園市の簡易マップが設置されていた。


「あっちが南か」


 美咲は全体を見て、駅のどの出口へ向かうかを判断した。

 ついでにスマホのメール受信箱に入っている下宿先の住所を確認。

 駅周辺にはスマホで気になる喫茶店などをいくつかブックマークしていたのだが。


「街の散策はまた後日で、うん」


 迷いなく今日の散策を諦めた。

 飛行機の中では新生活に胸を膨らませて、思ったようには寝れず。

 かと思えば、バス・電車の移動時は睡魔に襲われながらも、初めての土地、寝過ごしてしまうわけにはいかないので必死に起きていた。

 目的との御園市に着いて一安心すると、どっと疲れを感じたのが現在。

 この疲れは決して年のせいではない。

 何せ、美咲は15歳、今年から花の女子高生なのだから。

 地球を半周して移動してきたのだから疲れるのは当然で、楽しみにしていた街の散策よりも今は早く新生活を始める部屋に荷物を置いて、横になりたいという思考が脳の大半を占めていたのは仕方がないことと言えよう。

 美咲は駅の南口に向かう。

 思い返してみると三月は大変忙しかった。

 卒業試験が終わったー、さぁ、新生活の準備だと思っていたら、師匠から運悪くクジで卒業式の代表スピーチに選ばれたことを聞かされ、自身の運の悪さを呪いながら涙目になりつつ原稿を考えスピーチ練習。

 卒業式が終わったら終わったでお世話になった人達に挨拶していたらあっという間に日が過ぎていた。

 引っ越しの準備に取り掛かれたのはようやく一昨日。

 ありえない、と師匠に文句を言いながら最低限の衣服をキャリーケースに詰込み。

 キャリーケースと魔法使いとしての大事な仕事道具である杖をラクロスバッグに入れたものを背中に背負い6年間お世話になった師匠の家を出たのが昨日。

 家を出る時はきっと泣くだろうと覚悟していたのだが、あまりの慌ただしさに涙を流す暇なんてなかった。

 今思い返すと、しみじみとした別れを嫌った師匠がわざと美咲の予定を詰め込んだのかもしれない。

 そんなことを考えている、じんっと鼻の奥が熱くなり、今更ながらじんわりと目に涙が溜まってきそうになったので、頭を振り、思考するのをやめる。

 スマホを操作して、駅から下宿先までのルート検索。

 徒歩での所要時間20分との結果。

 カラカラとキャリーケースを引きながら移動を開始した。



 道中、桜の並木道をスマホで撮影したり、少し寄り道をしたが下宿先には検索結果通り20分ほどで到着した。

 2階建てで女性の一人住まいも安心の入口ドアロック付き。


「えーと確か大家さんが……」


 下宿する建物のすぐ隣が大家さんの住居で、越して来たらそこを訪ねるようにメールに記載されていた。

 大家さんの玄関のチャイムを鳴らすと、中から「はーい」と返事が聞こえ、待つこと暫く、若い女性が出て来た。

 まだ20代に見える。

 厳ついお爺さんの姿を想像していたので少し驚く。


「あの、今日越してきました種田美咲と申します」


 美咲はペコリとお辞儀しながら挨拶をする。


「貴方が美咲ちゃんね。私が大家の上条かみじょう玲奈れいなです。ちょっと待っててね」


 玲奈は再度家に戻り、すぐに戻ってきた。


「鍵の受け取りのサインをお願いしていいかしら?」

「あ、はい」


 美咲は玲奈からペンと鍵の受け取り確認の紙が置かれたバインダーを受け取り、「種田 美咲」とサインする。

 魔法学園では漢字を使う機会がなかったので少し新鮮な気持ちだ。


「書き終わりました」

「はい、ありがとう。これが部屋の鍵よ。無くさないように。もし万が一無くしたらすぐに私まで連絡してね」


 その後幾つかの注意事項の説明。


「何か質問とかはあります?」

「大丈夫です」


 美咲の返事に玲奈は朗らかな笑みを浮かべながら頷く。


「何か困ったら相談してね。一応ここの大家だけど、住んでる時はただのお隣さんだから。これからよろしくね」

「はい、よろしくお願いします!」


 何だか面倒見の良いお姉さん、といった印象を抱き、美咲は玲奈と別れ自室へと向かった。

 部屋は二階の角部屋。

 鍵を差し込み、中に入る。

 そのまま廊下をまっすぐ、居間へと突撃。

 電気だけは点けて、キャリケース、肩に掛けたポーチバッグとラクロスバッグを壁際に置くと、何もない床に転がる。


「疲れた……」


 パタン、キュっと美咲は寝転がる。

 床のひんやりとした感触が頬から伝わってきた。

 スマホを取り出す。

 現在の時刻は午後14時。

 そういえばまだお昼ご飯も食べていないことに気付くが、食欲よりも今は睡眠欲が勝っていた。

 

「あ、そうだ」


 意識を手放す前に、スマホで通話アプリLIMEを起動。

 トークから「師匠」の名前を選択して文字を打ち込む。


美咲 < 下宿先に着きました! 


美咲 < (疲れた~!のキャラスタンプ)


 数秒ほど既読がつくか待ったが、師匠がいるアトランティスと日本の時差は11時間。

 あっちは午前3時の真夜中だ。

 さすがに起きていないかと諦め、スマホから手を放すと、ゆっくりと瞼を閉じる。

 美咲はすぐに襲い掛かってきた睡魔に身を委ねた。

 

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