第5話 本物の美《奥寺文実》

 人間の凄い所は、「虚構」を「現実」として描ける所です。どんなに突飛な、荒唐無稽な世界であっても、それに形を与え、設定を加えて、現実よりも面白い、夢溢れる世界を創り出してしまう。神様が世界を創ったのと同じように。人間には、「モノ」を創作する力が備わっています。他の動物では、決して創れない。

 

 わたしは、その創作物が好きでした。子どもの頃からずっと……テレビの画面に映る変身ヒロインや、マンガ絵本の中に出てくる可愛らしいキャラクター達を愛していたのです。それがたとえ、「本物」ではない、「誰かが創り出した物」であっても。わたしには、それが「本物」よりも本物らしく見えました。

 

 現実の人達は、心の中に嘘を創れますから。100%の本物では、ないのです。90%の本音に、10%の作り話を混ぜられる。100%の作り話である(中には、「現実」に基づいた話もありますが)創作物には、その作り話を混ぜられません。嘘の世界に更なる嘘は、混ぜられない。すべてが嘘でできた世界は、ある意味で本物よりも本物なのです。キャラクター同士の駆け引きも……蓋を開ければ、本音の晒し合いでしかありません。

 

 架空の存在は、「本音」を基に生きているのです。

 

 わたしは、その生き方に惹かれました。どんな時も、一生懸命に生きている彼らに。だからわたしも、「そう言う人間」になりたいと思った。画面の向こうで、キラキラと輝く……。幼稚園の年中に上がった頃には、自分の親に頼んで、当時流行っていた変身ヒロインの玩具(主人公のコスチュームやステッキなどのアイテムですね)を買って貰いました。

 

 わたしは「それら」の玩具を身に纏い、アニメの主人公を真似て、何体もの敵(あくまで、わたしの想像ですが)を倒して行きました。何の躊躇いもなく、想像上の敵を倒して行ったのです。敵が後ろから攻めてきた時は、クルリと回って、相手の身体に魔法を撃ち込む。

 

 当時流行っていた変身ヒロインは、女の子向けのキャラクターデザインに男の子向けのアクションを加えた斬新なアニメでした。日常の場面では(主に女の子が)キュンキュンする恋愛描写が多いのに、戦闘の場面では少年漫画もビックリな戦闘シーンを見せる。

 

 主人公の流血シーンが流れた時は……流石に「マズイ」と思ったのでしょう。子どもの躾に敏感な親達が、アニメの放送局にクレームを入れました。「子どもが観る番組に、あの描写はマズイ」、「製作会社は、もっと考えて欲しい」と。真っ赤な顔で、プンプンと怒りはじめたのです。

 

 わたしの親も(何かしら感じるようになったのか)、そう言うシーンが流れた時は、テレビのチャンネルをそれとなく変えるようになりましたが、「それ」に納得できないわたしは、すぐさまテレビのリモコンを奪い返して、画面のチャンネルをまた戻しました。

 

 物事の真理から目を逸らしてはならない。

 

 敵と戦うのは、決して遊びではありません。自分の命を賭けた命懸けの行為です。敵の攻撃を受ければ当然、怪我を負います。アニメを作った製作会社の社長(とても綺麗な女性でした)は、視聴者からのクレームにこう答えていました。

 「相手を傷つけるとは、どう言う事なのか? 今のアニメは……特にクレーマー達が好むようなアニメは、不快な物を一切廃した世界、無菌室の中で遊んでいるようなアニメばかりです。それでは、子どもの心は育たない。『清』と『濁』を分からせた上で、『清』の心を育てなければ、心の欠けた人間に育ってしまう」と。

 

 わたしは、その言葉に感動しました。言葉の意味を知ったのは、ずっと後になってからですけど。感覚が変に発達していたわたしには、「意味が分からない」のに「意味が分かる言葉」でした。親から何も教えられなくても、「それ」が何となく「リンゴ」と分かるように。心の奥に蒔かれた種は、その時には気づかなくても、人間が様々な経験を重ねる事で、その芽をゆっくりと芽吹かせるのです。子どもの頃には、分からなかった世界を。

 

 わたしの世界は、幼稚園の卒園と共に終わり、小学校の入学と共に変わりました。小さい頃は胸躍らせた変身ヒロインの衣装が、今では何の感動も覚えないほどに。わたしの中にあった幼い部分は、僅かに、でも確実に、少女への階段を昇ってしまったのです。自分では、まったく意識していなくても……「一生大事にしよう」と思っていた変身ヒロインの衣装は、押し入れのずっと奥に押し込めてしまいました。

 

 わたしは、幼女アニメを卒業しました。アニメ自体が嫌いになったからではなく、「それ」を観るのが「何となく幼稚だ」と思ったからです。現実の女の子は、どう頑張ってもヒロインにはなれない。「魔法」で可愛い女の子になれるのは、誰かが描いた架空の女の子だけです。架空の女の子は、何処まで行っても架空の女の子。わたし達が「可愛い」と思っている彼女は、人工的に造られた紛い物でしかないのです。

 

 わたしは「それ」に絶望し、現実と虚構との間に然るべき線を引きました。「わたしは、現実の中で生きて行こう」と、「現実の中で、精一杯頑張ろう」と。小学校の五年生になった頃には、周りの意見に合わせる……つまりは、「空気を読む術」を学びました。周りで流行っている物には(興味がなくても)できるだけ飛びつき、その話題になった時には、知りうる知識を総動員して、機械人形のように「わたしも、観たよ。凄く面白いよね?」とうなずきました。

 

 周りの子達は、その答えに満足しました。「わたしが周りとは違う、つまりは『異常者』ではない事」に。彼女達は、異常者を嫌っていました。周りの子(正確には、その中心人物)が「これ、メッチャ可愛いよね?」と言っているのに……「それ」に合わせられないのは、社交性の無い、もっと言えば、「自分勝手な人だ」と思っていたからです。

 

 自分勝手な人は、嫌い。

 自分勝手なのは、許されない事。

 

 個人を尊重する意識が未発達だった彼女達には、「同調」が文字通りの正義であり、また「共感」が言葉通りの法律でした。法律を破る者には、厳しい罰が待っている。先生や大人達が話す道徳は、単なる言葉の羅列、大人が勝手に決めたどうでも良い決まりでした。

 どうでも良い決まりには、どうでも良い態度で臨めば良い。実際、先生の「静かにしなさい」に従っていたのは、根が真面目な子か、大人の言う事に盲目的な子だけでした。

 

 わたしは周りの空気を読み、周りがうるさい時には笑い、静かな時には黙っていました。それで大概の事は、上手く行っていた。小学校を卒業した時も、そして、中学校に入学した時も。スカートの丈を短くしたのは、「先輩」の圧力が少しだけ緩んだ、中学二年生の時でした。

 

 わたしは、「中学」と言う世界に緊張しました。中学には、部活はもちろん、「先輩」と言う存在があります。小学校の時には、あまり意識しなかった……「目上」と言う存在。学校の廊下で男子生徒(たぶん、二年生でしょう)が、野球部の先輩に「こんにちは!」と挨拶するのを見た時は、思わず震えてしまいました。

 

 わたしも、あんな風にしなきゃいけないのかな?

 

 心が暗くなります。

 

 できれば、あんな事はしたくない。

 

 わたしは「運動部」には一切目をやらず、「文化部」のできるだけ静かそうな部活を選びました。「静かそうな部活なら、たぶん大丈夫だろう」と。ブラスバンド部などは、「文化部の皮を被った運動部」とか言われていたので、友達の誘いも早々に断りました。

 

 わたしは、学校の美術部に入りました。美術部の中は静かで、部員達も必要最低限の事しか話しません。正に理想的な環境です。部活の先輩も親切で、緊張しまくりのわたしに「大丈夫、緊張しなくて良いよ」と笑いかけてくれました。

 

 わたしは、その言葉に救われました。

 

 もし、部活の先輩が不親切だったら?

 

 わたしは、部活を辞めていたかも知れません。自分の夢を、将来の目標を見つける事も。だから、先輩達には本当に感謝しています。

 

 あの人達が、そして、「彼」がいたから、今の自分がある。

 

 わたしは、「絵」を描く事に熱中しました。絵を描いている間は、あらゆる事を忘れられたからです。クラスの男子達から言われた……中学生の男子は、わたしが思っているよりも酷い。本当に残酷な生き物でした。

 美人な女子には、とても親切にするのに(たぶん、優しい自分をアピールしているのでしょう)。不細工な女子には、徹底的に冷たい。わたしも、所謂「不細工な女子」だったので、あまり良く思われていませんでした。

 

 アイツの顔、ヤバいよな?

 

 俺だったら、ぜってぇ彼女にしねぇ。

 

 本人がいない場所ならまだしも、教室の中で「それ」を堂々と言うのです。周りにいる女の子達も笑っている。

 

 わたしはあまりの悔しさに、男そのモノを嫌いになりました。

 

 爽やかで、女の子にモテる男の子も。

 教室の隅で、二次元の美少女に酔いしている男の子にも。

 

 わたしは、あの感情を思い出しました。「この人達も、アイツらと同じだ」と。ずっと昔、わたしの好きだったアニメに文句を言った、「あのクレーマー達と同じだ」と思ったのです。濁ったモノには、決して好意を抱かない。彼らが興味を抱くのは、表面が美しいモノか、不純物が除かれた人工物だけでした。


 わたしは、その事に怒りを覚えました。現実と虚構の区別は、とっくにできていた筈なのに。思春期の海にどっぷり浸かっていたわたしには、「それ」がどうしても許せなかったのです。不細工には、不細工なりの意地がある。

 「彼氏が欲しい」とは思いませんでしたが、「アイツらの常識に一石を投じたい」、「虚構の美に騙されているアイツらに、本物の美を見せてやる!」と思いました。「清」と「濁」を併せ持った、本物の美を。

 

 わたしは美術部で培った技術を生かし、その美を発表する場を探しはじめました。

 

 最初に見つけたのは、ネットの投稿サイトでした。投稿サイトは、様々な人が利用します。自分の作品を上げる人はもちろん、その作品を観る人も。県のコンクールに入選した程度では(「美術部としては、それもかなり凄い」と思いますが)、彼らの意識は変わらない。精々、「へぇ」と驚かれるだけです。それは、わたしとしては許せない。だからより多くの人に観られる、投稿サイトを選びました。

 

 町の電器屋でペンタブを買い、それに女の子の絵を描いて、投稿サイトに登録し(両親の許可は、貰いました)、サイトに自分の絵を上げます。

 

 わたしは期待半分、不安半分で、絵の感想画面を見ました。感想画面に書かれていたのは、批判の嵐。「絵は上手いが、汚い」の連続でした。

 

 君は、「美少女」って言葉を知らないのか?

 俺らが観たいのはブスじゃない、「美少女」だ!

 ガチで才能の無駄遣い。

 

 何の言葉も出ません。

 ただ、虚しさだけがあるだけです。

 

 わたしは彼らの要望に応え(一応は、観てくれた事に感謝を込めて)、如何にも男子が好きそうな美少女を描きました。

 

 それから数日は、何のやる気も出ませんでした。学校の授業も、上の空。放課後の部活動でも、右手の筆をただ動かしているだけで、「絵」そのモノは描いていない。何かの形をした物に、ただ色を塗っているだけです。


「はぁ」

 

 溜め息だけが漏れる。

 それを聞いた先輩が、「どうしたの?」と驚くほどの溜め息だけが。

 

 わたしは慌てて、「な、何でもありません」と誤魔化しました。


「ちょっと疲れているだけで」


「そう」と応えた先輩でしたが、やはり何か感じるモノがあったのでしょう。いつの間にか、わたしの悩みを聞き出していました。


「本物の美、か」


「はい」


 それをどうしても伝えたくて、と、わたしは言った。


「でも」


「周りには、伝わらない?」


「……はい。みんな、『見掛けが良ければ、それで良い』って感じです。特に二次元の美少女が好きな人にとっては」


「なるほど。まあ……二次元は、ある意味で夢みたいなモノだからね。夢は美しく、純粋な方が良い。現実は、汚い事ばかりだから」


「……汚い中にも、綺麗なモノはあるのに」


 先輩は、その一言に何やら考えはじめました。


「奥寺の描いた絵」


 と言って、また何やら考えはじめます。


「奥行きを付けたら、どうかな?」


「奥行き、ですか?」


「そう、奥行き。奥寺の描いた絵には、物語が無いでしょう?」


 わたしは、その言葉に「ハッ」としました。


 今まで考えもしなかった発想。

 わたしの描いた絵には、確かに物語が描かれていなかった。


「物語を描くにしても、一体何を描けば良いんでしょう?」


 わたしには、描きたい物語なんて無いのに。

 と思った瞬間、先輩がニッコリと笑いました。


「自分の考えを肯定する物語」


「自分の考えを肯定する物語?」


 また、凄い発想だ。


「そんな物を描いてどうするんです? わたしは」


「本物の美を伝えたい。なら、『それ』を伝えられるように工夫しなきゃ。何もしないでただ突っ立っていたら、大抵のブスは美人に負けちゃうでしょう?」


 残酷すぎる言葉。でも、それが現実だった。

 中身の醜さが分からない以上、大抵の男の子は美人を選ぶ。


「そう、ですね」


 わたしの中で、何かが弾けました。


「やってみます」


 わたしは「ニコッ」と笑って、目の前の先輩に頭を下げました。


 それからの日々はたぶん、「わたしが今まで生きた中で一番濃い時間だった」と思います。他人に自分の物語を伝えるには、どうすれば良いか? 試行錯誤が続きます。一枚の絵では、すべての意図が伝えられないし、だからと言って、アニメーションのように大量の絵を描けるわけでもない。程良い量で「物語」を描くには、「漫画」と言う手しかありませんでした。


 わたしは漫画の描き方を覚え、それに従って漫画を描き終えると、例の投稿サイトに漫画を上げようとしましたが、偶然見つけた文化交流のサイト(小規模な同人即売会の案内サイト)を見つけた瞬間、ほとんど直感と言って良いでしょう。両親の許可は一応取りましたが、迷う事なく「それ」に参加しました。



 即売会の当日は、晴れでした。


 わたしは(お金の問題もあったので)数冊しかない自分の描いた漫画を持って、会場の中に入りました。会場の中は、それなりに人が入っていました。如何にもオタクっぽい人から、身か感じは普通の人まで。みんな、会場の中を友人と回ったり、自分の気に入った同人誌を買ったりしています。わたしの横を通りすぎていった男の人も、可愛い女の子がデザインされた紙袋を持っていました。


 わたしは「それ」に一瞬引きましたが、会場の雰囲気自体には一種の懐かしさを感じていました。様々な事を知って、思考が現実寄りになった今でも、やっぱり好きな物は変わらない。あの懐かしい変身ヒロインのコスプレをしている女の子(わたしと同じくらいでしょうか?)を見た時は、思わず微笑んでしまいました。


 わたしは自分の席(場所の方は、あらかじめ決められています)に座り、目の前の漫画がどれくらい売れるのか期待を膨らませました。しかし、現実は残酷です。漫画は、一冊しか売れませんでした。内容がオリジナルである上、わたしの知名度も皆無だったので、周りの同人誌が次々に売れていくのをただただ眺めている事しかできませんでした。


 わたしは、その光景に虚しくなりました。「やっぱりみんな、美少女が好きなのか?」と。わたしの漫画を買ってくれた男の子も、最初は少し驚いた顔で漫画の表紙を見ていました。


 男の子は漫画の代金を払い、わたしの前から少し離れて、漫画の内容を静かに読みはじめました。


 わたしは、その様子をじっと眺めました。一体、どんな感想を抱くのか? 男の子が漫画を読み終えるまで、わたしの視線は彼から離れませんでした。


「ふうっ」と、男の声。


 彼は優しげに笑い、わたしの前に歩み寄りました。


「ありがとう。凄く面白かった」


 わたしは、彼の感想に驚きました。


「え?」


 ほ、本当に?


「本当に面白かった?」


「うん。『普通』の男子が、『普通』の女の子に恋をして。こう言う話は……僕の偏見かも知れないけど、普通は『イケメン』か『美少女』が出てくる。イケメンは、女の子の憧れ。美少女は、男子の憧れって感じにさ。でも、この漫画には『それ』が出て来ない。普通の二人が、普通の恋をしている。それも、すごくリアルな感じにね。僕には……その、『それ』がとても面白かった」


 彼の感想に言葉を失いました。男の子の方はともかく、女の子の方は凄く不細工に描いたのに。彼は、その女の子を「普通」と言いました。


 わたしは、彼の顔をじっと見ました。


「あ、あの」


「ん?」


「へ、変な事を聞きますけど」


 不安が襲います。でも、口が止まってくれませんでした。


「わたしの顔は、不細工に見えますか?」


「へっ?」と、驚いたのは一瞬です。次の瞬間には、わたしの顔をじっと見つめる彼がいました。彼はわたしの顔をマジマジと見、ある程度見つづけると、特に迷う事なく「いや、『可愛い』と思うけど?」と答えました。


 わたしは、身体が熱くなりました。男の子にただ、「可愛い」と言われただけなのに。身体中の血管が一気に温まりました。胸の心臓も、バクバク言っています。


 わたしは恥ずかしさのあまり、思わず俯いてしまいました。



 それからの事は、あまり良く覚えていません。彼がいつ、帰ったのかも。気づいた時には、部屋のベッドで「うっ、ううう」と悶えていました。


 わたしは彼の言葉を忘れられないまま、中学の三年間を終え、地元の公立高校に進学しました。そこでまさか、彼と再会するとは知らずに。高校のクラス分けで自分が1年D組であるのを知った時はそんなに驚きませんでしたが、学校の入学式で彼を見た時は、雷に打たれたような衝撃を受けました。


 運命の神様は、確かに存在する。


 わたしは人伝から彼の名前を聞き、一年B組の前に行くだけで(単に勇気が無かっただけです)、彼の姿を遠くから眺める事しかできませんでした。

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