第4話 歌詞がとても深い《香山絵里》
最近、思う事がある。それは、「世の中には、偶然なんてモノはない」と言う事を。多くの人が「偶然だ」と思う事は、実は必然な事で……テレビのニュースで報じられる事故なんかも、その必然が起した悲劇、運命の中に刻まれたプログラムのように思えた。
あたしが「香山絵里」として生まれたように。あたしの周りにいる女の子達も、それぞれの運命に従った形を与えられていた。運命の形は、千差万別。あたしのように「地味娘」と呼ばれる人もいれば、あらゆる人から愛される女の子、所謂「美少女」と呼ばれる人もいた。
美少女は、様々な男子から告白される。学校で一番のイケメンから、教室の隅にいるような非イケメンまで。校舎の裏や、学校の屋上に呼び出されては、「好きです、付き合って下さない」の告白を受けるのだ。それがまるで当然とばかりに。
あたしが小学校の時に同じクラスだった女の子も、多くの男子達から告白を受けていた。告白の返事はもちろん……「ごめんなさい」だったのは、六年生までだった。五年生まではずっと、「ごめんなさい」だったのに。相手がクラスで人気者の男子、つまりは面食いだったのだ。「ごめんなさい」の返事が、すぐさま「私も好きです」に変わった。
二人は、それをきっかけに付き合いはじめた。周りの女子達は、「それ」にかなり不満げだったけれど。美少女と美少年の組み合わせには、どんな嫉妬も歯が立たなかった。「私達では、あの子に勝てない」と。恋に対して理想と現実を知りはじめた彼女達は、自分の立場や容姿、容姿などを考えて、その関係を不本意ながらも認めざるを得なかった。
可愛くなければ、好きな男の子とは付き合えない。実際、好きな男の子と付き合えるのは、美少女……少なくても、「可愛い」と言われる女の子だけだった。可愛い女の子は、それだけで好きな男の子から告白される。自分から好きな男の子に告白する子もいたが、そう言う子は大概、自分の容姿に自信を持っていた。「私なら絶対に大丈夫だ」と、絶対の自信を持って好きな人に告白した。告白の結果は、九割以上が成功した。
恋愛、特に「愛」の部分が未成熟な男子達にとって、可愛い女の子達からの告白は、どんなゲームよりも刺激的だった。「世の中には、ゲームよりも楽しいモノがあるのだ」と。あたしの隣に座っていた男子なんかは、それまで好きなマンガやゲーム、アニメの話しかしなかったのに、違うクラスの女の子と付き合いはじめた途端、今までまったく気にしなかったファッションや髪型などを意識するようになった。
あたしは、その変化に言葉を失った。「恋愛はここまで、人を変えてしまうのか?」と。恋愛は確かに素晴らしいモノだし、自分の生まれた理由にも繋がっているが、その時のあたしには、「それ」がとても恐ろしく、また不安にも感じられた。
あたしも恋をしなければ、周りの人に置いておかれる。「異性を異性と思わず、同じ人間の仲間だ」と思っていたあたしには、恋愛は一種の変化、今の自分を変えてしまう劇薬のように感じられた。心に一滴垂らしただけで、その形をすっかり変えてしまう劇薬。劇薬の存在は、恋愛未経験者のあたしにとって、悪魔の囁きよりも恐ろしかった。
あたしは、その囁きに耳を塞いだ。
「そんな囁きは、聞きたくない。今のままでも、あたしは充分幸せなんだ」
無理して男の子と付き合わなくても。あたしには、自分と仲良くしてくれる友達や、自分の事を愛してくる家族、最近ハマりはじめたギターがあるのだ。ギターの音色は(当時は、あまり上手く弾けなかったけど)、あたしの心をいつも癒してくれる。言葉の奥には大抵刃が潜んでいるが、音の奥には希望が、人の心を癒す救いが立っているのだ。音楽が言葉よりも先に生まれたように。
あたしは、その真理を愛していた。
でも……。愛だけでは、人は救えない。多くの人が「愛」で「欲」を満たしているように……純粋な愛は、真っ黒な欲のインクに塗り潰されてしまうのだ。
修学旅行の夜。布団の中でうとうとしはじめたあたしは、同室の女の子達に「絵里ちゃん!」と叩き起こされてしまった。それもテンションマックスの声で。布団の毛布を勢いよく剥がされた時は、眠気よりも殺意の方が勝ってしまった。
あたしは不機嫌な顔で、布団の上から上半身を起した。
「なに?」
と聞いたのが、悲劇の始まりだった。ここで「ごめん、眠いから寝る」と言えば、文句こそ言われても、あんな事にはならなかっただろう。これから人生を変える……それこそ、今のような事態には。
あたしは、大事な人生の選択を間違ってしまったのだ。
「あたし」
「絵里ちゃんは、好きな人いる?」
息が止まった、頭の方も上手く回らなくて。質問の意味を理解した頃には、身体の全体に寒気を感じていた。
あたしは、その寒気を必死に隠した。
「いない、よ?」
「ええぇ、うそ?」
と言っているが、その顔はぜんぜん信じていなかった。
「本当は、いるんじゃない?」
彼女達の顔が近づく。ある女の子は、目を輝かせるように。またある女の子は、何処かあたしの事を見下すように。彼女達は……たぶん、あたしの事を馬鹿にしていたのだろう。「恋愛」の「れ」の字もない、地味でパッとしないあたしの事を。
あたしは髪をずっと伸ばしていたが、決してサラサラと言うわけではなく、自然にただ伸ばしていただけなので、髪型自体にはまったく拘っていなかった。ただ、面倒くさいから伸ばしている。何ヶ月かに一度行く美容室にはいつも、「自然な感じでお願いします」と頼んでいた。
あたしは憂鬱な気持ちで、彼女達の顔から視線を逸らした。
「本当に、いないよ」
彼女達は、その答えに納得しなかった。「好きな人がいないのは、おかしい」と。恋が思考の中心に来ている彼女達には、「好きな人がいない」と言う答え自体が不自然だった。
「隠さなくても、誰にも喋らないから」
と言うが、まったく信じられなかった。女の子の世界に「誰にも喋らない」なんてあり得ない。彼女達は人の秘密を聞き、それを共有する事で、自分達に都合の良い世界を作るのだ。「誰々が誰々を好きだ」とか言って見下す。恋に暴力があるのを知りはじめた彼女達は、女の子の特権としてその暴力を使いはじめていた。
あたしは、その暴力が嫌いだった。「好きでもないモノを好きだ」と言う。だから、彼女達に嘘をついた。彼女達の暴力から逃げるために。あたしのついた嘘は、「女子達の中でもそれなりに人気のあった男の子が好きだ」と言う内容だった。
彼女達は、その嘘に凍りついた。
「そ、そうなんだ」
「ふ、ふうん」
変な空気が流れた。あたしとしては、無難な線を言ったつもりだったけれど。内心であたしの事を見下している彼女達にとっては、その答えがとてもムカつくらしかった。
「まあ、絵里ちゃんは無理だろうけどね」
他の女の子達も同調する。
あたしは最初から興味が無かったので、特に何も思う事なく、肩の辺りまで毛布を引っ張り、それから「グーグー」と寝てしまった。
次の日は、とりあえず何もなかった。自分の周りが変な雰囲気だったけれど。少なくても修学旅行が終わるまでは、何の異常もなく過ごす事ができた。異常が起きたのは、それから数日後の事だった。一ヶ月に一度行われる席替え。席替えの方法はくじ引きで、特別事情がある児童以外は、席の移動が許されなかった。
あたしは、真ん中辺りの席になった。
「あっ」と言ったのは、あたしではない。あたしが新しい自分の席に座った瞬間、隣の男子があたしに向かって言ったのだ。隣の男の子に視線を向ける。隣の男の子は、あたしが修学旅行の夜に言ったあの男の子だった。
彼は不機嫌な顔で、あたしの顔を睨みつけた。
「なんで隣がお前なんだよ?」
彼の言葉にイラッとした。まったくの不意打ちだった事もあったけれど。ほとんど話した事のない相手にそんな事を言われるのは、あたしとしてもやっぱり許せなかった。
あたしは彼の言葉を無視したが、それが彼には気に入らなかったらしく、その日を境にして、隣のあたしに意地悪するようになった。「死ね、ブス」の言葉は、当り前。酷い時には、クラスの男の子達を使って、あたしにリンチ紛いの事をした。
あたしは、身も心もボロボロにあった。「う、ぐっ、はっ」と、涙が止まらない。その涙をどんなに拭おうとしても、言葉にならない怒りが沸々と湧いてきた。
どうして、あたしがこんな目に?
あたしは有りっ丈の勇気を振るい、親や先生にこの事を話した。
彼らは、あたしの話を聞いた。それも真剣に。あたしが全部を話し終えた時には、あたしの身体を抱きしめたり、その頭を撫でたりしてくれた。
あたしは、彼らの優しさにホッとした。「人間の温かさ」に。だからイジメの真実を知った時は、人間の闇が心底嫌いになった。「アンタ程度の女が、彼の事を好きなっているじゃないわよ」と。彼らの裏で糸を引いていたのは、あたしの嘘を真に受けたあの女の子達だった。
彼女達は彼にあたしの思いを話し、彼が「あたしの事は、好きじゃない。むしろ、地味で嫌いだ」と言うと、「なら、ちょっと意地悪しようか?」と言って、彼の暴力意識を促したのだ。
あたしは、その話に震え上がった。「人間は、そこまで愚かなのか?」と。差別を礎にした恋愛観は、人間の尊厳を傷つけてしまうのだ。
あたしは「それ」に絶望し、みんなが通う公立の中学に入った後も、周りの人とできるだけ距離を置くようにして(恋愛のいざこざに巻き込まれてなかった)、自分の好きな事、音楽活動にのめり込んだ。自分の思いを歌詞にして、それに音を加える作業。それ自体はとても孤独な作業だが、小学校でのトラウマや、中学でのストレスが溜っていたあたしには、それらを忘れられる唯一の作業だった。
あたしは不器用ながらも何とか曲を完成させて、学校の人ができるだけ来なさそうな場所を選び、そこで初めての路上ライブを行った。初めての路上ライブは、残念ながら失敗に終わった。歌詞の内容が、あまりに哲学的過ぎる。あたしのライブをたまたま聴いていたおじさんが(たぶん、親切心なのだろうが)、ギターのケースに百円玉を入れた際、あたしに対してそう教えてくれた。
良いかい? 世の中なんてモノは単純で、結局は「好きか、嫌いか」だけなんだ。男女の縁もまた然り。彼らは物事の真理を聴くよりも、「愛している」を聴く方がずっと好きなんだ。
おじさんは「覚えておきなさい」と笑い、あたしの前からふっといなくなった。
あたしは、その助言に腹が立った。物事の本質は、「愛している」よりもずっと尊いのに。世間が求めているのは、ペラペラな愛の言葉だけだった。
あたしは、その現実に抗った。「中身の無い言葉は、空っぽな音を奏でているだけだ」と。空っぽな音は結局、空っぽな心にしか響かない。
あたしは物事の真理を突く、詩的な曲を奏でたかった。たとえ、周りの人から理解されなくても。あたしの曲は、あたし自身を癒す鎮魂歌でもあった。
あたしは、自分の曲を歌った。運命の神が、彼と出会わせた時も。天に向かって、自分の思いを歌いつづけた。
あたしは、彼の目を見つめた。他の人達は、あたしの前を素通りして行ったのに。彼だけは最後まで、あたしの歌を聴いてくれた。ギターケースの中にお金が入れられる。その金額は、今まで最も高い300円だった。
「善い曲だね」
「え?」
「歌詞がとても深い」
夢のような言葉だった。
今までの人は、誰一人としてあたしの曲を褒めなかったのに。
彼はあたしの曲を理解し、その上で「歌詞がとても深い」と言ってくれた。
あたしは、それが無性に嬉しかった。
「あ、ありがとう」
彼は「ニコッ」と笑って、あたしの前から歩き出した。
あたしは、その背中を見送った。心の中では、「今すぐにも追い掛けたい」と思っていたのに。彼から言われたさっきの言葉が、あたしの足を人形のように動かなくしていた。
彼の背中が消える。
残されたのは、彼が払ってくれた300円だけだ。
あたしはその300円を握り、「せめて名前だけでも聞いておけば」と後悔したが……これもある意味で偶然……いや、必然なのだろう。すべての縁が必然であるように。彼との再会もまた、神様か何かが仕掛けた必然だった。
あたしは高校の入学式で、彼の姿を見つけた。
彼はあたしの視線に気づかず、黙って校長の話を聞いていた。
あたしは、自分の正面に向き直った。様々な感情が、糸のようにこんがらがって。彼の事をずっと見つづける事ができなかった。
あたしは自分の情けなさを呪い、一年C組の教室に戻った後はもちろん、それから数日経った今でも、彼の名前を何とか調べられただけで、B組の外から彼の姿をチラッと見るか、放課後に何故か学校の廊下をさまよっている彼の姿を遠目から眺める事しかできなかった。
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