第2話 恋がしたい《綺堂彩花》

 アタシがまだ小さかった頃……お父さんさんが膝の上にアタシを乗せて、アタシの頭を撫でながら、まるで何かを諭すように、優しげな声でアタシにこう言った。


「人間の価値は、見掛けでは決まらない。人間は、中身が大事なんだ」と。「中身の無い美人は、中身の有る不細工よりも醜い。お前は、中身の有る美人だ。自分では、そう気づかなくても。お前は、多くの人を幸せにできる」


 お父さんはアタシの頭から手を退けると、自分の隣にアタシを座らせて、ソファーの上からゆっくりと立ち上がり、「トイレに行って来る」と言って、リビングの中から出て行った。


 アタシは、その余韻に押し黙った。お父さんの残した余韻に苛立ったからではなく、ただ今の……お父さんから言われた言葉に感動して。お父さんの言葉は、はっきり言って難しかった。小学生の娘に「人間の価値」を教えるなんて。今思えば、かなり無理な事だろう。小学生の考える道徳規範は、「周りのみんなと仲良く、先生の言う事を聞きましょう」なのだから。


 誰も、人の価値なんて考えない。自分の飼っている動物が死んだり、そう言う場面がテレビで流れたりした時は「命の大切さ」を感じるが、普段の生活では、そう言う事はほとんど考えていなかった。「死」は、自分達とは無関係の場所にある。それがどんなに悲しく、そして、辛い事であっても。小学生が考える思考の対象は、今日は何をして遊ぶか、芽を出しはじめた恋の世界だけだった。

 

 アタシは、うんう……アタシもたぶん、周りの子達と同じだったのだろう。周りの子達がオシャレに、つまりは「色恋」に興味を持ちはじめたように。それまでは無関心だった髪型や服装にも気を使い、低学年までは一緒に遊んでいた男子達にも……色目とまでは行かないが、女子特有の視線、悪く言えば「品定めするような視線」を向けるようになった。


 あの男子は、格好いい。


 あの男子は、格好悪い。


 昨日までは普通に話していた男子とも、次の日からはまったく話さなくなったりもした。「あの男子は、喋り方がキモイ」と。一度そう言われてしまった男子は、(本人が気づくか、気づかないかに関わらず)女子達から距離を置かれるようになった。


 アタシはその空気が苦手だったが……「慣れ」と言うモノは恐ろしい。「自分が男子達から非難されない、異性を評価できる立場(今思えば、かなり愚かな思考だが)にある」のを感じると、まるで水を得た魚のように、女子達のグループに混じっては、周りの女子達に倣って、格好いい男子の話題で盛り上がったり、気に入らない女子の悪口を言い合ったりした。


 アタシはそんな感じに毎日を過ごし、そして、何事もなく小学校を卒業した。


 

 中学校は、地元の公立校を選んだ。友達の中には私立を受けたり、中高一貫の公立校に入ったりした子もいたけれど、勉強も運動も並のアタシは、それらの試験を突破できるわけがなく、またそう言うのにも興味が無かったので、何の迷いも無く、大多数の友達が選んだ所と同じ学校に行った。だから友達関係も特に困らず、中学に入って一ヶ月が経った事には、小学校からの友達に中学からの友達を加えた新グループを作っていた。


 アタシはその中で……思えば、そこからアタシの人生は狂いはじめたのだろう。「中学」と言う世界を甘く見たアタシの人生が、まるで砂のお城のように崩れてしまったのだ。何の前触れも無く、それこそ……とにかく!


 アタシは、「中学」と言うモノを舐めていた。中学には小学校以上の、階級社会がある。「先輩」、「後輩」の関係はもちろん、「同級生」や「友達」の世界にも。至る所に人を測る物差しが置かれているのだ。

 「あの人は、格好いい」、「あの子は、可愛い」と。あっと言う間に分類され、また差別されてしまう。アタシの入っていたグループにも、そう言う見えない階級のようなモノがあった。「彼女がここのボスで、アイツが一番下」と言う風に。上位の階級にいる人は、下の人間に何をしても許されていた。

 

 アタシは、その空気が怖かった。グループのボスにもし、逆らったら? 幸か不幸か、最下位ではなかったアタシだったが、一番下(アタシは、そうは思わなかったが)の女の子がボスにパシられているのを見ると、彼女に対する同情よりも、自分を守れた安心感の方が勝ってしまった。

 「自分はまだ、あそこまでは落ちていない」と。あそこまで落ちていないなら、まだ中学生活を楽しむ事ができる。同じ部活の仲間と汗を流したり、グループのみんなと笑い合ったり。学校の帰りに食べたソフトクリームは、周りの空気と相まって凄く美味しかった。

 

 アタシは周りの顔色を窺いつつ、自分の立場を逸脱しない程度で、中学生らしい日々を送り、そして、中学生らしい恋をした。恋の相手は、学校で一番のイケメン君だった。成績優秀で、スポーツ万能。少女マンガの中から飛び出してきたような彼は……表向きは女子達の共有物と化していたが、実際は多くの女子達(告白するのは何故か、可愛い子が多かったが)から告白を受けていた(「だから、アタシもやってやる!」と思った)。

 

 アタシは最大最高の勇気を出し、彼の下駄箱に手紙を入れて、学校の校舎裏に彼を呼び出すと、ぎこちない口調で、彼に自分の想いを伝えた。


「あなたの事が好きです」


 彼の返事は、「ごめん」だった。ほとんど考える余地もなく、告白した瞬間に「ごめん」と断られてしまった。


 アタシは、その返事に俯いた。最初から分かっていた事だけれど。「好きな人に振られる」のは、やっぱり辛い事だった。視界がぼやける。ついでに涙も零れて。気づいた時には、頬に温かいモノを感じていた。


 アタシは逃げるように、彼の前から走り出した。



 地獄が始まったのは、その翌日からだった。失恋のショックで放心状態だったアタシだが、教室の中に入ると、その視界に信じられないモノが飛び込んできた。


 アタシは周りの視線も忘れて、黒板の文字を見つめた。


 ブスのくせに告白しているじゃねぇ! と、白いチョークで書かれた黒板の文字。誰が書いたのかは結局分からなかったが、教室の至る所から聞こえて来た声、「クスクス」と笑う声には思わず震えずにはいられなかった。


 アタシは、目の前の状況に混乱した。告白の事はもちろん、それを罵られる状況にも。すべてが、戸惑いと混乱に満ちていた。


「どうして? なんで?」


 の答えは、それからすぐに分かった。


「彩花」と、グループのボスに呼び出される。「ちょっと」


 彼女は学校の屋上までアタシを連れて行き、そこでアタシに今起こっている事を話した。彼女の話は、残酷だった。それも、かなり理不尽な方向に。アタシが有りっ丈の勇気を込めてした告白は、(彼女の言葉を借りれば)かなり調子に乗った事だった。


「ルールがあったんだよ」


「ルール?」


「そう、彼に告白して良いのは」


 可愛い子だけなんだ。


「それも周りの人が認める。アンタは、どう見ても不細工でしょう?」


 アタシは、そのルールに絶句した。「告白」と言うのは平等に、誰にでも与えられた権利の筈なのに。アタシの聞いたルール……いや、彼女達の決めたルールは、その平等を破る許しがたいモノだった。


「不細工だったら?」


「ん?」


「不細工だったら、男の子に告白しちゃダメなの? たとえ、付き合えなくてもさ。自分の気持ちを伝えるくらい。アタシはただ」


 を聞いて呆れたのか、ボスの溜め息が聞こえた。


「『ダメ』って事はない。でも、自分の立場は弁えなきゃ」


 彼女はアタシの肩に手を置き、その肩をギュッと握り締めた。


「告るんなら、自分の顔を見てからにしな?」


 絶望の一言だった。ブスな女の子には、恋はおろか、告白すら許されないなんて。恋も告白も、美少女だけに許された特権なのだ。心がガラスのように砕けて行く。今まで保っていた心が、「アタシ」を「アタシ」にしてくれていた柱が。「美少女」の言葉だけで、見事に砕け散ったのだ。残ったのは不細工な自分と、美少女に対する恨みだけ。


 アタシは虚ろな目で正面を見、自分の教室に戻ったが、蔑みの視線が無くなるわけでもなく、それから数日が経っても、「良いストレスの捌け口が見つかった」とばかりに、アタシの事を見ては、口々に悪口を言い合った。今回の問題には、直接関わりのない男子達まで。


 男子達は「アタシがブスな女」、「見下しても良い相手だ」と判断すると、ある意味では、女子以上にアタシの事を否定した。「アイツだけは、絶対に彼女にしたくない」と。恋愛の対象から、アタシを完全に排除してしまったのだ。小学生の男子が、ブスな女の子を虐めるように。アタシも、真っ暗な闇に突き落とされてしまった。

 

 アタシは、文字通りの独りになった。学校の、どんな行事に参加する時も。唯一応援されたのは、高校受験を頑張った時と、その高校に合格した時だった。


 アタシは独りで高校の教室に行き、学校が放課後になると、誰とも話さずに教室の中から出て、たまたま見つけた空き教室の中に入り、恨みのノート(アタシが勝手に名付けた)を開いて、「美少女」に対する、教室に蔓延るリア充達への恨み辛みを書き殴った。


「リア充死ね、リア充死ね、リア充死ね……」


 リア、と言いかけた時だ。


「どうしたの?」


 男子の声が聞こえた。


「大丈夫?」


 彼は心配げな顔で、アタシの事を見ていた。


 アタシはその表情に驚いたが……たぶん、防衛本能が働いたのだろう。相手の事を思わず睨んでしまった。


「アンタ、誰?」


「仰木颯、一年B組の」


「ふうん」


 アタシは、彼の事を眺めた。


「地味だね」


「なっ!」


 マズイ、ちょっと怒らせてしまったかも知れない。


「それの何が悪いの?」


 やってしまった。見掛けで判断されるのは、アタシが一番嫌い事なのに。


 アタシは精一杯の謝罪を込めて、相手の怒りをなだめようとした。


「別に。地味なのは、アンタの所為じゃないじゃん?」


 その言葉にキョトンとしたのは、一瞬だけだった。


 彼はまた心配げな顔で、アタシの顔を見てきた。


「誰かに何か言われたの?」


 自分でも分かった。今の言葉を聞いて、自分の顔が強ばるのを。心臓もバクバクいっている。


「アンタには、関係ない」


 アタシは机のノートを持って、机の上から立ち上がると、彼から逃げるように、空き教室のドアに向かって歩き出した。


 だが、「待って」


 後ろの彼に呼び止められた。


「なに?」


「僕だけ名前を言うなんて狡いでしょう?」


 確かにね。それは、ちょっと狡いかもしれない。だから、彼の方を振り返った。


「綺堂」


「綺堂?」


「綺堂彩花、一年A組」


 アタシはまた正面に向き直り、空き教室の中から出て行った。



「はぁ」


 学校から帰っても……上手くは言えないが、変な余韻が残っていた。久しぶりに男子と話した所為で。今まで満たされなかったが何かが、噴水のように吹き出したのだ。噴水はアタシの心に行き渡り、忘れかけていた感覚を呼び起こした。


 恋がしたい


 自分の好きな人と


 大切に思う仲間達と


 たった一度の青春を楽しみたい


 アタシはベッドの上から起き上がると、真剣な顔で部屋の天井を見上げた。


「周りに求めるな。自分の世界は、自分で作れ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る