シューマンとショパンは1810年生まれでしたね!
ショパンの24の前奏曲を評するシューマンの言葉が、あまりにも詩的でした。
「不思議にまじりあった屑、鳥の羽根ともいえるかもしれない」
クライス・レリアーナはシューマンからショパンへの献呈でしたし、本当に二人が御近所同士だったら、すごく仲良くなっていただろうなぁと共感しました(^^♪
作者からの返信
献呈といえば、このコンサートでたしかバラード第2番が演奏されまして、これはショパンからシューマンへの返礼だったと思います。
シューマン向きだなあと。
24の前奏について、そんな素敵なことを書いてましたっけ。「音楽と音楽家」を読み直してみます。
シューマン先生の奥さま、クララさん、は、ワーグナーさんは、かなり、いかがわしい人と、みていたとか。リスト先生は、まだましな人だ、とか。
たしか、ショパンさんは、シューマン先生に、『諸君脱帽、天才だ‼️』と、言われたことは有名ですけど、やはり、パリは遠かったでしょうか。電話やメールがあれば、違ったかもしれないですね。ショパンさんが、80くらいまで、長生きしてくれたら、録音が残ったかもしれないですね。クララさんは、あっても良かった。ブラームス先生が録音したんですから。おしいです。
作者からの返信
シューマン夫妻とワーグナー、同じ町に住んでいた時期は重なります。
クララはワーグナーと同じライプツィヒ生まれ、途中からロベルトも大学進学でやってきました。
結婚して数年後夫妻はドレースデンに移りますが、その宮廷の第一指揮者がワーグナーでした。
シューマン側の本を読むと、あまり触れていません。黒歴史なんでしょうか!?
真面目なクララは、ワーグナーを嫌っていました。身勝手ちゃらんぽらんなのだから、仕方ありません。
人間性と音楽は別、という例として挙げられる代表格ですね。もっともクララは音楽も嫌っていましたが。