応援コメント

第6話  1840年プレイエルの「ピアニーノ」」への応援コメント

  • シューマン先生の奥さま、クララさん、は、ワーグナーさんは、かなり、いかがわしい人と、みていたとか。リスト先生は、まだましな人だ、とか。

    たしか、ショパンさんは、シューマン先生に、『諸君脱帽、天才だ‼️』と、言われたことは有名ですけど、やはり、パリは遠かったでしょうか。電話やメールがあれば、違ったかもしれないですね。ショパンさんが、80くらいまで、長生きしてくれたら、録音が残ったかもしれないですね。クララさんは、あっても良かった。ブラームス先生が録音したんですから。おしいです。

    作者からの返信

    シューマン夫妻とワーグナー、同じ町に住んでいた時期は重なります。

    クララはワーグナーと同じライプツィヒ生まれ、途中からロベルトも大学進学でやってきました。
    結婚して数年後夫妻はドレースデンに移りますが、その宮廷の第一指揮者がワーグナーでした。

    シューマン側の本を読むと、あまり触れていません。黒歴史なんでしょうか!?
    真面目なクララは、ワーグナーを嫌っていました。身勝手ちゃらんぽらんなのだから、仕方ありません。

    人間性と音楽は別、という例として挙げられる代表格ですね。もっともクララは音楽も嫌っていましたが。

  • シューマンとショパンは1810年生まれでしたね!
    ショパンの24の前奏曲を評するシューマンの言葉が、あまりにも詩的でした。

    「不思議にまじりあった屑、鳥の羽根ともいえるかもしれない」

    クライス・レリアーナはシューマンからショパンへの献呈でしたし、本当に二人が御近所同士だったら、すごく仲良くなっていただろうなぁと共感しました(^^♪

    作者からの返信

    献呈といえば、このコンサートでたしかバラード第2番が演奏されまして、これはショパンからシューマンへの返礼だったと思います。
    シューマン向きだなあと。

    24の前奏について、そんな素敵なことを書いてましたっけ。「音楽と音楽家」を読み直してみます。