第10話 魔帝の弟子

 

 母さんに命じられて俺は椅子から立ち上がり訓練場に立つ。

 母さんとハンナは椅子に座ったままだけど。


 背筋を伸ばして優雅に座っていた母さんが人差し指をチョイチョイっと振った。

 俺たちの周囲に強固な結界が張られる。

 俺が見た中で一番強い結界だ。皇帝陛下がいる城の結界よりも強固じゃないか?


「よし。これで周りには影響ないわね。ルクシア、ちょっとお腹と脚に力を入れていなさい。入れていても無駄だろうけど」


「えっ?」


 首をひねった瞬間、俺を壮絶な力の奔流が襲った。

 母さんの身体から放たれた暴風のように吹き荒れる膨大な魔力。

 魔帝の魔力だ。


「カハッ!」


 俺は吹き飛ばされ、結界にぶつかり、弾かれて地面に無様に転がった。

 母さんの圧倒的魔力と覇気。

 俺の本能が母さんに従ってしまいそうだ。


 起き上がろうとするが、膨大な魔力によって身体を押し付けられて指一本動かせない。

 呼吸もできない。く、苦しい。

 目を見開く。身体が空気を求めるが、身体が動かない。死ぬ!


 目の前が真っ暗になり、綺麗な川が見え始めたところで、母さんから放たれていた魔力が消えた。

 魔力放出を止めたのだ。


 息ができるようになり、俺は必死で空気を求めて喘ぐ。

 視界も戻ってくる。

 し、死ぬかと思った。死んだと思った。母さん怖い。


「あらあら。全然だめね」


「気絶しないだけすごいと思いますよ」


 優雅にお茶をする母さんとハンナ。

 俺は地面に倒れたまま動けない。身体に力が入らなかった。


 15分ほど地面に倒れていた俺はやっと立ち上がることができた。

 でも、とても怠い。身体の震えもまだ治まらない。俺の本能が母さんを恐怖している。


 魔帝の母さんがニコッと笑った。


「どうだったかしら?」


「………やっと母さんが魔帝なんだと理解したよ」


「ふふふ。それならいいわ」


 椅子に座っていたハンナがニヤニヤと笑いながら俺に近づいてきた。

 そして、楽しそうに俺の身体をつんつんし始める。


「ご主人様ぁ~! チビリましたか? おしっこチビッちゃいましたか? 漏らしちゃいましたか? 私、ご主人様の下着を持ってきたほうがいいですか?」


「いらん! 漏らしてない! なんでハンナは無事なんだ!?」


「だって、私、アリシア様の弟子ですし」


「そうそう。ハンナちゃんは私の弟子よ」


「ふぁっ?」


 俺の口から間抜けな声が出た。

 ハンナが母さんの弟子? 一体どういうこと? 訳がわからん!

 もしかして、ハンナは母さんの正体をずっと知っていたのか?


「私、ご主人様が騎士学校に行かれている間、とても暇だったので、魔帝のアリシア様に魔法を教わっていたのです! ふっふっふ。ご主人様は私の弟弟子ということになります! 私は姉弟子です! お姉ちゃんって呼んでくれてもいいんですよ?」


「よろしくお姉ちゃん!」


「ぐはっ!? な、なんという破壊力! いろいろと目覚めちゃいそう…」


 ハンナが胸を押さえて崩れ落ちた。プルプルと悶えている。

 揶揄っただけなんだけど、そんなに効いたのか? たまに言ってみよう。


 母さんがティーカップを下ろした。


「ハンナちゃんはルクシアが見ていないところで頑張っているのよ。私とアークの弟子よ。魔帝と剣帝のね。ちなみに、この屋敷で三番目に強いわよ」


 はっ? 母さんは何を言っているのだろうか?

 いつも部屋でぐーたらしているハンナが強い? 屋敷で三番目に強い?

 使用人の中でか?


「使用人の中じゃないわ。私たちを含めてよ。一位は同列で私とアーク、二位はいないから三位にハンナちゃんね。四番目に騎士隊長かソマリアちゃん。ハンナちゃん? ソマリアちゃんとの対戦成績は?」


 地面で悶えていたハンナがスクっと立ち上がった。


「確か、279戦272勝4敗3引き分けだったと思います」


 えぇー! ハンナがソマリアよりも強い!?

 二代目剣帝と言われているソマリアより強い!?

 あのぐーたらなハンナが!?


 あ、あり得ない! 信じられない! 信じたくない!


「う、嘘だ!」


「あははー。信じられないと思いますが、私、強いからぐーたらしていても許されるんです。いざという時の戦闘要員です。普段は平和だからぐーたら出来るんです。いや、ぐーたらするために強くなったとも言いますけど…」


 あっ、ハンナだ。ぐーたらしたいから強くなるというのはハンナしかいない。

 少し納得した。


 ハンナがお姉さんぶって人差し指で俺の花をチョコンと触る。


「言っておきますが、ここは公爵家ですよ? 使用人全員が戦闘能力高いですからね! 近衛騎士よりも強いと言われているんですからね、この家の使用人は」


「………料理長のマルチダさんも?」


 マルチダさんはこの家の料理長をしているおばちゃんだ。

 いつもニコニコ笑顔で優しい厨房の花だ。

 マルチダさんが強いなんて全然見えないけど。


 ハンナは片手をヒラヒラと振っている。


「マルチダさんを含む料理人さんたちはえげつないですからね! 料理するので動物の解体もできます。どこを斬ったら動けなくなるとか、弱点とか急所とか詳しいです。それが人間に向けられたらどうですか?」


 俺は顔を青くしてブルッと身体を震わせた。


 思わず想像してしまう。

 あのニコニコ笑顔のマルチダさんが包丁を持って人間を解体する。


 ホラーだ。滅茶苦茶怖い。

 今日から敬意を持って丁寧語で接しよう。


「私にも敬意を持っていいのですよー!」


「それは無理!」


「えぇー!」


 ハンナが不貞腐れてぷくーッと頬を膨らませている。可愛い。

 俺は拗ねているハンナをぎゅっと抱きしめた。

 途端に機嫌を直してご機嫌そうにスリスリしてくるハンナ。チョロい。


 俺はハンナを抱きしめながら母さんに問いかける。


「いろいろと驚愕の事実がわかったんだけど、まず俺は何をすればいいんだ?」


 母さんが頬に手を当て少し考え事をする。

 そして、ポンっと手を打った。


「ルクシア。まずは魔力制御をしなさい!」


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