第7話 ご主人様の知らない夜の仕事


<ハンナ視点> 


 私はパチッと目が覚める。

 今から夜が更けていく時間。


 いい香りのする心地良い温もりのするベッドの中からゆっくり体を起こす。

 隣で可愛らしく寝ているご主人様を起こさないようにそろりそろりと離れた。


 私という温もりがいなくなったので、ご主人様は反対側に寝ている雌ブタ……ではなく、ソマリア様に抱きついた。


 チッ! 毎日毎日私とご主人様の愛の巣に潜り込みやがって! チッ! チッ!


 さてさて、雌ブタ……ではなく、ソマリア様にガンを飛ばすのはこれくらいにしておこう。

 ご主人様は知らない、知られてはいけない夜の仕事を頑張りますか。


「行ってきます。ご主人様」


 ぐっすり寝ていて少し幼く見えるご主人様の頬に軽くキスをすると、ベッドを降りて部屋を出る。

 部屋を出ると毎日のルーティンである深呼吸をする。

 そして、ご主人様には決して見せない私の裏の顔を作った。


 向かった先はウィスタリア公爵家のお屋敷の屋根の上。

 帝都の明かりや、夜でもライトアップされて白く輝くお城が見える。


 そこに、一人の黒ずくめの衣装を着た人が音も気配もなく近寄ってきた。

 ウィスタリア公爵家の使用人の一人で、夜の警護をしている者だ。


「ハンナ様、お疲れ様です」


「はい、お疲れ様です。それで? 今日はどうですか?」


 私の口から物凄く冷たい声が出た。瞳も冷たく光っているだろう。

 ご主人様の前では絶対に見せない私の裏の顔、暗殺者の顔だ。

 報告に来た黒ずくめの人物が、恐怖でビクリと身体を震わせている。


「今のところ侵入者はいません。ですが、様子を伺っている者が何名か…」


「もう捕捉しました。ご苦労様です。持ち場に戻りなさい」


「はっ!」


 目の前から人影が消えた。


 私は屋根の上で一人立っている。

 だけど、外からは決して見えないだろう。

 気配や体温など、その他いろいろを魔法で消しているのだ。


 さてさて、今日も懲りずに襲ってくるかなぁ?

 面倒くさいから帰ってくれるといいんだけどなぁ。

 でも、そう上手くはいかないか。


 数時間経過して、丑三つ時に差し掛かった頃、様子を伺っていた一人が動いた。

 気配を消し、音もなく猛スピードでこの屋敷をめがけて、建物の屋根の上を走ってくる。

 残念ながら私からは逃れられない。


 暗殺者が屋敷の塀の上に脚を踏み入れた瞬間、身体が痙攣して塀から落ち、地面に倒れ込んだ。

 貴様はもう死んでいる………………なんちゃって。

 地面に倒れて死んでいる暗殺者の身体を氷漬けにしてっと。

 はい終了。

 今日第一号ですね。


 あぁ…早くご主人様のベッドに潜り込みたい。

 ご主人様に抱きついて、抱きつかれて、あの至福の腕の中で寝たいなぁ。


 それから、30分に一回くらいの頻度で襲ってくる暗殺者たちを殺して殺して殺して殺して殺しまくる。

 今の私は暗殺メイドだ。


 小さい頃から闇ギルドで暗殺者として育てられた私は、ご主人様の暗殺を命じられた。

 十年ほど昔の頃だ。

 小さい少女の私が暗殺者とは誰も思わないだろう、という考えだった。

 誰にも疑われず、ご主人様に近づいた私は、ご主人様を殺しかけた。


 でも、結局私はご主人様を殺せなかった。


 ご主人様に救われた。身も心も救われた。

 私に愛をくれた。私を暗殺者ではなくて普通の女の子にしてくれた。

 そして、私の愛をあげた。


 ご主人様のメイドとなった私は、アーク様とアリシア様に願い出た。

 私を強くしてくださいって。

 二人はとても楽しそうだったなぁ。地獄が天国に思える経験を何度もしたけど。

 剣帝と魔帝に鍛えられた私は、二人に張り合えるほど強くなった。


 全てはご主人様を守るため………というのは建前で、全て私のため。

 愛しいご主人様の傍に居たいという私のため。


「だから、私の大切な場所を奪おうとするな!」


 指先から魔力で作った糸を伸ばし、襲ってきた暗殺者に突き刺す。

 痛みに耐える訓練をしている暗殺者たちは痛みという感覚が鈍くなっている。

 だから、細い魔力糸に突き刺されても何も感じない。

 突き刺されたことにも気づかない。


 私は魔法を発動させる。聖力じゃない。魔力を使った魔法だ。

 超高圧の電気。人が一瞬で死亡するくらいの電撃。

 発動させた電撃が、私の魔力糸を伝って暗殺者の身体に流れていく。

 脳や心臓が一瞬で焼き切れ、即死し、暗殺者の身体が痙攣して地面に落ちていった。

 焼けた匂いが臭いので、死体を氷漬けにする。


 これがご主人様に知られてはいけない私の夜の仕事。裏の顔。

 毎日毎日私は人を殺しているのだ。自分のために。


「あぁ…今日はご主人様が早く寝てよかったなぁ。いつもいつも夜遅くまで剣を振っていらっしゃったから、バレないように大変だった」


 何度気づかれそうになったことか。何度慌てて取り繕ったことか。

 でも、今夜から変わる。

 ご主人様が剣を辞めると宣言されたからだ。

 これから私と同じように魔の道に進むと。


「でも、ご主人様のことだから、夜遅くまで魔法の練習とかしそうだなぁ」


 うん、絶対する、あのご主人様なら。

 ドМで訓練馬鹿のご主人様なら絶対遅くまで鍛錬する。

 はぁ…バレないようにするの大変なんだけど。


 おっと、次は十人ほど一斉に襲ってきましたね。

 数で押し寄せても意味ないんですけど。暗殺者の無駄ですね。


 私は見えないくらい極細の魔力糸を大量に操って暗殺者たちを迎え撃つ。

 襲ってきた暗殺者の一人が、屋根の上に立つ私に気づいた。

 へぇ、私に気づくとは腕のいい暗殺者ですね。残念ながら今日で終わりだけど。


 屋根の上に立つメイド服の私。

 冷たい光を帯びた紅い瞳の私と目が合ったその暗殺者が、恐怖で身体を震わせた。

 慌てて逃げ出そうとする。

 残念ながらもう遅いけど。はいっ、氷像が十個ほど増えましたとさ。


 全く! 鍛えられた暗殺者が怯えるなんて失礼な!

 まあ、このお屋敷の使用人たちからも怖がられているみたいだけど。

 ご主人様は全く気付いていないんだよなぁ。


「ふふっ。ご主人様らしい。可愛いですねぇ。あぁ…早くご主人様に抱きつきたいなぁ。抱きしめられたいなぁ。揶揄いたいなぁ」


 私のお仕事の時間は、空が明るくなるまで。

 明るくなってきたら流石に暗殺者もいなくなる。

 剣帝のアーク様が起きて、お仕事の準備をされるから、暗殺者が襲ってくることはないのだ。

 夜の護衛の使用人がスゥっと現れた。


「ハンナ様お連れ様です」


「はい、お疲れ様です。そろそろお時間ですねぇ~。では、庭にある汚いゴミを処分しますね」


 庭に落ちている不格好な氷像。今日は三十体ほど落ちている。

 私は全てに魔法を発動させる。

 魔帝のアリシア様から教えてもらった氷の魔法。

 キィィンッと甲高い音が響いて、氷像が全て消え去った。


 物質が存在できない絶対零度以下に下げる私の得意魔法。

 絶対零度以下になった物質は消滅するしかない。全てが消え去る。

 はい、お掃除終了。

 下手に痕跡を残してご主人様に気づかれるわけにはいかないですからね。


 毎回毎回、護衛の使用人たちが私を畏怖の浮かんだ目で見つめてくるのはなんでかなぁ?

 まっ、ご主人様じゃないからどうでもいいんだけど。


「じゃあ、私は寝ますね~。おやすみなさ~い」


 私は返事を待たずに屋敷に戻っていく。

 一晩中外にいたから、シャワーを軽く浴びて汚れを落とし、新たなメイド服に着替える。


「あぁ…ご主人様…ご主人様成分が足りません……」


 トボトボと虚ろな表情でご主人様の寝室へと向かう。

 廊下ですれ違った使用人たちが毎日ギョッとするけど、今の私には気にする余裕がない。

 一刻も早くご主人様の下へ向かわねば!


 寝室に入ると、何も気づいていないご主人様がぐっすりと寝ていた。

 私はこの顔を守るために、いや、私がこの顔を見たいから勝手に暗殺者になっているのだ。

 全ては私がご主人様の傍に居たいから。


 一気に疲れが襲ってきて眠くなった私は、メイド服を脱ぎ捨て、下着姿になるとご主人様のベッドに潜り込んだ。

 雌ブタ……じゃなくてソマリア様がいるのは気に入らないが。


 寝ているご主人様に抱きつく。ご主人様も寝ているのに私を抱きしめてくれる。


 やーい! 雌ブタ……じゃなくてソマリア様! 今は私だけ抱きしめてくれてるんだぞー! いいだろー! 羨ましいだろー! ご主人様は私が大好きなんだぞー!


 私は心地良いご主人様の腕の中をもぞもぞと動いて、ご主人様の頬に軽くキスをする。


 ご主人様に知られてはいけない夜のお仕事。

 知ってほしくない暗殺者としての裏の顔。


 ご主人様の居場所を守ることができた。

 私の居場所を守ることができた。


 今日もご主人様の腕の中でぐっすりと眠れそうだ。


「おやすみなさい、ご主人様。あなたのことを愛していますよ」


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