第9話 心の女王
裁判所の席に、アリスを含めてほとんどの人物が座っている。証言台に立っているのは、ティーカップとパンを離さない帽子屋だけだ。
ふと、アリスは帽子屋と目が合い、帽子の下で口が動くのを見る。 ──任せなさい。
女王が床をハートの杖で叩くのを聞き、アリスは慌てて前を見据えた。
「ただいまより裁判を始めます。告知官の白兎は、訴状を読み上げてください」
呼ばれ、白兎の青年が羊皮紙を広げて読む。
「訴訟内容は以下の通り。──アリスは有罪に決まっている」
「え」
アリスが声をもらすと、全員が器用に拾い上げたのか視線が集まった。ただ一人、呑気に紅茶を飲む帽子屋を除いて。
「えと……はい、私がアリスです。はい、私が有罪なら、首を跳ねてください、はい」
動揺が周囲に広がり、何と罪深い、と囁かれる。女王が再びハートの杖で床を叩き、周囲は静まり返った。
「と、言っていますが、最初の証人は如何に」
帽子屋はカップから口を離して、背筋を伸ばした。
「はい、私が証人です。アリスの罪は【死んだこと】でしょう。彼女は紅茶を吐き出す程に首を吊って、自室で死にました」
「な……」
「ヤマネが見て、三月ウサギが聞きました。間違いありません」
何で知っていると言いかけたが、ヤマネと三月ウサギ、そして、お喋りな帽子屋なら仕方ないと、アリスは言葉を挟むのを止めた。
女王は首を横に振る。
「三途の川を渡る前に邪魔されたので、未遂に終わっています。有罪にはできませんので、次の証人お願いします」
「は……はあ!?」
アリスは思わず立ち上がった。白兎の青年がウインクをしてくる。
文句を言おうとしたものの、皆がくしゃみを始めたのでアリスは前を見る事にした。誰が出てくるのかは、何となく分かる。
帽子屋と交代したのは屋敷のメイドだ。帽子屋は場に残り、パンではなくティーポットを傾け、紅茶をカップに注いでいる。
屋敷のメイドは二度ほどアリスを見てから言った。
「え〜アリス様は〜【私達を殺そうとした】のです〜。この世界の創造主であるアリス様が死ねば〜住人である私達も死んでしまいます〜。有罪です〜」
「なっ……」
アリスは思わず柵を掴んだ。
「そんなの……」
女王はまた首を横に振った。
「アリスは自身が知らないことだと、心の映し鏡である私が反論しましょう。それに、アリスは死んでません。成立していないものは有罪になりません。……アリス、貴方の番です」
「え」
メイドが退き、帽子屋が手招きをしてくる。アリスは呆然としていたものの、女王が軽く杖をついたのに気付き、慌てて証言台へと降りていった。
帽子屋が隣に来て、何も持っていない手で肩を抱いてくる。帽子屋の方が少し背が高い。
「言いたいことがあるだろ。ほら、君の罪は?」
帽子屋から温もりを感じて、アリスは思わず目を伏せた。
「……生まれてきたこと。それが何よりの罪だって、両親が言った」
目尻から涙が漏れ、頬が濡れる。帽子屋の裾で拭われ、アリスは目を開けた。女王が不満そうに頬を膨らませている。
「此処は夢として見た世界ですし、まだ崩壊しても消えてもいません。あの両親の意見なんて聞きたくありませんし、娘の夢想に適応される訳がないです」
女王は高らかに杖を振った。
「よって、アリスは無罪!」
周囲から拍手が起こるものの、アリスは納得がいかない。
「いやっ……殺して! 嫌だ、死なせてよ! 生きていても幸せなんて訪れない! どうして、どうして終わらせてくれないの!」
「そうだな」
と、冷静に言ったのは、帽子屋だ。
「君とのお茶会がまだ終わってない。だから、お茶会の続きをして、終わったら殺してやろう。心の女王は、実像の君に王政を譲りたいだろうが……」
「勿論です!」
「……逆に、主の権利など渡してしまえばいい。ロープの跡を隠す赤いリボンは、君の本意ではないだろ?」
アリスは首元に触れ、明け時の色のようなリボンをほどいた。生々しい跡が表に現れる。
「うん、要らない」
残念だ、と誰かが呟いていた気がしたが、アリスは心から嬉しそうに笑って否定した。
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