第6話 お茶会の帽子屋

 公爵婦人とはまた違う、立派な屋敷が広がっていた。アリスは金持ちが多い世界なのかと思案する。


「お嬢さん、こっちだよ」


 背後から帽子屋の声がした。振り返ると、近場の森の入口にテーブルが出ていた。サイズの合わない帽子と服を着た誰かと、茶色の兎耳の少女と、ネズミ耳の男の子が席に着いている。もっとも、茶兎の少女は黙って紅茶を飲み、ねずみの男の子はぐっすり眠っている。

 帽子屋らしき誰かが裾で見えない手を伸ばす。


「ようこそ、私が帽子屋だ。さ、まずは好きな席に座りなさい。三月ウサギが紅茶を入れてくれる筈だ」


 三月ウサギの少女は物言いたげに帽子屋を見たものの、立ち上がり、ポットをゆっくりと持ち上げた。アリスを見やり、じっと待っているので、アリスは大人しく椅子に座る。

 カップに注がれる紅茶は、綺麗な紫色で甘い香りがした。アリスが目を輝かせると、帽子屋は頷く。


「三月ウサギは耳を済ませていて喋れない、ヤマネもまぶたの裏で色んなものを見ているから喋れない。よく話す私しか君を楽しませてあげられないが、許しておくれ。そして、飲みなさい。冷めてしまっても美味しいが、折角だ、出来立てを味わいなさい」


「うん、ありがとう、それじゃあ……いただきます」


 アリスがカップを口元へ持ち上げた、その時だ。前方からフォークが飛んできて、アリスのカップを貫く。


「きゃっ!?」


 帽子屋の溜め息が聞こえた。カップにヒビが入り、貫通で出来た穴から紅茶が零れてしまう。三月ウサギの少女は不気味なほど沈黙していたが、ヤマネの男の子がぱっちりと目を開き、ティースプーンを握りしめている。


「毒いり紅茶」


 ヤマネが起きたことにも、喋ったことにも驚いたが、アリスが尤も驚いたのは、毒という内容にだった。紅茶に触れてしまわないように、ゆっくりとカップを置き、帽子屋を見る。


「どうして……」


「死にたいんだろ? アリス」


 知られてはいけないと言われていた、アリスという呼び名を帽子屋に知られている。ついでではないが、死にたがっていることも。

 帽子屋はアリスの困惑に気付いた素振りで笑った。


「あは、どうして知っていると言いたげだ。簡単だよ、ヤマネが君を見ていて、三月ウサギが君の話を聞いていた。それを私は知らされていた。続いてしまう人生に疲れただろ? 皆はアリスを止めたがるが、否、私は止めないよ。むしろ、協力してあげようと思ったのさ」


「ど、どうして」


 アリスは席を立つか迷い始める。理解者にも程があり、気味が悪いと思ったからだ。


「どうして? 簡単だよ。私は君に好奇心が沸いた。アリス、君を肯定していたい。死にたいなら私が殺してあげよう、私が君の望みを叶えてあげよう。夢なんて終わらせてあげようとも」


「それは……」


 アリスは嫌だと言えなかった。

 毒入りの紅茶は零れきっておらず、カップの中に残っている。それを見つめ、肩の力を抜いた。これが夢の中だとしても、アリスはこれ以上生きたくなかったのだ。

 アリスは首元に触れ、呟く。


「……足りなかったのかな……」


 帽子屋は受け入れるように頷いた。


「生きているなんて、悪い子だもん、だから……」


「死んだらいい子になれるだろうか」


 アリスは疲れたように、心の底から笑った。


ひかりなんて、私には似合わなかったんだ」


 カップに再び手を伸ばす。

 そのカップが消えたかと思うと、手首を強く掴まれた。アリスが怯えたように目を閉じると、二人の声がする。


「チェシャ猫おねがい」


「ヤマネ、貸一だよ! あはは!」


「えー」


 その声が聞こえなくなったかと思うと、アリスはあの美しい庭にいた。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る