第2話 通路の私

 目を開ける。

 視界に低い天井と、ドアだらけの狭い壁が滲む。かすり傷一つ負っていない体を起こせば、長い長い廊下にいることが分かった。


「……ちぇ、死んでない……夢かな、これ」


 首元を確かめ、赤いリボンを整える。立ち上がり、夜明けのロリータ服を手で払い、頭上の青いリボンの向きを直した。

 廊下を歩き出し、ドアの一つ一つを確かめるが、どれも鍵がかかっていて開かない。小さな希望を捨てきれず、手を休める事ができなかった。

 合間合間に声を張る。


「白兎さーん!」


(生きてるのかな? 何処行ったんだろう)


 一列に並ぶランプは、アリスの姿だけを照らし続ける。


(このまま、あの穴みたいに終わりが見えなかったらどうしよう……疲れちゃ……ん?)


 途方に暮れるアリスを慰めるように、ガラスのテーブルが現れた。乗っている金の鍵に気付き、アリスは目を光らせる。


「鍵だ! 何処か開くよね!?」


 早速手に取り、また一つずつ試していく。

 しかし、鍵穴が大きすぎて、鍵が小さすぎて、どの扉も開くことはなかった。

 アリスは肩を落とす。


「万事休す……かな……」


 何か無いかと更に端から端まで歩いてみれば、低いカーテンがある事に気付いた。めくれば壁と出くわし、落胆したものの、視線を落としてみれば、掌程の小さなドアと目が合う。


「まさか、この鍵……!」


 律儀にある鍵穴に入れて回せば、小さなドアは開いた。


「ええ……どうやって入ればいいかな……」


 身を屈めて覗き混んでみれば、人生で一番綺麗だと言っても過言ではない、赤い薔薇の庭が見えた。更けていた夜も終わりを告げ、朝の色が薄く滲んでいるのが分かる。


「ぐ……行きたい……こう……体が小さくなれば……」


 アリスの要望に応えるかのように、足元に何かが当たった。拾って見てみれば、透明な液体の入った小さな瓶ということが分かる。ラベルには「私を飲んで♡」と書かれていた。


「ええい、ままよ! 死んでも構わない!」


 アリスは躊躇いもなくコルク蓋を開け、中身を飲み干した。すると、何故かみるみる体が縮んでいく。


「……ゆ、夢だ……」


 小さな扉程の大きさで止まり、まあいいかと浮き足立ってドアに触れるものの、何故か鍵がかかっている。


「えっ……鍵、鍵は!?」


 慌ててポケットの中から取り出せば、一緒に縮んだそれが出てくる。勿論のこと、今の状態では形の変わらない鍵穴には合わなかった。


「夢なら……都合よく大きくなるものが……!」


 半ばヤケクソに探してみれば、テーブルの影に小さなケーキを発見してしまう。今度は「私を食べて♡」と書かれていた。


「あった! 絶対これだよ! よーし!」


 一口で食べると、みるみる大きくなる。テーブルを追い越し、天井に頭をぶつけた。


「ったあ! えー……と、大きくなりすぎ、かな……」


 アリスの目から涙が落ちる。


「もう、どうしたら、いいの……いっそ死ねたら……っ」


 首元に手を伸ばしかけた、その時だ。

 耳元から声が聞こえ、ぼやけた視界に何かが差し出された。


「アリス、泣かないで。僕がいるから」


 あの白兎の青年だ。アリスの肩に上り、大きな白い扇子を持っている。


「し、白兎さ、い、生きて……!」


「勝手に僕を殺さないでね。遅刻どころじゃ済まされなくなるから。さ、これを自分に向けて扇いでみてよ」


 冗談めいたように笑い、白兎の青年は降りていった。視界から消え失せてしまったものの、きっと足元にいるのだろうと、一筋の希望を抱いてアリスは扇いでみる。すると、体がみるみる縮んでいった。

 しかし、白兎の青年の姿が見えないところか、謎の池に足を滑らせてしまう。


「な、何これ……はっ……まさか、大きな涙のせい……!? 白兎さん溺れてない!?」


 小さなドアも水に沈んでしまった為に、泳いで白兎の青年を捜すことしかできなかった。

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