二話 比良坂ビル
2-1
ただでさえ薄っぺらなコンクリートジャングルの夜の帳が、日の出と共に白んでゆく、夜明け頃。
周囲をぐるりと、背の高いビルディングに囲まれた比良坂ビルは、日がな一日、陽射しとは縁遠い。だが、ビルの配置と日照角度の関係から、夜から早朝へと空模様が変わるこの時間帯だけ、陽光の恩恵を与る事ができる。
夜の嬌声から、昼の喧騒へと移り変わろうというこの時。街が死に、そしてまた生まれようとするひと時を満たす、静寂。
そのしじまの空気を切り裂く、拳脚の音があった。
その風切り音は、比良坂ビルの屋上で、一つと言わず二つと言わず、三つ四つと断続的に静寂を裂く。律動的かと思い切や、時折リズムを変えて、拳と脚が空を穿つ。
無地のタンクトップに、だぼついた紺色のスウェットに身を包む、その男の突き出した右拳に握るのは、クロームメッキが剥がれ、地金の真鍮が覗くオイルライター。
十月も半ばを過ぎ、残暑も品切れ、暦は秋。
澄み渡る秋の朝風は冷ややかで、肌を冷たく撫でてゆく。にも拘らず、しきりに拳脚を飛ばす男――ジッポの身体は、自ら発する熱気に包まれていた。
早朝に比良坂ビルの屋上で、一人こうして拳脚を振るうのはジッポの日課である。
リーチを掴む、フィンガーリードジャブ──拳を握らず、五指を開いて伸ばし、手首のスナップを利かせながら蠅を叩くような仕草で打ち込む。かと思えば、次の瞬間には、渾身のストレートが飛ぶ。
打つのみならず、ボクシングのスウェー染みた動きを挟むと、上体を振ったその反動で脚を上げて、更に足技のコンビネーションへと繋ぐ。
火葬屋は、誰しも中国武術を得手とし、武器とする。
ジッポもまた例外ではなく、その身には確かに、中国武術の一端に属する功を積んでいた。
ジークンドー。
数ある
中国武術の一つ“詠春拳”を雛型に、他の
その道に置かれた道標には、こう記されている。
“
それはジッポの鍛錬姿にも、良く表れ出ていた。
中国武術では、その鍛錬において、套路【中国武術における型】の反芻を尊ぶ傾向にある。一人稽古ともなれば、なおさらに同じ所作を繰り返す事を主眼に鍛錬を積む。
だが、ジッポの鍛錬はどうか。打ち、躱し、蹴る。あるいは下がり、そして踏み込んだかと思えば、また打ち込む。それらを一定の順序を守るでもなく、有機的に組み合わせて身体を動かしている。
あたかも、見えざる敵と対峙しているかのようだ。
術理に裏打ちされた、イメージとインスピレーションに富む身体捌き。それこそが、ジークンドーの真骨頂である。
だが、火葬屋の真骨頂は、その“技”のみに非ず。その身に納めた“功”は実際のところ、“心”と“体”にこそある。
不意に、ふ──と、ジッポが呼吸のリズムを変えた。
中国武術における呼吸法は、西洋格闘技とはその意味合いに大きな差異を有する。
深く深く、吸気を取る。
西洋医学において肺は、肺胞に満たした酸素を、血液中のヘモグロビンへ結合させるための器官でしかない。
だが、中医学における“肺”臓の役割は、“
魄。それすなわち、人体の外殻を構成する因子だ。
その運用法を外功術と呼び、外功術を修めた遣い手が魄を運用すれば、筋骨を鍛え、膚を硬くする。
ジッポが気息を練るのと共に、身体の内を気血が巡り、魄が満ちてゆく。打つ度、蹴る度、躱す度──呼吸を繰り返すその都度に、そのアクションは速度を増してゆく。
そしてその都度に、鼓動が脈打ち、血流が身心に巡ってゆく。
肺臓で練成した魄はやがて、血の流れを辿り“肝”臓へと至る。西洋医学の肝臓が、限定的ながら造血機能を有するように、中医学の“肝”臓もまた、“魄”から“
魂を運用する術を内功術と呼び、その術者は、自身の内奥を支配する。
血圧や脈拍、果ては神経伝達物質の生成──本来なら制御不能な自律神経系を自らの思念によって操作する。
唯一制御可能な自律神経である呼吸を以ってして、自らの身体を制御下に置くのである。
ジッポの体捌きから、僅かなブレさえなくなってゆく。血潮の脈動、筋繊維の収縮、骨身の軋みに至るまで掌握し、一つ一つの動作──その細かなプロセスの全てを精確にする。
そうして放った蹴り足こそ、
蹴り足が空を薙ぎ払ったその瞬間、さらにわずか一間遅れて、物干し竿に干されたまっさらなシーツが、風を孕んで大きく捲れ上がった。
それと同時に、キン――という金属音と共に、ジッポはオイルライターの上蓋を開いた。
魂は、術者の身の内だけに留まるとは限らない。術者の外界へと発せられた魂が及ぼす影響は、深遠無辺。
相対する者の魄による守りを貫き、あるいは魄の流れを読んで動きを先見する。そして時には、自然物理のことわりにすら、影響を及ぼすのだ。
魂は、五行を孕む。
五行とは──木、火、土、金、水。万物を構成する、五つの因子である。そう、森羅万象の、あまねく全てだ。
人体の五臓──肝、心、脾、肺、腎もまたしかり。それぞれ対応する五行を持つ。
火葬屋が最も重用するのは、“木”の気と、“火”の気だ。
蹴り足を放つと共に、ジッポは“木”の気を孕んだ魂を飛ばす。気を練り直すまでもない。木に対応する肝臓で練られた魂は、その時点で木の属性を宿しているからだ。
発せられた魂は、その属性に相応しく、梢が伸びるようにして、中空を奔った。実体を持たぬ魂は、余人の眼に捉えられるモノではないが。
肝で練られた魂は木の気を有するが、気血の流れ──経絡を辿り他の五臓へと巡った魂は、それぞれが対応する五行の気へと染まる。
人体の中枢。血の巡りの源──“心”臓へと至った魂は、“火”の気に染まる。
火──まさしく、火葬屋を火葬屋たらしめる気を。
オイルライターのフリントドラムを伸ばした脚へと擦り付ける。
心臓から伸びる腕の経絡を辿って拳に握られたオイルライターへと至った火の気を、着火と同時に発する。
尋常ならざる火勢で弾けた火花が、蹴り足から伸びた見えざる枝を辿り、赤光のラインを描きながら中空を奔り抜けた。
木生火──五行相生の関係を引き合いに出すまでもなく、木が燃えやすいのは、子供でも知っている事だ。
火葬屋がその稼業をまっとうする際、火葬屋はまずその身に納めた中国武術によって木の気を打ち込み、それを火種とし、何らかの発火器具を媒体に火の気を帯びた火を生じさせ、キョンシーを葬るのだ。
火花の残像が宙に溶けてもなおしばらく蹴り足の体勢を保ち続け、やがて足を下ろして、呼気を吐く。
そうやって内息を整えると共に、戦闘仕様へと換えた経絡の流れを、通常のモノへと戻してゆく。魂と魄の運用、とりわけ内功術は、身体に多大な負荷を強いる。乱れた身体のリズムを調息で整えなければ、内傷を患う事もままあるのだ。
調息を終えて、スウェットのポケットから、くしゃりと潰れたパーカッションのソフトパッケージを取り出す。昨日、宣言通りに滞納した家賃とツケを返済して、さらにカートン買いした内の一箱だ。ちなみに、昨日出掛けになけなしの千円札と引き換えになった一箱は既に空にして、今手に持つ一箱もカートンを開けてから数えて、もう二箱目である。
両切り煙草の熱いヤニをじわりと一息喫して、紫煙を吐く。
朝焼けを浴びて黄金色に染まる紫煙をたなびかせながら、ジッポは屋上を後にした。
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