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ちゃいなたうん【China town】 中華街に同じ

ちゅうかがい【中華街】中国外の各都市に点在する、中国系移民が多く集まり居住する地域。中国料理店、中国産品店などが多く、中国文化に則った生活様式を保っている。


 この定義が塗り替えられたのは、一九九七年七月一日の事だ。


 その現象が最も早く公に確認された場所は、アメリカ合衆国、ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区を東西に走る、キャナルストリート。

 夏の陽射し降り注ぐ昼下がり、雑踏行き交う道で信号を無視したイエローキャブによる人身事故。ごくごくありふれた悲劇──そのはずだった。


 しかし、一九九七年七月一日午後○時十七分、タクシーが一人のアジア系成人男性を撥ねてからの十数分を納めた、日本人バックパッカーの手による画素数の低いハンディカメラの映像は、当時は細々と、二○○六年現在はより普及して一般化しつつある動画投稿サイトに度々アップされている。その内容の凄惨さから、何度削除されようとも。


 その動画の始まりは──編集した者によって異なるが──大抵の場合、車道に横たわる男を離れた位置からアップで撮影しているシーンから始まる。

 素人の手による撮影、加えて撮影者の興奮が伝わるブレの激しい画面の中には、頭からおびただしい血を流し、自らの血だまりに沈みながらピクリともしない男と、それに泣き縋る女の姿が映し出されている。男と同じ人種と年頃、切迫した彼女の様子、そして歩道の脇に置かれた乳母車からして、彼らは子を授かったばかりの若い夫婦のようだった。

 女が男に何度も呼び掛けている。だが、男が反応を示す様子はない。


 やがて、動画の再生時間が進む内に、サイレンの音がする。カメラは一度、通りの向こうから近付いて来る救急シャの方へレンズを向けた。

 その時だった。──絹を裂くような女の悲鳴がしたのは。


 カメラが急転して、再び車道に倒れる男の方へ向く。しかしそこにあったのは、なおも頭からどくどくと血を流しながら立ち上がり、妻らしき女へと襲い掛かる男の姿だった。

 男は抵抗しようとする女を地面に押し倒すや、その腹へと喰らい付いた。そう、文字通りに、女の胴へと噛み付き、その肌を噛み千切ったのだ。


 周りの者達は当初、男の急変──暴挙と呼ぶにも、あまりに獣染みた行動に呆気に取られていた様子だったが、事故の通報を受けて駆け付けていた警察官が女の断末魔めいた絶叫で我に返り、すぐに男を引き剥がそうと掴み掛かる。

 しかし男は、常人離れ、いや怪物染みた膂力を発揮して、食事──そう、男は明らかに女の臓物を咀嚼していた──の邪魔をしようとする者を、警察官に続く他の男達も含めて、次から次へと投げ飛ばした。


 やがて、素手による制止は不可能とみた警察官はリボルバー拳銃の銃口を男へと突き付ける。

 映像音声が、二度、銃声を出力する。

 だが、男は銃撃を意にも介さずに、女の懐へとまた顔を埋めた。

 為す術もなくして立ち竦む警察官。その時である──彼の肩に手をおいて警察官を脇へと押しやり、女が一人、画面内に現れたのは。


 日差しを遮る、フォックスフレームのサングラスを掛けた女は、顔を上げて口にした臓物をまた咀嚼している男の許までずかずかと近付くと、自身と妻の血にまみれているその頭に向けて、右手を振り抜いた。

 突如、画面内で男の頭が火に包まれる。苦鳴を上げて苦痛を露にする男だったが、その火は数秒で鎮まり消えた。

 頭を覆う火が消えるや、男は足許の妻を捨て置いて、サングラスの女へと襲い掛かる。

 ──そこから先の女の動きはあまりにも素早く、その詳細は画質の粗い映像では追う事ができない。辛うじてわかるのは、最後に男を蹴り飛ばしたという事だけだ。


 そしてその直後、男を数秒前の映像よりも激しい炎が襲った。男は、明らかに普通の燃焼速度を上回る速さで焼失してゆく。

 サングラスの女は、男から離れると、喰い破られた腹からはらわたを零して地面に横たわる女の傍に膝をついた。そして次の瞬間には、地面の女もまた炎に包まれる。

 映像は、サングラスの女が立ち上がるところで終わる。


 こういった異変──死亡したはずの人間が傍に居合わせる者に襲い掛かる事象は、世界の各地で、公式、非公式を問わずに確認された。

 ビデオ映像と同じような事故現場、あるいは病院施設、あるいは何らかの犯罪現場。人の死が関わるような場所なら、何処ででも。


 しかし、当初無秩序に思われたその事象には、やがてある一つの共通点がある事がわかる。

 それは、事象が起きた場所の近辺に、中華街が存在するという事。

 マンハッタン島もしかり、他にもイギリスはロンドンのソーホー、フランスリヨンの七区、シンガポールのオートラムなど。世界各地に点在する中華街の内、十四つの近辺で同じ事象が確認された。


 事象によって“甦った”死体は、やがて自然に“キョンシー”と呼称された。その由縁は、それら死体の全てが広東語を口にするという共通点が認められたからという事の他にもう一つ、くだんの映像に登場したサングラスの女、その他にも各所の中国街での事象に伴う混乱を納めた者達──火葬屋を自称する彼らが、“甦った”死体をそう呼んだからだ。

 マンハッタンに現れた女は、言った。


 おめでとう、チャイナタウンに住む皆さん。あなたがたは死ななくなった。

 そしてご愁傷さま、あんたがたは死ねなくなった。

 四神相応が崩れ去り、風水が乱された。そして大山府君が死んだのさ。放たれた九龍クーロンに喰い殺されて。

 これからきっと、緑色の空は拡がってくよ。


 女の言葉が暗示した通りに、一度“キョンシー”が現れた場所では、死体が本来あるべき存在として振る舞う事がなくなった。その場所で人間が死亡すると、その死体は必ず“キョンシー”へと転化する。

 キョンシーの特徴は、以下の通りだ。


 一つ、彼らの瞳は、生前の虹彩色に関わらず、緑色に変色する。

 一つ、彼らの思考言語は、例外なく広東語に変換される。

 一つ、彼らは凄まじい膂力を発揮し、その皮膚は硬性と弾性を兼ね備えた頑強さを得る。

 一つ、彼らはまず生きた人間の血を乞う。この際、暴力性を露わにする事はない。ただし、血の乞いを拒絶されたらば、前記の膂力と頑強さを発揮して、あらゆる妨害を突破し、生きた人間の肝臓を奪い、摂取する。

 一つ、人間の肝臓を摂食したキョンシーは、少なからず見られた人間性の全てを喪失し、外的要因に対する反応を示さなくなる。それを、ハクシーと呼ぶ

 一つ──ではもし、血の乞いを受け入れられ、受け入れた者の血を一滴残らずに飲み干したキョンシーが居たならば? それを知る者は、ひどく少ない。生き血を乞われて捧げる者が、乏しいのと同じように。


 ともあれ、死体がキョンシーへと転化する地点は月日が経つにつれて、その数を増していった。それと共に、キョンシー転化地域を中国街China town、それ以外の何事もない中国系移民の居住区を中華街Chinese townと呼びならわすようになる。


 現状確認されている中国街──チャイナタウンの数は、二十六。

 日本で最初に“チャイナタウン”化が確認された中華街が、池袋。

 そう、ジッポが事務所を構える、池袋“チャイナタウン”である。

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