第2話 物知り顔のマスター

 それは、森の闇に溶け込むようにひっそりとたたずんでいた。バーのように見える店内からは、不思議と温かみのある光が漏れ出している。おそらく、小さな虫たちの衝突にいくどとなくさらされた電球からくるものだろう。彼らの無為な死を悼むようにぼんやりと光っている。


 建物の造りはいたって簡素で、平屋の木造のあばら家風である。というのも、木材でつぎはぎだらけに見えるものの、外観は総じてこぎれいにされていて、すぐにそれが演出だということがわかる。何か看板が掲げられているわけでもなく、特段客を入れようという気もないようだ。したがって、まともなものがこの中にはいないことは容易に想像できる。


 店内に入ると、カウンターに数席、四人座れるテーブル席が二つ、窓際の二人席が二つあり、二足歩行の爬虫類のような人型の生物が、五人(体)ほどそれぞれに座っていた。彼らは試験管のような細長いグラスに入った液体の中に、ときおり細長い舌を浸しては、くたびれた様子でため息をつきうつむいていた。こちらを特別気に留める様子ではない。この世界にも人間がいるのかもしれないと安堵しつつ、空いている窓際の二人席に座る。


 席につくと、この店のマスターと思われる生物が、そっと飲み物のようなものを運んできた。店の者は彼一人のようだ。彼もまた二足歩行の爬虫類のようだが、身なりが整っており、店にいる客よりも肌につやがある。彼も別段珍しいことではないような様子で、無言のままカウンターに戻っていった。


 私の飲み物は試験管ではなく、普通のジョッキに入っている。おそらく酒のようなものだろうが、ビールにしては少し茶色い。よくあるような丸い小さな木のテーブルに、何の変哲もない木のスツール。この飲み物も何の変哲もないに違いない。


 意を決して一口飲んでみる。一杯目のビールを飲むときのいつもの癖で、多めにのどに流し込んでしまった。思いがけないのど越しを感じつつ、何か体に異変が起きないか待つ。何も無い。続けてジョッキを傾ける。


 私の知るビールよりはビターで度数も少し高いようだ。いわゆる黒ビールである。となると、この世界にも麦芽があり、それを焦がして醸造する技術があるということになる。もしかすると、おとなしい爬虫人類がいて、通常のビールが黒ビールになっただけの世界なのかもしれない。


 そんな淡い期待を、最後の一口とともに胃の奥に流し込みつつ、今後どうするか考える。のどが渇いていたこともあり、勢いで飲んでしまったが、勘定はどうするのか。財布を持っていないし、もし金があってももおそらく使えないだろう。マスターに話しかけてみるしかないだろうか。


 いや、言葉が通じる保証はない。こちらの世界の住民に伝わらない言葉で話したなら、怪しまれてしまうだろう。だいぶアルコールが回り、朦朧とした頭で悩んでいると、


「パリンッ」


 薄いガラスの割れる音がする。例の試験管である。三人で座っていた客の一人だ。怒った様子で、誰かに向かって言う訳でもなく、大声を出している。マスターは一瞬、カウンターの客の酒を注ぐ手を止めたが、何事もないように再度注ぎ始めた。他の客も、気に留める様子はない。どんな世界にも、バーにはこういう類の客が一人はいるのだ。


 こちらの世界の言語を知る絶好の機会だと思い、注意深く耳を傾ける。ろれつが回っていないが、内容の大体は社会に対する不満のようだ。


「上位種族間の『馴れ合い』は結局、末端労働種族の俺らにしわ寄せが来るんだ。協定の履行のために労働環境は年々ひどくなっている。しかし、俺たちみたいな爬虫人類は力仕事しか能がないし、物わかりのいい無属人類は事務仕事でこき使われる。なぁ、ナシさんよ」


 なるほど。彼らは爬虫人類といい、他にも無属人類という種族がいてどちらもヒエラルキー的には下位の者のようだ。そして、なんといっても言葉が聞き取れる。元の世界と、そっくりそのまま同じ言語のようだ。


「おいナシさん。聞いてんのかい。それにしても、それを飲むなんて珍しいね。ナシさんたちにはいささか強い酒だと思うが。まあ、明日は休日だ。パーっといこうぜ」


 こちらに向かって話している。「ナシさん」とは私たちの種族の俗称で、無属人類からきているのだ。現に、下位種族である彼らとともにいても何も思われていない。もし私が彼らよりも上位の種族だったら、店に入ってきた時点で好奇の目にさらされていただろう。現時点で見ればよいことだが、長期的に見れば悪いことのように思える。どのぐらいこの世界にいなければならないかにもよるが。


 私が彼の方を向いて軽くうなずくと、彼は満足した様子で再び酒を注文した。一挙一動気が抜けないところだが、強い酒を飲んでいるせいでかなり眠い。なぜマスターは始めにこの酒を持ってきたのだろう。眠らないよう眉間を最大限に開き、マスターの方をちらりと伺うと、彼もこちらを見てニヤリとしている。細く、赤い舌をしゅるりと唇に這わせる。それは、爬虫類が持つ独特の冷たさと、彼の含意を伝えるのに十分な行為だった。おそらく彼は私に関して何かを知っているのだろう。


 しかし、私の方頬はもう既にテーブルに張り付き、瞼は閉じられるのを待っている。このまま眠ってしまって大丈夫だろうか。起きたら天国だったということにもなりかねない。ただそれは、こっちからあっちに移るだけであって、大したことではない。既にあっちあからこっちへ移っているのだから。


 まあ、転移してから今までの間に憂慮すべき事態は何も起きていない。万事うまくいくことを願いつつ、私は眠りについた。


 元の世界であっても、そんなことはあり得ないのに。


*****************


 読んでいただきありがとうございます。

 翫弄 威(がんろう たける)と申します。

 ちまちま書いていければと思っております。

 稚拙なものではございますが、コメント等いただけるとトびます。


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